第16話 二重スパイの覚悟

 それぞれの場所での動きが確定したことで、冬馬は動き始めていた。どちらの味方に付くか。それはもう明確だ。そもそも燈葉のことを信用したことはない。それでも情報管理課が科学者にとって魅力的な場所であることは確かだった。だからこそ、どっちつかずのスパイを続けていたのである。

「よう。そろそろあのガキを連れてこようか?」

 自分の心情の変化を悟られないように注意しつつ、冬馬は廊下を歩く燈葉を呼び止めた。相変わらず燈葉はきっちりと黒の白衣を模した外套を着ている。

「そうだな。奏斗の体調も以前と変わらないレベルまで戻った。こちらの実験をスタートさせるのに丁度いい」

 燈葉はいつものように不快な顔をしたものの、しっかりと頷いてきた。

「こちらの実験?」

 それは何だと冬馬は笑う。内心では冷や冷やしているのは言うまでもない。この奏斗や颯斗との橋渡しは燈葉に総て仕組まれているのでは。その疑問はずっとあったのだ。

「見ていれば解る。それに奏斗は何も嫌々こちらに協力しているわけではないからな。もちろん言うことをきかせるために多少の無理はしているが」

 急ににやっと笑った燈葉に、冬馬はちっと舌打ちしていた。完全に見透かされている。こちらが奏斗とコンタクトを取ったことを知っているのだ。まあ、情報管理課のビルで堂々とやっているのだから秘匿性はないに等しい。

「あの王子様が食わせ者だって言いたいのか。か弱い素振りは演技だと?それは言い過ぎだろ?明らかにあんたらは、あいつに拷問している。思考をコントロールしているんだ」

 開き直ってそう言うと、燈葉は否定しないと言ってきた。張り詰めた空気が廊下に流れる。

「俺を捕まえるか?」

 ここまで来て二重スパイがバレていないとは思わない。冬馬はここまで実験が進んで自分を切らないことに賭けただけだ。

「解っているだろ?例の高校生を連れてこい。それだけだ。お前の身分を剥奪するようなことはない」

 燈葉は勝ちを確信し、それだけ言って廊下を歩いて行った。向かったのは奏斗の元だ。この廊下は奏斗の閉じ込められている部屋にしか通じていない。

「ちっ。やはりあいつのペースか。それにしても」

 奏斗の思考のコントロールに成功している。これは間違いなさそうだ。自分から変わると言ったあれは、燈葉が望んだことの一つなのかもしれない。

「まあ、颯斗に上手くやらせるさ。あいつの能天気さは他の奴に感染する」

 それと固い正義心。冬馬は自分がここまでやった理由は颯斗にあると思っている。正しさを求めて動く颯斗を見ていると、こそこそとやっている自分が嫌になったのだ。

「さて、すぐに監視が付くだろう。その前にやっておかないとな」

 動きが制限される前にこの情報管理課でやっておくことがある。冬馬は適当に羽織っていた外套をきっちりと着直し、下の階へと歩き出した。

 海羽から聞いた、燈葉の妹についての情報。燈葉にあった後から消息が消えているのならば、確実にここにいるはずだ。

「あいつのやりそうなことくらい、俺にだって解るんだよ」

 冬馬は真っ直ぐに幹部候補生のいる階へと向かっていた。そしてこの目で、瑠衣の変化を確認するのだ。

「あら、長谷川情報官。どうしました?」

 急に背後から役職付きで呼ばれ、冬馬はどきっとした。もう裏切っていることがバレていると解ると、何だか白々しく聞こえるせいだ。

「何だ、大河内か。丁度いい、お前が綾瀬課長の妹を預かっているんだろ?」

 背後にいたのは幹部候補生のトップにして現在は後輩の指導にもあたっている夏実だった。これは丁度いいと冬馬は訊く。

「ええ。お会いになりますか?」

 一瞬厳しい顔をした夏実だったが、何かを感じ取ったのだろう。顔を引き締めて案内する。向かったのは授業の行われている教室だ。

「あの左から二番目の前の席に座っている子です」

 廊下から、夏実は瑠衣を指差して教えた。まだ高校生とあって他の幹部候補生より幼い感じがする。しかし、それ以外は見事なまでに他の候補生と同じだった。

「すでに洗脳済みって感じだな」

 ついつい言葉に出てしまい、冬馬はしまったと口を押さえる。まだ夏実は自分の裏切りを知らないのだ。

「――そうですね。綾瀬課長は、瑠衣に自分と同じであることを望んでいます」

 しかし夏実は予想に反し、冬馬の言葉に頷いた。そのことで冬馬は夏実の心の奥に秘めたものを知った。

「お前さんも大変だな」

「貴方ほどではないですよ」

 どうやらお互いにいい関係を築けそうだ。冬馬は頷くと連絡先の書かれた紙をそっと夏実に渡す。

「無茶はするな。それと、あの子を頼む」

 このままだと、せっかく颯斗たちと感じた違和感も消えてしまう。いや、もう消えて何の疑いも持っていないのかもしれない。

「解りました」

 夏実は任せてくださいと頷き、こちらの気持ちを汲み取っていただきありがとうございますと頭を下げていた。





 奏斗が机に向かって研究をしていると、燈葉がやって来た。思わず右腕を確認してしまうのは仕方ないだろう。元気になったらまた電気ショックによって制圧しようとするのではと疑うのは当然だ。

「そう身構えるな。お前に助手を付ける」

「は?」

 急にこいつは何をと思ったが、冬馬とのやり取りを思い出した。助手というのが、脱出のためのポイントになるのだろう。

「研究を進めやすくするためだ。それと、支配者としての自覚も生まれるだろう。外部の人間だからな」

 高校生が来ることは伏せて燈葉はそう言う。すると奏斗の顔が急速にむすっとしたものになった。

「まだ諦めていないのか。もういいだろ?大人しくお前の為に研究する。それで納得しろよ」

 変わろうと思った奏斗がまずやったこと。それは逃げないし研究に歯向かわないとの態度を取ることだった。何にしても燈葉に緩みが出てくれないと行動出来ない。そう考えてのことだ。それに従順な態度を取っていないと、またいつ真広の実験に付き合わされるか解らない。

「そんなことのためにお前をここに閉じ込めているんじゃないんだよ。それに研究を望んでいるのは俺ではない」

 お前の考え方は間違っていると燈葉は指摘してくる。どこまでも燈葉は自分の手の内を見せようとしなかった。

「用件はそれだけか?」

 まだまだ駄目かと、奏斗は溜め息を吐きたいのを堪えた。健康を取り戻してから、何だか精神的な疲労を感じることが多い。

 それは現状がしっかり見えるようになっただけでなく、燈葉や真広の機嫌を損ねないよう気を遣っているせいだ。今まで好き勝手にやっていた奏斗にとって、誰かの心情を読み取って動くというのは難しい。

「ああ、そうだ。真広がまたお前でデータを取りたいと言っている。覚悟しておけ」

「――」

 何もしていないだろと、奏斗は驚いて燈葉を見ていた。その燈葉は、いつになく無表情にこちらを見てくる。

「お前の考えなんて解っているぞ。いいな。余計なことはするなよ」

 燈葉は奏斗の絶望を見て取り、それだけ言って出て行った。実験を自分にとって有用なものにするためには、脅しは続ける必要がある。

「くっ」

 しっかりした状態で真広の実験を受けるなんて拷問以上の苦しみだ。奏斗の中で確実に焦りが生まれていた。






 朱鷺たちの待つアジトに帰った冬馬は、颯斗に話が通ったとすぐに報告していた。ここからはこの颯斗の肩に命運がかかる。

「マジで会えるのか?」

 どうして冬馬がそこまで出来るんだよと颯斗は不満そうに訊く。そう言えばこっちには情報管理課で働いていると告げていなかったっけと、冬馬は頭を掻いた。

「これを見ろ」

 どうせもうこっちの味方と決めたのだ。朱鷺にも見えるように冬馬は情報管理課であることを示す身分証を掲げていた。

「嘘だろ」

「やっぱりですか」

 驚く颯斗とは対照的に、揶揄うような海羽の声がした。この天才少女にはとっくにばれていたのだろう。それでいて一度も朱鷺に告げ口しなかったのだ。

「ふん。そういうわけだ。俺はもうすぐ情報管理課の監視下に入る。まあ、お前を連れて行けばお役御免で捕まる可能性もアリだ。いいか?お前がしっかりやらなければ、お前自身はもちろんのこと奏斗も窮地に立つ。いいな」

 冬馬は身分証を仕舞うとそう言った。こいつに賭ける。その覚悟を示すためだ。それにここでまで裏切り者扱いされてはやっていられない。

「冬馬。じゃあ、奏斗は」

「無事だ。今は体調もいい」

 今まで言えなくて悪かったなと冬馬は謝っていた。こんな可憐な女性が無理しているというのに、自分はどっちつかずだったのだから謝るしかない。

「いいのよ。それより大丈夫なの?」

「まあな。燈葉はまだ俺を活用したいようだし」

 心配されてしまって冬馬は肩を竦める。しかし時間がないのだ。本当に情報管理課から何かがある。それが迫っていた。

「俺が持っている情報を総てここに置いていく。活用してくれ」

 二重スパイとして得たものを朱鷺に渡す。そして、この狂ってしまった社会を元に戻す。そのために動くだけだ。

「解りました」

 切迫していることは朱鷺にも理解できた。だからすぐにと海羽に指示する。さらに尊にも補助に入ってもらった。

「さあ、反撃だぜ」

 冬馬は自分を奮い立たせるようにそう言っていた。

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