第32話 協力するのは?

「これより、実験の開始について説明します」

  国会の委員会室に、凛としたよく通る声が響く。声の主は綾瀬遥香だ。その横には燈葉の姿もある。

「ようやくですか。我々の王子様は随分と行動に時間が掛かるようですね」

 そんな声が、どこからか漏れる。しかし遥香に睨まれるとすぐに黙った。

「時間が掛かったのは仕方ないことです。ただでさえ、社会のシステムを変えるものですからね。その責任の総てを穂積奏斗が担っているんです。彼の意思が薄弱では困るんですよ」

  遥香はこの五年間は必要だったのだと強く主張する。その力強さに、実態を知る燈葉すら飲み込まれていた。

  やはりこの人を越えるのは簡単ではないな。燈葉はそっと溜め息を吐いてしまう。奏斗を使って勝ちたいと願うものの、事は遥香の望むとおりに進むのみだ。

「初めて、穂積奏斗が民衆の前に姿を現します。それにより、国民はより奏斗を意識することになる。これこそが重要なのです。単なるシステムによる支配ではない。ちやんと司る人間がいる。不思議なことですが、この意識が人間には必要不可欠なんですよ。反発しつつも受け入れるにはね」

  遥香はそう説明し、侮蔑するような笑みを浮かべる。情報科学が総ての彼女にとっては、理解出来ない意識なのだ。しかしそういうものだと頭では理解している。それがこの顔に現れていた。

「なるほどね。それで奏斗の脱走劇が必要だったと。一瞬、先生は乱心したのかと思いましたよ」

  ははっと、委員長席に座る議員が笑ったが、それに追従する者はいない。この場での支配者はやはり遥香なのだ。

「奏斗が人間らしさを見せれば見せるほど、この実験は成功となります。いいですね?」

 遥香の声に、その場は静まり返った。この実験が何を意味するのか。その真意を参加者は知らないというのに。

「あいつを利用するのは、俺だ」

  そんな中、燈葉だけは反発心を強めていた。





「先ずは着替えないとダメだな」

  下水道の爆発現場から少し離れたところで、大輝は自分たちが目立つことに気付いた。全員が埃まみれだ。これでは奏斗だということが、すぐにばれてしまう。

「着替えるって言っても」

  替えの服なんて持ってないと颯斗は口を尖らせる。

  その間も奏斗はきょろきょろと街中を見つめていた。5年の空白を埋めるように、そして自分の居場所がもうないと確認するかのように、熱心に見つめている。

「奏斗」

  その横顔がどこか寂しそうで、颯斗は大丈夫かと顔を覗き込む。

「変わっていないところも多い。懐かしく思う。だから、ちょっと苦しいな」

 奏斗は正直な気持ちを打ち明けた。ここがもっと変化していれば、自分が支配者に仕立てられたことをもっと実感できただろう。しかしそうではないのだ。

「――苦しい、か」

 その感覚は颯斗には理解出来ないものだ。颯斗だって奏斗のことを意識し始めたのはここ2年くらいだ。変化は急速ではなく徐々に進んでいた。

「ここから一番近いのは、佐藤先生の家だ。図書館には遠回りになるが仕方ない」

  その間に場所を確認した大輝が行き先を決める。買い物をするにはIDカードが必要で、それで足が付いてしまう。ここは知り合いに服を借りるしかない。

「佐藤先生って、まさか佐藤元先生ですか?」

 奏斗の問いに、大輝はそうだと頷く。すると奏斗の目が大きく見開かれた。

「嘘でしょ?彼が助けてくれるはずがない」

  咄嗟に奏斗の口から否定の言葉が漏れる。

「いや、この件で大学やその他の科学者をまとめてくれたのは佐藤先生だ。だからこそ、寄る価値もある」

  実際、大輝もあの場で元が反対を表明すれば大学を辞める覚悟をしなければと思っていた。しかし、元もずっと違和感を持っていたのだ。朱鷺の情報に、協力を決めてくれた。

「変な人ばかりだ」

 奏斗は理解出来ないとばかりに吐き捨てる。それは拗ねているのと変わらなかった。動けるならばどうして今まで放置していたのか。そう思ってしまう。

「お前に変人扱いされる日が来るとは思わなかったよ。大久保君、奏斗から目を離さないでくれ」

 大輝は苦笑すると、奏斗が気心を許す颯斗に面倒を任せる。

「それはいいけど、朱鷺と連絡を取らなくていいのか?」

  当初から大幅に計画がずれているはずだ。リーダーを無視していいのかと心配になる。

「それは大丈夫だ。向こうには情報収集を得意とする奴がいる。どういうルートを通るか、その予測くらいお手の物だ」

  海羽がいるから問題ないと、大輝はさっさと歩き始めた。

 






 その海羽は錯綜する情報にパニックとなっていた。あちこちに奏斗に関する情報が現れる。それはもちろん、情報管理課が流しているものだ。

「まさか燈葉自ら逃走の情報を流すなんて」

 ガチャガチャとキーボードを打ち続ける海羽を見ながら、朱鷺は簡単にはいかないと表情を険しくする。

「こうすれば有象無象の情報がネットに蔓延ることになりますからね。奏斗本人の目撃が出れば爆発的に拡散すると解っているんですよ」

  要らない情報を消しながら、海羽はイライラと答える。これはある意味情報戦だ。正しく把握出来ない方が負ける。

「なるほどね。こちらがこの機会に奏斗を保護するのは解りきっている。私たちを撹乱しつつも目的を達するには、この方法が一番ってわけか」

 よく考えられていると、朱鷺は思わず感心した。燈葉は初めからこの機会が来るのを待っていたのだ。それまでに奏斗がどれだけ疲弊しても関係ない。ただ憎まれる支配者。それを生み出したかったのだ。

「ここで管理課の思う通りに進んだら、二度と奏斗さんに会えなくなります。それは避けないと」

 海羽は真剣にそれを危惧している。奏斗を取り戻すにはこの一回のチャンスしかない。それは事実だ。ここで再び捕まれば、本当に支配者として生きる以外に道はない。

「皆を信じましょう」

 今、朱鷺に出来るのは協力してくれる総ての人を信じる。それだけだった。






「奏斗の現在地は?」

 一方、追う冬馬も大変だった。爆発騒動で道がなくなっている。 それだけでなく、野次馬や復旧にやって来た役人で現場は大混乱だ。奏斗に仕込んだ信号を追うのは容易ではない。

「ここから裏路地に入っています。距離にして300メートル先」

 顔色一つ変えずにそう報告する瑠衣もさすがに大変そうだ。情報管理課の制服を着ているので、市民の妨害に遭うことはないが、真っ直ぐには進めない。

「裏路地か」

  何処へ向かっているんだと、見当もつかない冬馬は焦る。このままではすぐに奏斗は民衆の悪意に曝されるのではと怖くなる。

「先回りしましょう。ここに奏斗が現れる可能性は20パーセント以下です」

 多くの人がいるところで捕獲するのが理想だが、もっと落ち着いた場所でなければ無理。そういう判断もあって瑠衣は提案する。

「そうだな」

  でもその前にと、冬馬は群がる野次馬の隙間から現場を覗き見た。

 あの下水道で間違いない。このまま進んでいれば問題なく朱鷺と合流出来ていただろう。だから瑠衣は電気ショックで奏斗を止めた。

「拙いな」

 燈葉は何もかも掴んでいる。勝ち目はないかもしれない。冬馬は初めて負ける可能性を考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます