第24話 第一関門

 しばらくビルの設計図とノートパソコンを見比べ何かやっていた奏斗だが、顔を上げて不可解だという顔をした。

「どうした?」

 その間、奏斗の様子をぼんやり見ていた颯斗は、その妙な顔は何だよと訊く。やはり科学者の考えは解らないなとか思っていたところにこの顔だから謎だ。

「いや。このドアに関して何かトラップでも仕掛けているのかと思ったが、意外に何もないから驚いてさ。まあ、一度もこれに近づこうと思ったことがないから、いつでも出られたかもしれないというのは拍子抜けというか」

 奏斗はマジかと頭をぽりぽりと掻いた。あれだけ支配者になることを拒絶していたというのに、脱出を試みなかった自分が恥ずかしくなる。

「それはさ。他のことがあって出ようと思えなかったからだろ。その腕のヤツとか」

 それは元気だから思えることだろと颯斗はツッコんだ。常に燈葉に何かされるのではと警戒している中で、下手な行動を取るようなバカではないのだ。だから今まで部屋の外と繋がる扉に近づかなかった。単純にそれだけだ。

「ああ、それはそうだな」

 奏斗は自分の右腕に付けられたままのバンドを見て苦しそうな顔になる。脱出しろと言う割にこれを取ることもない。しかも燈葉の意向に沿わない行動は取ってはならない。今もまだ、不自由なままだ。そしてすぐに連れ戻されると解っている。

「出ることに、意味があるのかな」

 ドアが開くと解っても躊躇いがある。それは心理的な大きな関門だ。ここを出ても何の変化もない。それどころか悪化するだけだ。そんな中、わざわざ危険を冒す必要があるのだろうか。

「朱鷺が待ってる。あいつが、ちゃんと手を打ってくれているんだ。信じろよ」

 ただ燈葉の思い通りになるのではない。反撃のチャンスはちゃんとあると颯斗は励ます。ここに颯斗が来たのは燈葉の企みを逆に利用し、朱鷺の元まで奏斗を連れて行くためなのだ。簡単に燈葉の思い描く通りにはさせない。

「――そうだったな。これも届けてくれたし」

 奏斗は手元にあるビルの詳細が書かれたファイルを見つめて笑う。相変わらず表情がころころと変わる男だ。猫のようと言われるだけのことはある。

「じゃあ、出るぞ。奏斗」

 気持ちが挫けないうちにと、颯斗は奏斗を促した。自分からここを出て行く。そう言ったのだ。ドアを開けるのも奏斗でなければ意味がない。

「うん」

 頷いた奏斗だが、ドアノブに掛かった手は震えている。やはりこの五年間に燈葉からされたことは、心を完全に支配されるものだったのだ。いざ反撃しようとしても身体が竦む。

「ほら」

 仕方ないなと、その震える手に颯斗は手を添えた。男にしてはほっそりした奏斗の手は、緊張で冷え切っていた。しかし颯斗の手の温もりを感じて震えは止まった。

「――」

 奏斗はぐっとドアノブを握り直し、そしてそっと押した。するとドアは呆気ないほど軽く開いた。その先には予想したとおりすでに警備の人間はなく、奏斗が出て行くことを想定した動きが始まっているのだと解る。

「ふう」

 息を吐き出し、奏斗は初めて自分の足で部屋の外に出た。普段は燈葉に担がれて出るだけなので、自分の足で歩く部屋の外の廊下は新鮮だった。視点を変えて見る廊下は、妙に豪奢な造りだと今更気づいた。やはりここは、支配者のために用意された空間なのだと改めて知る。

「俺が、支配者か」

「奏斗」

 改めて突きつけられた事実に呆然とする奏斗に、立ち止まっている場合ではないと颯斗は背中を押した。どうにも気弱な部分がある。

「ああ。ごめん」

 奏斗は再び歩を進めつつも、自分がこの五年で違うものに変わってしまったのだと自覚するより他はなかった。ここにいた年月はただ燈葉に痛めつけられていただけではないのだと、颯斗が語る外の世界は本当なのだと認識するよりない。

「こっちだ」

 そんな豪奢な廊下には不釣り合いな小さな通路に颯斗は奏斗を導く。おそらく他に奏斗専用の道があるのだろうが、颯斗が知るのは燈葉が日ごろ通っているこの道だけだ。

「――待ち構えているだろうね。あいつ」

 奏斗は急に薄暗くなった通路を進みながら、この先に必ず燈葉がいるだろうと緊張する。

「だろうな。あの粘着質な性格からすると」

 颯斗も出来れば会いたくないがいるよなと同意する。そのまま二人は黙々と進み、細く暗い階段を下りた。

「あっ」

 そして階段を下り、またしても薄暗い廊下に出たところで奏斗と颯斗は足を止めた。予想通りの展開に、どうしたものかと悩む。

「その様子だといると解っていたようだな。奏斗。ちゃんと外を見てくるんだぞ」

「――」

 わざと白衣を模した外套を翻して近づいてくる燈葉に、奏斗は顔から血の気が引く。今まで自覚していなかったが、この姿の燈葉が怖いのだ。総ての狂いの始まりであり、これからも続く悪夢の象徴。そうとしか思えない。

「お前がいるべきはどこか。よく解るだろう。そして国民から何を求められているのかもね。お前がすべき研究に関して、ちゃんと用意しておいてやる」

 そう言ってにやっと笑う燈葉はマジで底意地が悪いと颯斗は思う。こうやって奏斗を虐めているわけだ。それが四六時中続くとなると、奏斗の今までの反応も納得できる。

「行ってくる」

 そう答えてしまうのも、燈葉に歯向かえない証拠だ。拙いなと、颯斗は初めて見る二人のやり取り見てそう思う。

「ほら」

 これ以上話すのはダメだと、颯斗は奏斗の腕を引っ張って燈葉の横を抜けた。その手に血が着いていることに気づき、余計に嫌悪感が募る。こんな奴のせいで多くの人が困り、傷ついているのだと思うと絶対に奏斗を渡せないとの思いが強くなる。

「――」

 奏斗は少し困ったように燈葉の方を振り向いたが、燈葉が上へと向かっていくのを見て前に進もうと決めた。本当に、あいつは自分がここに戻ってきてあいつにとって都合のいい研究を用意するのだと思うと気持ちが滅入る。

「俺は、支配者になりたくないのに」

 自分の気持ちがすでに負けているのだと知ってしまった奏斗は悲しげに呟く。

「大丈夫だ。俺が支配者になんかさせない」

 そんな奏斗に、颯斗は力強くそう言う。そうしないと、この弱り切った奏斗を殴ってしまいそうだ。お前がしっかりしていればと、場違いな怒りが生まれてしまう。そしてそれが燈葉の思惑通りの感情だと気付くと、余計に気分が悪くなった。

「瑠衣は、大丈夫だろうか」

 そしてそんな燈葉のことを心をから心配する奴が一人だけはいるのだと思い出し、より複雑な気分になるのだった。





 奏斗が動き出したとの報告が尊から入り、朱鷺はようやくかとほっとする。まずは第一関門を突破したというところだ。あそこから奏斗自身が出ると決めてくれなければ、さすがにテロ活動をしている朱鷺といえども手出しできない。

「まあ、やりようはあったけど、これで楽に進むわね」

 そう安心したいところだが、実は違う問題が浮上していた。朱鷺はアジトのど真ん中で怒鳴り合う二人を見て溜め息だ。

「だからそういう小賢しいやり方ではもう限界だろ!」

「いいえ。そもそも情報管理課はネット上の情報に敏感です。このやり方は間違っていません」

 言い合うのは光輝と海羽だ。今はネットでの攻撃は有効かどうかで二人の意見が対立している。

「ふん。それこそ燈葉が思い描くやり方じゃないのか。あいつはビッグデータ解析を行っているはずだ。こちらがわざと織り込む不安などすぐに見抜ける」

「いいえ。データ数だけでそれを見抜くことは不可能です。それにネットは拡散効果がありますからね。今も、私が書き込んだことに数百人が反応しています。こちらが優位に動くには、国民の暴動を防ぐしかないんですからね」

 どちらも研究者として生きているだけあって意見を引っ込めることがない。そしてどちらにも一理あるから困ったものだ。

「ちょっと二人とも。次の段階に移るわよ。いい加減にして」

 しかし延々と議論されていては先に進まない。まだ尊が情報管理課から戻っていないのだ。朱鷺がしっかりと進めていく必要がある。

「だって朱鷺さん」

「こいつに任せていて大丈夫かよ。これだからネット世代は」

 割って入った朱鷺に二人はどう思うと言い始める。だからいい加減に議論を打ち切れと朱鷺は溜め息だ。それに海羽をネット世代と言うが、光輝だって十分にネット世代のはずである。今時、ネットの恩恵を受けていない人間などいない。

「燈葉は奏斗を開放し、必ず国民の怒りに触れさせるはずよ。それを避けなければ、こちらに勝機はない。暴動の起こっていないところに奏斗を誘導しつつ、しかし一方で情報管理課への不満を高めなければならない。ここまではいい?」

 まだ睨み合っている二人に、朱鷺はこれからの作戦を説明するぞと話し始める。

「それって大丈夫か?どう考えても多くは奏斗が情報管理課を使っていると思っている。不満を煽るのは、奏斗が正しいと理解させてからが良くないか?」

 その作戦に光輝が懸念を口にする。それは最もなのだが、朱鷺には考えがあった。

「情報管理課と奏斗が違うということを理解させるためにも、別々に動いているとの印象付けが必要なんです。暴動が起こっているところと別に奏斗がいる。そしてその奏斗を情報管理課が追いかけているとなれば――敵の敵は味方。一気に不満は情報管理課に向かうはずです」

「なるほどな。しかし下手すれば情報管理課と奏斗の関係をより深いものだと印象付けてしまう。大博打だぞ」

 朱鷺の作戦に頷きつつも、危険な賭けだと光輝は指摘する。

「ええ。しかしーーこのチャンスを逃すともう奏斗を奪い返すチャンスはないんです。でかい博打も打ちますよ」

 そう言って笑う朱鷺に、逞しくなったなと光輝は呆れた。そしてその作戦に納得した。

「で、俺たち科学者がやるべきことは何だ?」

 その作戦で行くと決めると光輝は早い。すぐにそう訊いた。

「まずは大学での流れを作ってください。情報管理課と最も癒着しているのは、大学や科学者ですからね」

 朱鷺はそう言い、光輝に作戦を伝えるのだった。

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