第11話 幹部候補生

 点滴が終わるタイミングで燈葉が部屋に入って来た。その抜け目なさに奏斗はうんざりした気分になる。ここ数日、奏斗はこうやって燈葉の監視の下で点滴を欠かさずに受けているのだ。おかげで体力は順調に回復している。奏斗からすれば、また新たな企みを思いつくのではと怖くなることでしかなかった。

「ちゃんと口から食事を取ったらどうだ?」

 大人しく点滴を受けている奏斗に、燈葉は呆れながら言った。最初の2・3回は拘束が必要だったが、今は素直に点滴を受けている。その姿を見ると、どうして食事をあまり取らないのかが不思議になるところだ。

「欲しくないんだよ」

 奏斗はむすっと返した。実は体力が回復することの方が恐怖なのだ。そんな状態で積極的に食事しようなんて思えない。今もいつ電流を流されるかと冷や冷やしてしまう。それだけ冷静に物事が考えられる状況が怖かった。これは非常に拙い事態だ。

「まったく。お前の我儘には本当に手を焼かされるよ。それより、新しい資料の用意が出来た。ここに置いておくぞ」

 燈葉はそんな奏斗に苦笑するしかない。今までと違って受け答えの声に張りがある。それだけで、どことなく安心するから不思議だ。やはり顕著に体力が落ちていたということだろう。

「おい」

 資料を机に置いてあっさりと出て行こうとする燈葉を、奏斗が止めた。普段はそんなことをしないだけに、燈葉は怪訝そうに振り返る。

「どうした?」

 体力が回復したことで心境の変化が現れたかと燈葉は期待する。奏斗ほどの頭脳があれば、状況の分析など閉じ込められていても可能だと解っているからだ。

「あの男、近づけないでくれ」

「あの男?」

 急にあの男だけ言われても燈葉は困る。訊き返すと鈍いなといった調子で奏斗が見てきた。

「たまに現れる奴だよ。何かが変だぞ」

 真剣に忠告する奏斗に、燈葉は本当に二重スパイなのかと疑いを強めた。たまに奏斗の様子を窺うとなれば冬馬しかいないからだ。

「解った」

 燈葉はそれだけ答えて部屋を後にした。






 同じ頃、情報管理課の入るビルの三階の医務室で瑠衣は困惑していた。というのも、いきなり現れた女性が情報管理課の制服を渡してきたからだ。しかも燈葉と出会って三日も経っているという。昨日の夜会ったのではと疑うも、三日間眠っていたとスマホの日付を見せられるだけだ。

 さらに困ることは、その情報管理課の制服を着て今日から幹部候補生として生活しろと命じられたことだ。どうして自分が情報管理課のビルにいるかも解らないというのに、これはどういうことなのか。

「私は燈葉兄に会いに来ただけです。幹部候補生なんかじゃないです」

 押し付けるように渡された制服をぎゅっと握りしめ、瑠衣は主張した。しかし目の前に毅然と立つ女性は揺るがない。

「あなたは綾瀬燈葉課長からの推薦を受けているんですよ」

「えっ?」

 燈葉が課長。そんなことは聞いたことがない。もちろん手紙にも書かれていなかった。ますます不可解だと瑠衣は目の前の女性を睨んだ。

「そもそも、あなたは誰なんですか?」

 情報管理課の制服を着ていることから職員だと解るが、それ以外の情報がない。まずは誰なのか教えてほしかった。そうでなければコスプレと疑うだけだ。

「これは失礼。私は幹部候補生筆頭の大河内夏実。あなたの教育係に任命されました。あなたが課長の推薦を受けたという証拠はここにあります」

 ようやく名乗った大河内夏実は平然と外套のポケットから紙を取り出して瑠衣に示した。そこには確かに燈葉のサインのある推薦状があった。

「本当、なの?」

 急に現実味を帯びた話に、瑠衣は怖くなった。自分が知らない間に様々なことが決まっている。いや、それ以前に信頼していた燈葉が何も言わずに決めてしまったことが怖かった。それに課長なんていう責任ある立場にあることを一度も言ってくれなかったのだ。どうしていいのか解らない。やはり颯斗たちと調べたことが真実なのかと疑ってしまう。

「本当です。早く着替えてください。他の幹部候補生が待っています。まずは寮へ移動しましょう。そこから授業へと参加してもらいます」

 納得したことで安心したらしい夏実は捲くし立てるように予定を言ってくる。瑠衣は嫌だと首を振った。

「拒否権はありません。それに、これは名誉あることですよ。あなたは特例措置で高校生でありながら候補生になるんですから」

 淡々と夏実は言ってくる。反論も何も出来たものではない。

「せめて家に連絡させてください」

 このままだと何を信じていいか解らない。せめて颯斗と尊に連絡を取りたかった。家と言ったのは、咄嗟に思いつく嘘がそれしかなかったせいだ。

「ご家庭にはこちらからすでに連絡を入れ、必要な荷物を寮に送ってもらっています。何の心配もいりません。高校に関しても、そのうち卒業の許可が下りることになっています」

 しかし夏実は言い訳を封じてそう言った。どこにもこの事実をひっくり返す場所はないと言いたいのだ。

「そんな」

「さあ、早く。授業はもう始まっているんです」

 夏実に急かされ、瑠衣は着替えるより他になかった。警察官と似た黒い制服に、白衣のような黒の外套。ニュースで見ていたそのままの制服だ。

「外套に関しては常時着用してください」

 着替え始めた瑠衣に、夏実がそう注意してくる。この外套に意味があるのか。たしかに特殊だがと瑠衣は疑問になった。その外套に袖を通すと、急に現実社会から遠ざかってしまった気がした。何とも不思議な制服だ。

「行きますよ」

 着替え終わったのを確認し、夏実は医務室を出た。そのきびきびした動きは警官というより軍人だ。

「ま、待ってください」

 瑠衣は脱いだ制服と枕元に置かれていた自分のカバンを抱えて後に従った。ともかく、今は夏実の言うことを聞くしかない。それでも、いずれ燈葉に会った時に候補生を辞めさせてくれと訴えるつもりだった。

「あっ」

 しかし廊下を進むにつれ、何人もの外套を羽織った職員とすれ違うと、瑠衣はそんな意地も折れそうなほど不安になった。情報管理課は小さな課ではないのだ。その頂点にいる燈葉に会えるのか、急に不安になる。

「大丈夫よ。いずれあなたもその制服に誇りと義務感を持つでしょう。気後れすることはありません」

 不安そうな瑠衣に、夏実は初めて笑顔を見せた。その優しそうな表情に、瑠衣はほっとなる。

「――はい」

 今は、この状況に慣れるしかないのだ。瑠衣はそう覚悟するしかなかった。




 三日経っても瑠衣と連絡がつかないことに、颯斗と尊は焦りを感じていた。

「まさかこちらの動きがばれているのか?だから瑠衣だけ連れ去られた」

 高校の屋上。颯斗はそんな懸念を口にする。

「さあ、そこまでは解らないが、確実に燈葉が動いたんだ。瑠衣は学校を転校することになっているという。俺たちから引き離したと疑いたくなるのも当然だ」

 同意しつつも、尊はたまたまそのタイミングだったと考えることも忘れない。瑠衣にだけ連絡を取っていた燈葉が、いずれ自分の手元にと思うのは当然のように思えたからだ。

「燈葉か。相当な曲者だよな。奏斗をあんな風にしてしまうほどだ」

 颯斗の中ではもう燈葉は完全な悪者だ。あんな奴を信じるなんてと、瑠衣を非難してしまいそうだ。しかし、瑠衣が燈葉のことを大事に思っている事実を知っているだけに、口に出して責めるようなまねは出来なかった。

「あれだけ窶れているとなると、時間がないよな。いつ燈葉が実力行使に移るか解らない。それに奏斗そのものを消してしまう可能性だって出てくる」

 まずは瑠衣ではなくこちらだと、それは尊も解っている。忽然と消えたことだけを除けば、瑠衣は安全だろうと思われるからだ。

「消される。マジでやばいよな。情報管理課」

 颯斗はこわっと首を竦めた。朱鷺から話を聞いた時も怖さがあったが、それを当てはめて普段の生活を振り返ると、どこもかしこも燈葉の意図するようになっていることが解ってしまう。

「だからこそ、ちゃんと対策を立てなければいけなんだ。朱鷺さんとは今日また会う。俺たちは着実に真実に近づいているんだ」

 まさかここまでの事態になるとは思っていなかった尊だが、知ってしまえば覚悟を決めるだけだ。絶対に情報管理課は許せない。そう考えるようになっていた。

「真実か」

 しかし、最初は勢いのあった颯斗がトーンダウンしていた。何かが違うのでは。そんな引っ掛かりがずっとある。

「どうした?」

 その様子に尊は何かあったかと訊く。

「いや。奏斗に会わないと何も解らないなと思ってさ」

 颯斗は曖昧にそう言っておいた。何が真実か。朱鷺から聞いただけではふわふわとしている。今はさらに確実な情報を持つ奏斗に会うべきだ。そう思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます