第58話 虎の目覚め

「すんげえ似合う」

「冗談でも嬉しくないね」

 朱鷺から届けられた制服を身に纏った奏斗は、似合うと褒められてうんざりという顔をする。しかし、冗談抜きで似合っているのだから仕方ない。颯斗は化けるもんだなと感心していた。

「見た目がいいってのは、どういう場合においても有利だよな。そう思うだろ?」

 同じく制服に着替えた光輝が、その場に立ち尽くしたままの朱鷺に訊く。

 そう、ようやく、五年もの月日を待って再会したのだ。こんな慌ただしい状況とはいえ、そして、憎むべき情報管理課の制服を全員で診に纏っているとはいえ――

「ええ。似合います」

「おいおい。朱鷺までそっちに付くつもりか」

 はあっと、奏斗はわざとらしいまでの溜め息だ。だが、顔は今までに見たことがないくらいの笑顔。知り合いが、元恋人が傍にいる。それに安心していることが、颯斗でも解るほどだった。

「やっぱ、こいつは人間なんだな」

「どういうことだ?」

 うんうんと、一人で感慨深げな颯斗に、聞き捨てならないと奏斗が噛みつく。

「いやさ。やっぱり俺の中ではまだ、アンドロイドの奏斗とお前が分離できていないわけだよ。すでに滅茶苦茶ギャップを見せられているとしても」

「――」

 颯斗の言葉に、奏斗の顔が真剣になった。

「つまり、俺が出て行ったとしても、先行するイメージに引っ張られる可能性がある」

「そう。でも、全然違うなって、今実感した。朱鷺さんのおかげだな」

「――」

 その言葉に、奏斗はようやく朱鷺を真正面から見る。朱鷺はそれを笑顔で受ける。二人の間にあるのは、甘い空気ではなかった。どちらかというと同志という感じ。

「俺がここにいるのは、お前がいるからだ。お前に届くと、信じていたよ」

「――」

 しかし、奏斗が微笑んで告げた言葉はどう聞いても愛の告白。おかげで朱鷺だけでなく、颯斗の顔も真っ赤になっていた。

「おいおい。二人の関係を深めるのは、解決してからにしてくれ」

 そこに光輝がおちょくる。さすが教授。流されない。

「関係を深めるって、俺は」

「そんなつもりはないってか。嘘吐け。今のお前はこいつの言葉じゃねえが、人間らしい」

「――」

 光輝にまでそう評されるとはと、奏斗は頭を掻き毟る。自分はどれだけ人でなしと思われていたのだろう。ふと、鏡を見ると、その意味が何となく解るから嫌だ。たしかに、今の自分はなんと穏やかな顔をしているのだろう。これから決戦なんて、関係ないという顔だ。

「いいんじゃねえの。吊り橋効果って言うんだろ?」

「ませガキだな。そんな言葉を知っているのか?」

 颯斗のにやにやに、奏斗は呆れたように返す。が、それも悪くないかもしれない。

「無事に戻ったら」

「ええ。行きましょう」

 奏斗が総てを言う前に、朱鷺がそう答えた。そうだ。今は前に進むのみ。覚悟は決まった。もう嘆くことはない。前を見て進むだけだ。

 冬実も含め、全員が情報管理課の制服を纏った。これでしばらく時間が稼げる。

「行こうか。本丸へ」

 顔を引き締めると、奏斗は率先して先に進み始めた。






「お前が誰かに忠誠を誓うなんてことはしない。そうだな」

「ふうん」

 床に寝転ぶ冬馬に断言するように問うても、手応えのない返事だけだ。その冬馬は、先ほどの真広の拷問のせいで身動き一つ出来ない。

 ほんの少し前の奏斗がこんな感じだったなと、冬馬は床に寝転びながら考えていた。毎日のように痛めつけられ、それでいて嫌な仕事までやらされる。

 この五年間は、奏斗にとってどういう日々だっただろう。感情を抑制されてもなお、歯向かい続けた男。その凄まじさを、今、実感する。

「何を考えている?」

「奏斗のことだよ」

 燈葉の問いに、解るだろと冬馬は笑う。

「あいつは、あまりにも特殊だ。何に縋っていたかといえばこれ」

「――」

 ばさりと、自分の上に降って来たのはノートだった。痛む指でぴらぴらとそれを捲ってみると、細かい字でびっしりと数式が書き込まれている。

「はっ、奏斗らしい」

「そうだな。あいつは数学に、物理に逃げ込むことで、自我を保っていたんだ。本当ならば、瑠衣のようになってもおかしくない。疑念は負の感情を増大させ、脳の動きを抑制する。気力を奪う。そこに、脳に組み込まれたチップにより、さらに抑圧が掛かる。あれはセロトニンを抑制する信号を発し続けているからな。すると、総てが抜け落ちる」

「ああ」

 そういうことなのかと、冬馬は納得した。つまり瑠衣は、自分に負けた。脳に組み込まれたのは、人工的に抑うつ状態を作り出すもの。それに勝つには常に向上心を持つ以外にない、ということだ。つまり、アドレナリンを出し続けるしかないと。

「あいつ、見た目に反して闘争本能の塊ってことか」

「そうだ。抑圧されていて丁度いいくらいにな。もちろん、普段は上手く隠している。しかし一度火が付くと止められない」

「今みたいに?」

「ああ。俺を徹底的に負かした時のように」

「――」

 それは初耳と、そこで久しぶりに燈葉の顔を見る。その顔は苦々しいとばかりに歪んでいた。これもまた珍しい。

「つまり奏斗は」

「猫なんて生易しいものじゃないさ。あいつは虎のような男だ」

「――」

 飼い慣らすなんて不可能だと、言外に告げている。なるほどねと、冬馬は納得した。誰もが奏斗に執着し、総てを奪ってでも頂点に付けたい理由。その圧倒的なカリスマ性の根拠は闘争本能にあるらしい。

「織田信長みてえだな」

「違うだろ?あいつは何かを変える気なんてない。天下統一だって夢見ない。現に今、支配者としてこの国の頂点に立てるというのにね」

「でも、それをお前たちは納得していない」

「主に綾瀬遥香がな」

「かもな」

 冬馬はそうだろうと笑うしかない。結局、トップに立たせてどうにかしたいと、そう願っているのは遥香だ。燈葉ではない。燈葉は単に、そんな遙香の駒になる奏斗を見たいだけだ。

「で、お前は誰に付いている?」

「飼い主はってこと?」

 そこまで話して、まだ俺に拘るのかと冬馬は訊く。口は笑っていた。

「綾瀬遥香に対しても、お前は二重スパイなんだな」

「ははっ。ばれた?」

「なるほどね。だから、奏斗に総てを知っているのではと訊ねていた」

「――」

 知っていたのかと、冬馬の顔がいつになく真剣になる。それに燈葉は、ようやく答えかと溜め息だ。

「お前は本気で死ぬつもりなのか?」

「死ぬだろうね。俺みたいな面倒な奴、殺したいでしょ?」

「どうして、そうやって生きているんだ?」

 奏斗とは違う、別物の諦めを感じ取り、燈葉は訊いていた。こいつは何を諦め、こんな態度で生きているのだろう。初めて、興味を持っていた。

「俺は常に捨て駒なんだよ。それだけ」

 冬馬は同情なんてするなと、寝転んだまま笑っていた。

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