第37話 久々の笑顔

 久々に食べたカップラーメンは非常に美味しかった。

「美味い」

 一口啜って漏らした感想に、颯斗も光輝も自分のことのように喜んでくれる。満面の笑みで美味いよなと同意してくれた。

「初めてお前から人間らしい言葉を聞いた気がする」

 しかし颯斗の口から放たれた次の言葉は酷い。奏斗は真剣にラーメンを啜っていたが、さすがにその一言で止まる。

「こらっ。仕方ないだろ。ずっと気を張って生きていれば、感情は平板になる。それに話すことにも警戒するからな」

 注意した光輝だが、同じような感想を抱いていることは解った。それに奏斗はどういう顔をしていいのか解らない。

 そう、感覚は徐々に大学で働いていた頃に戻っている。それが不思議だった。あれだけ散々な目に遭い、さらに今や国民から大悪党のマッドサイエンティストだと思われているというのにだ。おかげで、その取り戻した感情の処理に困ってしまう。

「普通にしているのがいいんだよ。お前がどこにでもいる普通の奴だ。そう思えたから俺は朱鷺さんの力になって助けようと考えたんだ。これがテレビどおりの澄ました奴だったら、本気で殴って終わるね」

 颯斗はそう言って笑う。一体朱鷺は何を語ったのだろうか。非常に不安だ。奏斗は思わず箸を持ったまま額を押さえていた。

「そうだよな。お前さ、あの美人をどうやって捕まえたんだよ?女なんて興味ないって面しておいて、やることはちゃっかりやっているよな」

 それに光輝が悪ノリしてそんなことを訊いてくる。奏斗はどうやってと困惑だ。

「ほら、きっかけがあったんだろ?お前も今後の参考に聞きたいよな?」

 光輝は妙な顔をして固まる奏斗に、颯斗も何か言えとそんな同意を求めてくる。

「ま、まあねえ。でも、朱鷺さんもどうして付き合っていたんだろうって疑問に思っていたぜ。案外適当なんじゃないか?」

 颯斗としては興味があるのは二人がどこまで進んだかだが、さすがに大学の先生を前にして訊ける内容ではなかった。それに朱鷺の反応は猫と一緒に過ごしたという感じでしかない。

「どうして付き合ったと問われても、成り行きとしか。彼女が俺に声を掛けてくる奇特な人だったってことですよ」

 奏斗はもうこの話題は終わりだと、再びラーメンを啜ることに集中してしまった。それに二人は本気で覚えていないなと溜め息を吐く。

「奏斗ってさ、大学でもこんな感じだったわけ?」

「あ、ああ。そうだな。自分のやりたいことには没頭するが後は適当。研究室の飲み会にも来たことがない」

 こっそりと問う颯斗に、こいつは普通に戻っても何かがずれているぞと光輝は笑う。なるほど、ますます猫みたいと言われることが解るエピソードだ。

「にしても、そんな奴を5年も縛り付けるって、相当な努力が要りそうだよな?」

 ふと、颯斗はそんなことを思った。朱鷺にしても光輝にしても、奏斗は興味のままにしか動かないという。そんな奴を5年もの間監禁するには、やはり普通にはいかないだろう。

「だからあれとか必要だったんだろ?奏斗の食事拒否にも手を焼いたというじゃないか」

 光輝は朱鷺から聞いた、そして見せられたやつれた奏斗の姿を思い出して言う。目の前の奏斗は元気にラーメンを啜っているが、こうして食事を口にするのは何時振りなのだろう。そんな疑問も過る。それに右腕に付けられたあの電流が流れる装置。様々なことをやって、5年もの間奏斗の思考を制御したことが窺える。

「ご歓談中失礼します。秋葉さんと連絡が取れましたわ。穂積さん」

 まだラーメンを頬張る奏斗に向け、現れた冬実がじっと見つめる。

「何?」

「少しですが、秋葉さんと話されますか?」

 意外な申し出に、奏斗はきょとんとなった。そしてどうしようと二人を見る。そのあまりに普通の反応に、颯斗も光輝も吹き出した。

「話せばいいだろ?未だに朱鷺さんが本気でやっているのか疑っている感じだし」

 颯斗がそう笑うと、光輝もそうだなと同意する。交信するのはリスクがあるが、二人のことを思えばやるべきだ。それにこれから先の道のりも長い。

「じゃ、じゃあ」

 奏斗がおずおずと言うと、冬実は普通のスマホより厚さのあるものを差し出した。

「これで話せます。番号は一つしか登録されていませんから」

 どうぞあちらでと、冬実は自らがここに残って奏斗に向こうの部屋へ行くよう促す。二人だけの時間を設けるということだ。

「は、はい」

 妙に緊張するなと、奏斗はにやにや笑う二人を睨みつけてから立ち上がった。しかし、何を話せばいいのだろう。ドアの向こう、ランタンの置かれた小さなテーブルに向かいながら奏斗は悩む。

「ちっ」

 礼を言うしかないか。そう覚悟を決め、ドアから誰も覗き見していないことを確認して電話を掛ける。たしかに番号は一つしか登録されておらず、そしてこの電話が盗聴を避けるために細工されたものだとも解った。

「冬実さん?さっきの電話で打ち合わせしたばかりなのに」

 電話に出た朱鷺は、何か慌てたような調子で言う。それに奏斗は大きく息を吸い込んでいた。ああ、本当に彼女は動いていて、あの冬実という女は味方なのだと安心してしまう。

「冬実さん、じゃないわね。誰?」

 答えない相手に朱鷺は不審に思ったのだろう。声が厳しくなる。

「――俺だ。奏斗」

「――うそ」

 奏斗が呟くように言うと、朱鷺が息を飲むのが解った。どうやらこの展開は冬実の独断だったらしい。

「嘘じゃない。その、俺」

 礼を言う。そう覚悟を決めて電話したはずなのに、奏斗はそこで言葉が途切れてしまった。どうにも苦手なことだ。というか、他人に礼を言うなんてほとんどしたことがない。すると朱鷺が笑い始めた。

「何だよ?」

 思わずむっとすると、より一層楽しそうに笑う。よかった、元気なようだと奏斗も安心してしまった。

「相変わらずでよかったわ。その調子なら、大丈夫。待っているわ」

 朱鷺はそれだけを言う。待っている。その言葉がどれだけ嬉しいか。知ってて言っているのだ。だから奏斗は気恥ずかしくなる。

「無理をするなよ」

「お互い様よ。奏斗、私は、あなたを助けたいだけだから」

 あまりにストレートな言葉に、奏斗は凄いなと素直に感心していた。自分は今、足元が揺らいで戸惑っているだけだというのに。それどころか、理不尽な運命を受け入れるしかないと考えているのに。

「がんばるよ」

 それだけ言い、奏斗は電話を切っていた。これ以上は話し出したら止まらなくなりそうだ。いくら盗聴防止をしていても、長い時間電話をしていれば捕捉される。

「待っている、か」

 付き合っている時にも、彼女は何度かその言葉を意識して使っていたな。ようやく思い出が蘇り、奏斗の口元に自然と笑みが浮かんでいた。





 課長室に連れて来られた尊は、自分をどうするつもりなのかと燈葉を睨む。どうにも燈葉の動きが読めなかった。しかしこの実験を彼だけで行っているわけではないというのは理解している。

「なに、難しいことは頼まないさ。君はコンピュータに強そうだからね。しばらく俺の補助をしてくれればいい」

 もう特殊メイクは外せと、燈葉は笑う。そして制服を着たままでいいとも付け加えた。尊はそろそろ顔のかゆみが限界だったとその言葉に甘える。が、補助とはどういうことなのか。

「へえ。なかなかのイケメンだね」

「――男から言われても嬉しくないです」

 素顔を現した尊に向け、燈葉がそんなことを言ってくるので脱力しそうになる。この人、顔にコンプレックスがあるんだろうか。別に悪くはないというのに。

「まあ、そうだろうね。それより仕事の話をしよう。そこに掛けてくれ」

 燈葉は自分の机の横にあった椅子を引き寄せ、そこに座れと言う。そんな至近距離で話すのかよと尊は嫌だったが、ここは逆らわない方が身のためだ。大人しくそこに座る。

「それで、仕事ですか?」

「ああ。君には正式に職員としてのIDを渡そう。いいか、これは政府を出し抜き、新たな方法を生み出すための闘いだ」

 燈葉の言葉に、尊は思わず息を飲んでいた。

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