第27話 信じられるのは自分だけ

 課長室に戻った燈葉は、奏斗の様子を探るべく監視カメラの映像を確認していた。

「なるほど。やはりそこを通るか」

 ビルの内部構造を奏斗は知らないが、連れて来られた颯斗は知っているはずだ。そう踏んでいた燈葉は奏斗が裏通路を選択したことに満足していた。しかし奏斗が手元をちらちらと確認しているのが気になる。

「何だ?」

 カメラをズームさせ、奏斗の手元を確認した。すると見慣れないタブレット端末を持っていることが解る。

「――これは思った以上だな。朱鷺の仕業か」

 颯斗がここに連れて来られた時には持っていなかったものだ。ということは、他にも何か策を打っているということである。これは面白い展開だ。

「反逆が大きくなればなるほど、こちらの思惑通りだ。こちらを出し抜くことなど出来ない」

 燈葉はにやりと笑ってしまう。朱鷺はこちらが思った通りの行動を開始してくれているようだ。実験は成功に向かっている。そんな確信が生まれていた。

「失礼します」

 そこに真広が入って来た。相変わらずの無表情に、燈葉も笑顔を引っ込める。

「冬馬の方はどうだ?」

「瑠衣との合流が完了しました。一緒に大河内が動くことになったのが誤算でしたが、大河内は長谷川に肩入れしている模様。このまま続行しても問題ないと思われます」

 真広の淡々とした報告に、燈葉はよくやったと頷く。

「大河内に関しては大丈夫だ。あいつはすでに情報管理課がどういうものかを理解しているからな。それに二人になった方が、冬馬は裏切れなくなる」

 燈葉はあの首輪は単なる象徴でしかないと僅かに笑う。冬馬とすればあれは屈辱的であり裏切れないという心理的圧迫になっていると考えているだろうが、実際はその先の罠のためなのだ。

 もともと二重スパイをしていた冬馬は瑠衣について朱鷺から情報を得ている。それはすなわち、瑠衣がどういう女子高生だったかを知っているということだ。そんな相手が様子が変わった状態で現れたとはいえ、守らなくていいとはならないだろう。颯斗たちと仲がいいとなれば猶更だ。

「動きはより制限される。もう冬馬が自由に選ぶことは出来ない」

 これこそ肝心なことだと、燈葉は再び監視カメラに映る奏斗へと目を向けていた。





 その奏斗は慎重にルートを確認しながら進んでいた。本当に迷路のような通路に、よくビルの中にこんなものを作ったものだと呆れてしまう。

「これって脱出に何日くらい掛かるんだ?」

 一緒に歩く颯斗は同じ壁が延々と続く状況に疲れを感じていた。どこがゴールなのか解らず、やっぱり脱出なんて不可能なのではと気持ちが負けてくる。

「そんな何日も掛かるようなものではないと思うんだけど、さすがに疲れてくるな」

 奏斗もこのマップがなければすぐに諦めていたと頭を掻く。右へ左へと折れ曲がる通路。そんなものを進んでいたらすぐに方向感覚が失われる。そしてこのやけに明るい照明と白い壁が、根気をより砕こうとしているように思えてしまう。

「はあ。これも燈葉が作ったんだろ?すっげー変質的というか執念深いというか。お前って本当に燈葉との思い出は何もないわけ?」

 せめて喋りながら進もうと、颯斗は文句ついでにそう問い掛けた。すると奏斗は相変わらず首を捻って悩んでしまう。

「思い出ねえ」

「お前って大学で何をしていたんだ?まさか本気で研究しかしてなかったのか?ちゃっかり朱鷺さんと付き合っていたくせに?」

 そんなに思い出せないものかよと颯斗は呆れた。

「そうだな。研究ばっかりしていたと思う。知りたいことが多くて、周囲に気を配るとか遊ぶとか、そういうのに時間を割くのが嫌でね。大学の文化祭すら一度も行ったことがないな。朱鷺との付き合いは、何というか事故みたいなもんだよ。というか、何で付き合ったんだっけ?」

 奏斗はそんなことを言いだす。おかげで颯斗はより疲れを感じてしまった。こいつのために人生を賭けるのってバカみたいじゃないか。そんな気分になる。

「朱鷺さん。どうしてお前のことが忘れられなかったんだろうな」

 そして朱鷺に同情してしまった。ダメ男にハマるしっかりした女。そういうパターンなのだろうか。

「俺も思うね。でも、それは燈葉にも言えることだよ。どれだけ俺のことを嫌っていたのか知らないけど、そんなもの忘れてしまえばいいだけのことだ。大学院が終われば別のところに行く。それでよかったはずだろ?」

 俺の考えは間違っているかと、奏斗は肩を竦めて颯斗に訊いた。こんな社会全体を巻き込んでまで復讐するようなことは何もなかったはずだ。

「お前じゃないんだ。そんな風に感情を簡単に消すことなんて出来ないんだよ?今のお前はどうなんだ?人生を奪われて、知らないところで多くの人に恨まれるようになっている。そんな風に仕立てられて、燈葉を殺したいとか復讐してやるとか、そういう気分になってるんじゃないのか?」

 今の自分に置き換えて考えてみろよと颯斗は促すが、奏斗はやはり首を捻ってしまう。

「燈葉に関して、思うことは何もないな。ただここから出たい。支配者なんかになりたくない。それだけだ」

 痛めつけられた分を返してやる。そんな感情は今もないと奏斗は真剣な顔になる。

「お前って、どうしてそんな感じなんだ?」

 あまりに不思議な奏斗の感覚に、颯斗は呆れるよりも心配になった。ひょっとしてこの性格も燈葉にとっては都合がいいのでは。そういう疑問も浮かんだのだ。

「どうしてねえ。何かに、人や物に執着するだけ無駄。そう思っているからかな。自分で得られるもの以外に拘っても意味がない。信じられるのは自分。それが当たり前になっているせいかな」

 そう語る間も奏斗は他人事だ。ここまでくると単なる変人として片付けられなくなる。一体何があったんだと、颯斗は再び歩き始めた奏斗を見て心配になった。表情がころころ変わって猫のようなことも、その過去の何かが関係しているに違いない。

「その感覚が身の破滅に繋がっているってこと、どうにか気づかせないと」

 この先ここを出てから困るぞと、今まで出るに出られなかったことと併せて考えても拙いと気付く颯斗だった。





 その頃。朱鷺は光輝からもらった奏斗に関する資料に基づいて調べ物をしていた。奏斗が目を付けられた理由。それは親類縁者がいないことにもあるらしい。

「公式の記録はすでに燈葉によって消されている。まさに私たちが実態を消し、それを尊君たちに探させたのと同じことが必要だわ」

 朱鷺はそう言ってパソコンを睨む海羽を見た。こういう情報関係はやはり海羽を頼るしかない。しかしこの情報を得るのは簡単ではなく、海羽はずっと難しい顔をしてキーボードをたたき続けていた。

「奏斗さんは小さい頃、誰と住んでいたか解りますか?」

 しばらく調べていた海羽は、やり方を変えるとそう質問する。両親に関する記事というのは、どう頑張っても見つかりそうにないのだ。

「えっ?小さい頃は両親と住んでいたのではないの?――でも、確かに付き合っていた頃、おじいさんの話は出てきたけど、両親の話は出てこなかったわね」

 朱鷺はそこにヒントがあったかと眉間に皺を寄せた。付き合っていた頃、奏斗はたまに過去のことを語っていた。それは非常に断片的で思い出とまで呼べるものではないことが多く、どれも楽しいと感じていないかのようだった。

「おじいさんですか。名前は、解らないですよね」

 いいヒントだと思うが、名前が解らないと探しようはないなと海羽は腕を組む。

「名前ね。奏斗という名前を付けたのはそのおじいさんだという話だったけど」

 あの男、どうして話をちゃんとしてくれなかったんだろうと、朱鷺は不満になった。思えば付き合ったのもたまたまのような感じだし、何にしても猫のような奴だ。気まぐれで適当で、自分に対しても無頓着なのだ。

「ううん。奏斗と似たような名前なんでしょうかね。おじいさん。苗字を穂積と仮定して」

 海羽はまた朱鷺が乙女モードになってしまったなと、自分で推理を始める。穂積と検索画面に入力し、次いで奏斗の一文字、奏だけを入力してみた。すると予測変換には当然ながら穂積奏斗としか現れない。

「ううん。そんな単純なわけないか。奏斗……颯斗君も同じ斗がついてますねえ」

 どうでもいいことに気づいてしまう。男の子の名前としてスタンダードということか。余計にヒントが消える。

「どこにも奏斗の過去はないのかな」

 すでに燈葉によって総てが消されているだけでなく、もともと奏斗に関するものはあまりにも少なかった。そういうことかと、朱鷺は溜め息だ。

「そうですねえ。戸籍によると両親の死亡は二十年年前で、本当ならば奏斗さんの記憶に二人のことがあってもいいはずなんですけど」

 奏斗が何も語らないのが気になると、海羽もパソコンで調べるのを諦めてしまう。目の前にある戸籍謄本のコピーが、何一つ奏斗に繋がらないのだ。

「そうよね。二十年前。となると、子どもの頃に死別したことになるけど、当時11歳になっているはずよね。記憶がないわけがない。それに、どうして育てられたのがおじいさんなのか」

 意外と複雑な家庭環境だったのかと、朱鷺は本当に奏斗のことを知らないなと困惑してしまっていた。しかし調べることは諦められない。

「これは地道な調査しかないわね」

 ローテクに打って出るかと、朱鷺は立ち上がるとすぐに戸籍に載っていた住所へと向けて出発したのだった。

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