第36話 思い出の図書館

 朱鷺の元に情報管理課の動きが伝わったのは、大学襲撃が終わった後だった。

「まさか、こんなことをやるなんて」

 今すぐに現場に駆け付けたい気持ちを抑え、朱鷺は海羽がハッキングしてくれた監視カメラの映像で大学の様子を確認する。多くの学者が情報管理課に拘束されている様子が映し出されていた。

「管理課も必死ですね。奏斗さんを逃がしたのは、こういう異分子を炙り出すためでもあったんですね」

 海羽も複雑な気分でその映像を見つめた。もし自分たちが動かなければ、彼らは安全な大学でずっと研究出来たのだ。もしこの計画が失敗したら、彼らに合わせる顔がない。

「――しばらくの我慢と、頑張ってもらうしかないわね」

 ここまで多くを巻き込まずに活動していたのは、こういうことを警戒してだった。最終段階で起こったことに関しては、しばらくの間だけと信じて動くしかない。

「それにしても奏斗さんたちが心配です。まさかテロリストが誘拐したなんてシナリオを用意していたなんて。尊君も帰って来ませんし」

 ここに来て不利な条件が重なりつつある。こうなると、情報管理課に潜入した尊も捕まったと考えるしかなさそうだ。

「そうね。多くの人に奏斗が外にいると知ってもらうには、効果的だと私も思うわ」

 だからこそ、朱鷺はそこまで読めなかったことが悔しい。やはり敵は燈葉だけではないのだ。その後ろで動いている燈葉の継母の遥香は、朱鷺たちの考えの数段上を行く作戦を立てているのだ。

 遥香について、光輝からかなりの情報を得られている。それまでそんな人物が情報管理課を立ち上げたとは知らず、ずっと燈葉にばかり目が行っていたのも彼女の策略だったのだ。

「ずっとヒントは提示されていたのよね。颯斗君たちが、瑠衣という妹がいると知らせてくれた段階から」

 そこでもっと踏み込んで調査していれば何かが変わったかもしれない。しかし再婚相手の息子を手先に使うとは思いもしなかったのも事実だ。

 再婚相手である燈葉の父親は至って普通の人だ。技術者であること以外に特筆すべき点はない。今も民間企業で新たな家電の開発をしているということは、早い段階で掴めていたことだ。そして、その父親が技術者であるために繋がりなしと判断され、家族関係を調べることが疎かになった。これも作戦の一つだったのだろう。

「敵が燈葉から綾瀬遥香に変わるというのは、非常に面倒なことだわ。こちらは情報を持っていないし、何よりどこまでが彼女の作戦なのか読み解く方法が解らない。どうして奏斗に目を付けたのかも。燈葉だって、ただ言いなりになっているとは思えないし」

 ここに来てより面倒な事態になっていると、朱鷺は眉間に皺を寄せる。しかしすでに一刻の猶予もない状況だ。悩んでいる時間はない。

「奏斗を捕捉して頂戴」

「はい」

 大学でのことは後回しにし、今は合流を最優先させるしかない。奏斗が情報管理課とは無縁である。それどころか被害者であることを世間に知らしめないことには、誰も今の状況を疑問に思わないままだ。

「革命を起こすのは、今しかない」

 朱鷺は自らに言い聞かせるように呟いていた。





 細い通路を抜け、何度か大通りを横切ったものの誰にも見咎められることなく目的の場所に着いた。

「すげえな。お前って昔から人目を気にして生きていたのか」

 目の前に現れたカフェも併設された小さな図書館に、颯斗はそんな感嘆の声を上げる。

「まさか。人混みが苦手なだけだよ。道路は昔とそれほど変わっていなくて助かったな」

 奏斗も無事に図書館に着いてほっと息を吐き出す。灯りの灯らない小さな図書館は、自分がちゃんとこの世界に生きていた証明のように思えた。

「何はともあれ、朱鷺との合流が果たせそうだ。中に入ろう」

 光輝は後ろを振り返って見張りがいないか確認する。しばらく付いて来ていた二人組は、颯斗のニュースが流れると早々に退散していた。どうやら進捗状況を確認するために放たれたスパイだったようだ。だからこちらを邪魔することはしなかった。

「向こうは総てお見通しです。どこまで通用するか」

 同じく後ろを振り向いた奏斗は難しい顔になる。先ほどの地下道では妨害があったというのにここではすんなりと通した。それが疑問になる。それに、燈葉ならばすでに電流の腕輪が使えない事実に気づいているはずだ。本当にこのまま合流させるだろうか。

「ま、考えても仕方ないってことだろ。さっさと行こうぜ」

 頭で考えてばっかりだと何もできないぞと、颯斗は悩んでいる奏斗をせっつく。それに光輝はその通りだと苦笑した。

「俺たちもまさに考えても仕方ないことを悩み過ぎた。本当ならば科学が悪用されていることを止めなければならないというのにな。行こう」

 光輝もそっと奏斗の肩を押した。

「――そうですね」

 たしかにこちらが読めないのならば考えるだけ無駄だ。しかし、それは燈葉の計画通りに動くことと何も変わらない。どこかで情報を得るなり逆転するための方策を掴めないと意味がないのだ。徐々に奏斗の中でどうやれば勝てるのかという思考が復活している。

 三人揃って中に入ると、埃っぽい臭いが鼻腔を擽った。それだけで、ここがすでに図書館として機能していないのだと知る。

「なるほど。外れだから監視も外れたのか」

 そんな虚しい言葉を漏らしてしまう光輝に、笑えないんだよと颯斗の蹴りが飛ぶ。こちらは光輝に対する遠慮が飛んできているのだ。

「燈葉は俺のことを嫌というほど調べているようだからな。あの葉月真広という博士しかり。こんな些細な場所でも残しておきたくなかったんだろう」

 図書館の中の備品はそのままだ。本もふんだんに書架に入っている。急にここの閉鎖が決まったことを、静かに物語っていた。

「確かに場所は消されました。しかし、私たちの気持ちまでは消せませんよ」

「――」

 暗闇から急に聞こえた声に、三人ははっと息を飲む。振りかえると、眼鏡を掛けた長い三つ編みの女性が優しく微笑んでいた。年齢は50歳半ばだろうか。

「穂積さん、お久しぶりです。そちらのお二人は初めまして。私はここで司書をしていた大河内冬実です。穂積さんは覚えてらっしゃいますか?秋葉さんはよく覚えておられて、図書館を避難場所にしたいとの計画を私にも言ってくださったんですよ。ここが閉鎖されると知っていたのに」

 そう言って大河内冬実は静かに笑う。この小さな図書館に相応しい静かな雰囲気の女性だ。

「――すみません。人の顔を覚えるのは苦手なもので」

 奏斗は覚えていないと素直に謝罪した。燈葉ですらこういう奴がいたなというレベルだった五年前の自分を思い出し、覚えている可能性のなさを痛感する。

「いいんですよ。来られる度に熱心に本を読んでいらしたものね。早速ですが、ここから秋葉さんの待つアジトは遠いです。さすがに情報管理課が潰した場所の近くに設置するのは危険と判断されたようですね。しかし地下道の設置は行っています。それが通じているのは、ここからすぐの公立図書館です。そこからさらに大学などを経由した先に、秋葉さんの待つビルへと抜けることになります」

 いいですかと、冬実はここから先もまだまだ大変だということを真っ先に伝える。

「それってあちこち迂回して最後に辿り着くって感じなのか?」

「ええ。というのも、図書館や大学の多くがこっそりと秋葉さんを手伝っていますが、さすがに言い逃れの出来ない証拠は残せないとの思いもあります。入り組んだ道になっているのは、情報管理課が調査に入った場合に言い逃れできるようにです。ですから、トラップにも注意が必要です。とはいえ、私たちがちゃんと案内しますのでご安心を」

 嫌だなという顔をする颯斗に、冬実はにっこりと笑った。つまり彼女もこの逃走に手を貸してくれるというわけである。

「大丈夫ですか。その」

 女性に無茶はさせられないと、朱鷺を止められなかった光輝は渋い顔になる。何だか男の自分の立場がない。

「大丈夫ですよ。これでも一応、護身術くらいは心得ております。あまり時間がありません。私が秋葉さんに連絡を入れている間に食事と休憩を」

てきぱきと指示を出す冬実は、カップ麺しかないけれどもと申し訳なさそうだ。

「いやいや腹が膨れれば」

 急に空腹を思い出した光輝は嬉しそうに言う。

「俺も。奏斗だってあそこでカップ麺なんて出なかっただろ?」

「あ、ああ」

 素直に提案を受け入れる二人に、大河内冬実という名前に何か既視感を覚えるなと思う奏斗は曖昧に頷くのだった。

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