第28話 合流

ネットでは得られない情報がないか。そう期待を込めて奏斗の戸籍に載る本籍地に来てみた朱鷺だったが――

「あの燈葉が見落とすわけないか」

 夕闇に染まった街中で独り溜め息を吐くことになる。

 そこにあるのは普通の街並みだ。そして奏斗の生家があったと思われる場所は、すでに他の家族が住んでいる。

 ID管理が進み、情報管理課が常に目を光らせるようになったとはいえ、日常生活に支障はないのだ。街中は今までと変わらず人々が生活しているだけだ。子どもが公園で遊び、買い物帰りの主婦や学生、そして仕事を終えた会社員が行き交う。

「何をやっているのか、解らなくなる瞬間よね」

 誰もが普通に暮らしているのではないか。自分だけがおかしくなったのではないか。そう感じてしまう。朱鷺は子どもたちが鬼ごっこをしている公園に入ると、ベンチに座ってぼんやりとしてしまった。

 ここに情報管理課への不満を持つ人はいないのだろう。そう思うと虚しくなる。結局苦しんでいるのは奏斗だけなのか。そう思えてくるのだ。

「そんなんだと、奏斗が捕まえに来るぞ」

「――」

 急に聞こえた言葉にドキリとなる。朱鷺が目を向けると、転んでしまった子どもに掛けられた、悪戯っ子の言葉だった。

「そうそう。使えない奴をとっ捕まえてるって話だもんな」

「変な実験をしてるって。その実験体にしているんだって、父ちゃんが言ってた」

 周りの子どもたちもそんな悪戯っ子の言葉に乗って口々にそう言いだす。そうだ。日常はあってもやはり情報管理課の存在は確実に生活に根付いている。そして、悪意を向けられるのは奏斗でしかないのだ。

「――もう、どこにもあなたの帰る場所はないの?」

子どもたちが何事もなかったかのように鬼ごっこを再開しても、朱鷺の心は暗くなる。夕闇が濃くなるのと同じように、黒い気持ちが増える。

「私は、まだ信じているのに」

 戻れる場所がある。それは光輝が協力してくれたことでも解っている。でも、敵は圧倒的多数を占める民衆だ。決して情報管理課だけではない。

「負ければ、本当に燈葉の望む通りの国になる」

 それだけは阻止しなくては。朱鷺は暗くなる自分に喝を入れ、ベンチから立ち上がると手掛かりを求めて歩き出した。





 その頃。まだ変装のまま情報管理課の中を進む尊は、職員たちの動向に目を光らせていた。

 奏斗への実験が始まったのならば何か動きがあるはず。そう思って廊下を歩きまわっているのだが、どこも通常業務以外に何か動きがあるように見えない。

「どういうことだ?支配者として作り上げた奏斗に関わることだというのに」

 違和感に尊は頭を悩ませる。普通、もっと緊張状態になっていてもおかしくないのではないか。

「このデータ解析、またやれってよ」

「ああ。何でも政府からの依頼らしいな。また奏斗が新しいことでも思いついたんだろ?」

 すれ違う職員の会話が耳に入り、尊は少し驚いてしまう。ここに働いていても国民と変わらないレベルの情報しか得られない職員もいるのだ。今の二人は末端なのだろう。やっているのは奏斗だと信じ切っている。

「一部だけなんだ。ということは、奏斗の脱出という実験はとんでもない混乱を引き起こすのではないか」

 そんな懸念が頭をもたげる。一体、燈葉は何を考えているのだろう。ますます訳が分からない。

「あっ」

 そんなことをつらつらと考えていた尊は、今度は本気で驚くことになる。

「瑠衣」

 前から歩いてきたのは、情報管理課の制服に身を包む瑠衣だ。一緒に歩いているのは夏実だが。尊は知らないので本当にここで働いているようにしか見えない。

「大河内さん。これから実験が本格化します。長谷川さんの動きの監視をお願いしますね」

 瑠衣が事務的な声でそう言うのが聞こえる。実験。長谷川。その二つから瑠衣は明らかに奏斗の実験に絡んでいるのだと解る。

「うそだろ?」

 俯いてやり過ごした尊は、瑠衣の背中を見ながらそう呟くしかない。あれだけ一緒に頑張ろうと言っていたのに、瑠衣は今や情報管理課の中枢にいるのだ。

「――燈葉か」

 あいつが瑠衣を変えてしまったのだ。それに気づき、尊はやはり闘わなければと決意を新たにする。そして、逃げた奏斗と合流すべく足早に廊下を進み始めた。






 その奏斗はついにビルを抜け出し、下水道に辿り着いていた。

「相変わらず臭っ」

 ここから先は案内できる颯斗だが、強烈な臭いに顔を顰めてしまった。この下水道、明らかに管理が悪い。恐らく侵入を防ぐためなのだろうが、それにしては悪臭だ。

「ここにSDカードは流れ着いていたのか」

 奏斗も鼻を抓みつつ、周囲に目を向ける。ここを抜ければもう普通の世界だ。そうだというのに、高揚感は全くない。むしろ緊張で胃が痛む。

「そうだよ。それを二重スパイしていた冬馬が総て回収していたんだ。朱鷺さんに届けるためにな。もちろん、冬馬は情報管理課が間違っていると思うからその仕事をしていたんだぜ。勘繰ってやるなよ」

 朱鷺をわざと巻き込んだのでは。そう疑うのが解ったので颯斗は先回りしてそう言う。随分と奏斗の扱いに慣れてきたものだ。颯斗自身も呆れてしまう。

「なるほど。彼が色々と探りを入れていたのは解っていたが」

 自分に対してまで疑いの目を向けていた冬馬に、一つでも確実な情報が欲しかったからかと一応は納得する。

 たしかに自分は燈葉と一緒にいる時間が多いので、様々なことを知っている。しかし実態を知っているわけではないのだ。だから疑いの目を向けられた時は不快に思ったのは事実である。それに朱鷺と通じていたというのも納得できないところだった。

「でも、他に選択肢がなかったんだよな。俺みたいに」

 情報管理課に目を付けられているのは自分だけではないのだと、奏斗は気持ちが余計に沈んでしまう。朱鷺に冬馬。彼らもまた役割を振られた人たちなのである。そして、自分に協力することになった颯斗も。

 どこもかしこも管理だらけだ。本当にこれから抜け出せるのか。まず無理だろうと奏斗は思う。だから燈葉の意図する通りに動いているのだ。

「誰だ?」

 そんなことを考えていると、颯斗の鋭い声が飛んできた。

「大丈夫。敵じゃない。奏斗、久しぶりだな」

 しかし相手はそう答えて笑う。その声に、奏斗は懐かしさを覚えて顔を上げた。

「稲葉先生」

「覚えていてくれて助かったよ。朱鷺に協力することになったからな。俺が迎えに来た」

 笑顔で迎える光輝を見て、初めて奏斗は心からほっとしていた。思わず膝が崩れる。

「お、おい」

「ははっ。緊張してたんだな」

 どうしたんだと駆け寄る颯斗に対し、それが普通の反応だと光輝はさらに笑う。いや、人間らしい姿を見られてこっちもほっとしたほどだ。

「相変わらずよく笑いますね。俺に関わるってことは、先生もテロリストになるってことですよ」

 あまりに笑われるので、座ったまま奏斗はむすりと言い返す。まったく、大学院で指導してくれた時からこの調子だ。全く変わっていない。

「まあな。でも問題ない。他の連中も巻き込んでいるからな。今頃、決起集会をやっているはずだ」

 光輝は大学の教授陣を纏めるのを元に一任してきた。だからこれは確実だ。

「えっと。この人は?」

 話から置いて行かれた颯斗は改めて確認する。敵ではなく、しかも朱鷺の仲間。さらに奏斗が先生と呼ぶ相手。もう頭がごちゃごちゃだ。

「ああ、悪いな。大久保君だったな。俺は稲葉光輝っていって、そこの奏斗の大学での先生だ。よろしく」

 簡潔な説明に、颯斗はへえっと頷くしかない。大学の理系の先生ってもっと固いイメージだったというのに、光輝はガンガンそれを打ち砕いてくれる。

「この人はいつもこの調子だ。慣れるしかない」

 そんな呆れている颯斗に奏斗はそうアドバイスをする。変人をも上回るキャラクターというわけだ。

「何だか面倒だな」

 こそっとそう言い、ここで和んでいる場合ではなかったと颯斗は立ち上がる。

「この先はアジトで合流ですよね」

「ああ。まずはそこが問題だ。どこまで国民の目に触れずにやれるか。ここからアジトは近いとはいえ、外を通ることになる。それも人の多い時間帯だ。遠回りで帰ることになるぞ」

 颯斗の切り替えの早さに満足した光輝は、まだ六時半という時間を考慮して動きを決める。一先ずここを離れないことには臭いがきつくて仕方がない。

「何だか、嫌な予感しかしないな」

 そんな二人を見つつ、奏斗は無事に合流できるはずがないと自分の右腕に付けられたままのバンドをぎゅっと握っていた。

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