第29話 完璧な実験計画

 下水道脇の通路を慎重に、しかし小走りに進んでいた三人だったが

「いっ」

 急に奏斗が唸り声をあげた。そしてそのまま足が止まってしまう。

「どうした?」

 颯斗と光輝が振り向くと、奏斗は蹲ってしまっている。そして右腕を押さえていた。

「まさか、電流か?」

 必死に声を押し殺して耐える奏斗の姿に、颯斗はあのバンドのせいかと気づいた。

「電流だと?」

 それは何だと、事情を知らない光輝は驚きながらも奏斗の顔を覗き込んだ。すでに冷や汗をびっしょりと掻き、顔は蒼白だ。相当な苦痛が襲っていることが手に取るように解る。

「穂積。しっかりしろ」

 右腕を押さえていることからそこに何かあるのは解る。まさかここまで苦しめているとはと、自分がのんびりと構えていたことが腹立たしくなった。

「燈葉は奏斗の右腕にいつでも電流を流せるバンドを付けたままにしていたんだ。おそらく、今の動きを燈葉がよく思っていないということだと思う」

 颯斗も見ていることしか出来ないことにイライラしつつも、光輝に状況を説明した。奏斗の先生だという光輝ならば何か対処法があるのではと、それを期待した。

「バンド。穂積、ちょっと手を退けろ」

 電流のせいで震えて動かない手を光輝は支え、何とか巻き付けられた黒色のバンドを確認する。それは裏に電流を流せるチップがぐるっと一周組み込んでるもので、皮膚が接触している限り電流を感じてしまうものだった。奏斗の苦しみ方から考えて、その電流は半端なものではない。

「絶縁体があればいいんだが、取り敢えずここを離れよう。大久保、そっちを支えてくれ」

 僅かに隙間があることは確認できたが、すぐに電流を遮断できるものが見つからない。ともかく、電流が流れる前の部分まで戻るしかなかった。

「奏斗、少しの我慢だ」

 颯斗は苦しむ奏斗の身体を必死に支える。あまり近づくと自分まで痺れてしまうから難しい。

「やっぱ、あいつは最低だ」

 こうして苦しんでいるところを直接見ると、あのSDカードを使って必死に訴えていた時の奏斗の顔が浮かぶ。脱出したくて仕方がない。そう思って当然だ。それなのに、脱出は単なる実験でしかなく、こうしてまだ苦しみが続いている。それに颯斗の感情がふつふつと沸き立っていた。燈葉のことは絶対に許せない。

「綾瀬か。まさかここまでやっているとはな」

 断片的な情報では解らないことだらけだなと、光輝も奏斗を支えながら悔しくなっていた。朱鷺が必死に取り戻そうとしていたのを、どうしてもっと早く助けてやろうという気持ちにならなかったのかと悔やまれる。が、奏斗が本当に何もしていないとの確証はなく、また情報管理課を裏切るリスクを考えると動けなかったのは事実だ。

「もう、大丈夫です」

 しばらく戻ると、奏斗の呼吸が楽になった。まだ痺れは残っているものの、バンドから電流が流れている感じはない。

「そうか。ここで休もう」

 光輝は奏斗を座らせ、戻った道を見てしまう。あの先、もう少しで下水道を脱出できるところだった。その先は人通りの少ない裏通りとなっている。誰にも気づかれずにアジトに近づくための、安全なルートだったのだ。

「燈葉は奏斗を国民の憎悪に晒したいんだ。誰にも気づかれずに脱出させないよう、先に手を打っていた」

 颯斗もそこから脱出できると聞いていただけに唇を噛んだ。そしてこれが実験なのだということを強く意識することになる。燈葉の意図していないことは何一つ出来ない。総てあいつが計画したとおりにしか進まない。

「逃げられないんだ。解っていたけど」

 落ち着いた奏斗も落胆を隠せない。光輝と再会してどこかほっとした気持ちもあっただけに、自分の嫌な予感が当たったことが悲しくなる。

「諦めるな。ともかく、そのバンドを対処しないとダメだな。最初はきっちりまかれていたんだろうが、お前が痩せたことによって隙間が出来ている。ここに絶縁体を入れておけばいい」

 光輝は言いながら身に着けているもので何かないかと探し始めた。しかし走って逃げることを想定していたので必要最低限のものしかない。

「俺、やっぱり痩せてますか?」

 奏斗は電流を止めることより、そちらが気になって訊いていた。どうなってもいいと食事を拒否していたが、ここ数週間は無理やり栄養を突っ込まれている。今の自分がどういう姿なのか、あまり解っていなかった。それに閉じ込められていた部屋には鏡がなかったので、この五年間の姿はパソコンに映った自分の顔を見る程度で詳しく知らない。

「痩せてるよ。昔から細身だったが、それでも痩せているなんて感じないほど健康的だった。それなのに今は――そんな姿になるまで、俺は助けようと思えなかったんだな」

 その姿は後悔をより強くしたよと、光輝は溜め息交じりに言った。今の奏斗は痩せすぎだ。どれだけ本人が元気に振舞っていても、この五年間で蝕まれた身体はまだ戻っていない。

「二週間前くらいの映像と比べると、少しはマシだけどな」

 あまり場が暗くならないようにと、颯斗はそう付け加えた。光輝はまだあの映像の奏斗を見ていないのだなと気づいたからだ。これでも本人が大丈夫と思えるくらいにはなっている。

「そうか」

 履いている長靴しか絶縁体になるものはないなと、光輝はそれを解体し始める。その間に水分を取れと、颯斗と奏斗に持って来ていたペットボトルを渡す。

 奏斗の手はまだ震えて水を飲むのも苦労する状態だったので、颯斗が飲ませることになった。その姿がより痛々しさを感じさせるものだったのは言うまでもない。

「他の奴らは大丈夫かな」

 何かがおかしいと感じていて、そして奏斗が利用されていることは知っているとしてもこんなものだ。光輝は大学の面々がちゃんとした行動を取れるのか心配になっていた。





「暴動なんてそう簡単に起きるのか?」

 同じ頃。痛む身体を引きずって動くのは冬馬も同じだった。奏斗がビルの外に出たとの報告を受け、いつでも救出できるようにと冬馬も外へと出ている。今は情報管理課の近くのビルの屋上から奏斗にこっそり取り付けられている発信機の電波を追っていた。

「海羽の扇動を利用し、人々の感情を増幅させることには成功しています。情報管理課だけに反発することは、一般の人々には無理ですからね」

 冬馬の独り言に近い呟きにそう答えるのは瑠衣だ。その顔にはやはり感情らしいものがなく、答える姿はアンドロイドと変わらない。しかし瑠衣が本物なのは夏実が確認している。それにこうしてしっかり燈葉から言われた仕事をこなしている時、これでも興奮を示す脳波が観測されているというのだ。

「管理課への恨みイコール奏斗への恨み、か。その指摘を覆すのは無理だな」

 俺も逃げられないなと、冬馬は奏斗を逃がすチャンスを窺いつつも難しいと実感せざるを得ない。瑠衣は首輪以上の枷だ。それは冬馬もすでに気づいている。

「奏斗の脱出ポイントはこちらで調整しています。どこまで進んでいますか?」

 焦る冬馬に対し、瑠衣は淡々とそう確認してくる。何もかも、握っているのはこの瑠衣だ。奏斗の電流も今は瑠衣が流している。

「ビルから600メートル進んだところだな。ここで止まっている」

 あの電流の影響を受けない発信機とはどこにあるのだろうと、冬馬はふと疑問に思う。先ほど瑠衣が容赦なく奏斗のボタンを押したところは見た。しかし、発信機はその電流の影響を受けることなく冬馬の持つタブレット端末に情報を映し出していた。

「その先のマンホールから外に出るつもりだったようですね。それは困ります。人気のないところに入られると、暴動のある場所へと誘導するのが難しいですから。電流の影響で100メートルは手前に戻ったようですね」

 瑠衣は淡々とした口調を崩さずに言う。これが燈葉だったら少しは笑うことだろう。それがなく言われるのは、本当に奏斗をモルモットとして扱っているようで不快感があった。

「そんなことをしていたら下水道から出て来ないだろ?そうなると本末転倒だぜ」

 しかし瑠衣にそれをぶつけても意味がない。冬馬は自分の不甲斐なさを感じながらもどうするつもりか訊いた。反撃のチャンスがあるならば自分が奏斗を救出する段階しかない。今はそう言い聞かせるだけだ。

「それは大丈夫です。そこから少し戻ったところ、正確には23メートル戻ったところに別のマンホールがあります。先に進めないとなればそこから出るしかない。そこも大通りから外れているので選択肢に入るでしょう。問題はそこからです」

 絶対に出てくるとの確信と、そして先を問題視する。これに冬馬は目を鋭くしていた。

「実験計画は完璧ってわけだ」

「当然です。兄のすることは、いつも完璧ですから」

 皮肉に対して返ってきた言葉に、冬馬はより悩まされることになった。

「くそっ」

 燈葉への恨みが、冬馬の中でも大きくなっていくのだった。

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