第50話 回想。そして戦慄

 正直に言って、奏斗には解らないことだらけだ。それは今、五年間の空白があるからではなく、小さい頃から始まっている。

「奏斗。今日からここが君の家だ。いいね」

 記憶に残る最初の衝撃はこれだろう。訳も分からないまま連れて来られた家。そこにいた、祖父だという男性。そいつに引き合わせた奴がいったのが、先ほどの言葉だ。

「――はい」

 この場合、素直に頷くのが良いのだろう。そのくらいの判断は、十一歳にもなれば当たり前に出来ていた。だから奏斗は、むすっとした男性に向けて頭を下げていた。

「そういうところは、あの男にそっくりだな」

「――」

 祖父から投げかけられた最初の言葉はそれだった。あの男?おそらく、数日前まで一緒にいた父親だろう。奏斗はそう思ったが、確認しなかった。答えてくれる雰囲気ではなかったのだ。

「穂積先生。お願いしますよ。彼の頭脳を正しく導けるのはあなたしかいないんです。この子はその、普通とは違いますので」

 引き合わせたスーツの男は、目の前でむすっとした祖父にへこへこと頭を下げていた。あれは穂積家を初めて訪れ、そして以後、自分の家になるそこの書斎に入った日だ。

 それから、小学校は普通に行った。中学からは理系専門の私学に、これは祖父の意向で行くことになった。奏斗は一度も、嫌だと言ったことはない。

 相手が嫌々育ててくれているのは、身に染みて解っていた。成績だけが、その家にいるための絶対条件だと、すぐに知った。そう、祖父の穂積颯天はその名を知らぬ者はいないほど、その分野ではとても有名な科学者だった。

 彼の言うまま、中学高校、そして大学も進んだ。将来は研究者になることが、すでにあの時、十一歳の時から決まっていたのだ。文句はない。

 ただ、そんな生活だったから、どうにも愛着というものがない。思春期まっただ中に訪れた生活の変化は、奏斗から周囲への興味というものを取り去ってしまった。総ては過ぎ去っていく何か。解らないものには関わらない。解らなければならないのは、目の前の数式であり自然現象だけだ。

「ねえ、ここ、いい?」

 それを変えたのが、あの朱鷺だった。奏斗がぼんやりと受けていた、今はもう何の講義だったか思い出せないが、教室で隣の席に座っていいかと訊ねてきたのが最初だった。

「いいよ」

 別に拘りがあるわけでもない。横に誰が座っても同じだ。そう思って、気軽に応じたのだが、これがきっかけになると、その時は思いもしなかった。

 何度か顔を合わせるようになり、世間で言う、恋人関係になった。ほぼ一方的に朱鷺がデートを設定するだけだが、奏斗はそれに付き合っていた。文句はなかったし、不思議と居心地がよかった。だから、まあいいかと受け入れた。

「あなたって、本当に猫みたいね」

 そして朱鷺は、しばしばそう言って揶揄ってきた。猫?はて。自分と猫の共通点とは何か。何度か考えたが、奏斗自身が答えにたどり着けたことはない。

「居場所にしか興味がない。そして、自分の好きなことしかしない。他には無関心。適当」

 その度に朱鷺はずいぶんと勝手に共通点を羅列してくれた。他にもあった気がするが、どうでもいいので忘れた。

「ねえ?そろそろ、私のことを居場所だって認めてくれた?」

 別れ際、よく聞かれたことだ。その時、自分はどう答えただろう。覚えていない。

 世の中の仕組みがよく解らないのだ。他者と関わるということが解らないのだ。そういう時、どういう返事を返していいのか、知らなかった。だから、何も言わなかったのかもしれない。

 十一歳の時、急に住む場所が変わって以来、いや、それ以前から、世間は奏斗に関係なく通り過ぎていくものだった。あの時までは――

「穂積奏斗。お前を逮捕する」

 唐突に現れた、あの白衣を思わせる黒の外套の集団。その先頭にいた燈葉が、逮捕状を自分の前の間に掲げるまで。

 そして世間に無理やり組み込まれたかと思えば、それはそれで、また自分に無関係に進んで行くものだった。奏斗は情報管理課の最上階に閉じ込められ、勝手に支配者として作り上げられた。

 反発は許されず、でも、納得は出来なかった。人生で初めて、反発した瞬間だったように思う。あれほど我を通そうとしたことなど、今までになかった。総ては言われるがままに生きてきた自分には、あり得ないほどの反発だった。

「ふざけるな!ここから出せ!!」

 あれほど叫んだことも、反抗したことも、今までなかった。燈葉に向け、奏斗は今までの不条理もぶつけていた気がする。そう、燈葉のしていることは祖父がしていることのように映った。

「――」

 しかし、燈葉は冷たい目を向けてくるだけだ。面倒で目障りな奴。燈葉にとってはそれだけだった。祖父と同じだった。いや、困ったことにそれだけではなかった。

「お前には、科学者として、この国を変える義務があるんだよ」

 散々真広を使って痛めつけた後、そう囁くように言うのだ。これは毎回繰り返された。まるで洗脳するかのように、毎回、頷くまで続けられた。

「科学者?」

 ここでもまだ、それがつき纏うのか。十一歳の時に突然定められた将来。それでも、祖父はやるべき内容までは強制しなかった。でも、ここでは総てが強制される。奏斗は心底呆れ、だから妥協できずに反発し続けた。あの時敷かれたレールは、こんな異常な状況でも有効だなんて、しかもさらに強力になって自分を縛るなんて、とても信じられなかった。




「あなたは今、どこにいるんですか?」

 逃走を続けながら、奏斗はふと呟いていた。自分の将来を決めた男。祖父の穂積颯天。彼は奏斗が大学に入ると同時に、その姿を消した。総ての痕跡を、その業績すら抹殺して。まるでここまでが自分の役割だったというように。

「まさか――」

 本当に裏にいるのは彼なのか。遥香さえ操る存在。それならば、自分が選ばれた理由は解る。奏斗は今になってそれに気づき、背筋が凍るのを感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます