第9話 新たな罠

 一人待機することになった瑠衣は物思いに耽っていた。場所は連絡が取れるようにと尊の部屋である。そんな場所でも考えるのは尊のことではなく、燈葉のことだった。

 優しく、自分のことをよく気にかけてくれた兄。それが瑠衣の知る燈葉だ。正義感が人一倍強いのが玉に瑕で、ケンカが弱いにも関わらず割って入らずにはいられなかった。瑠衣が困っている時も、よく助けてくれたものだ。

「情報管理課は、この国を良くしようとしているの?」

 瑠衣は制服姿の燈葉の写真を見つめてそう問いかけていた。そこに写る燈葉は凛々しく、やはり正義感に溢れているように思える。しかし、颯斗たちと調べるうちに知る情報管理課は、とても正義の味方とは思えなかった。むしろ悪い方向へと変えようとしているのでは。そう思うことが多い。

「そうだ」

 待っている間に手紙を読み返そうと、瑠衣は燈葉の手紙を持ってきていた。手紙には情報管理課のことは書かれていないが、何か手がかりはないかと思ったのだ。

「燈葉兄」

 文字を見ると余計に寂しくなってしまった。あんなにも優しかったのに、五年も会っていない。最後に会った時はまだ瑠衣は小学生だった。

「っつ」

 燈葉のことばかり考えていたら、急にスマホが震えた。まさか颯斗と尊に何かあったのかと身体を固くしてしまう。しかし、画面に表示されていたのは自宅の番号だ。

「何?お母さん」

 自宅からだと思うと電話もぞんざいになる。口調も家にいるのと変わらないものになった。

「瑠衣か?」

 しかし聴こえてきたのは母の声ではない。瑠衣はまさかと息を飲む。

「随分大人っぽくなったな。一瞬、お母さんが出たのかと思ったよ。今何処にいるんだ?せっかく、お前に会うために帰って来たのに」

 ほっと息を吐いてそう言うのは間違いなく燈葉だ。声も記憶のまま、優しい。

「燈葉兄」

 呼んでしまうと涙が出そうだった。それほど大切なのだと、今また実感してしまう。再婚という過程を経たことで親子関係が捩れてしまったから余計にだろう。気を許せるのは、この腹違いの兄だけとなってしまった。

「外にいるんだろ?迎えに行くよ」

 燈葉は安心したように笑うとそう言ってきた。しかし瑠衣はそこで現実に引き戻される。今いる場所を知られるわけにはいかないのだ。それに、男の子の部屋に上がり込んでいたことを知られるのも恥ずかしい。

「え、駅に来て。その近くにいるの」

 瑠衣は帰る支度をしながらそう言った。颯斗たちには悪いが今から帰るしかない。それに燈葉に会える機会はまた無くなってしまうかもしれないのだ。

「解った」

 慌てた様子に何かあるなと解ったらしい燈葉は、苦笑したもののそう返事して電話を切った。

「会える。燈葉兄に」

 瑠衣はもう何もかも忘れ、燈葉と待ち合わせた駅へと急いだのだった。






 その燈葉がいるのは家ではない。情報管理課の課長室だ。電話の回線はコンピュータによって繋ぎ、場所を誤魔化したのである。

 瑠衣が接触する高校生の仲間かもしれないとの情報を、冬馬は流してこなかった。おかげで慌てて燈葉は瑠衣に接触することにしたのだった。やはり信頼していいのか、冬馬の二重スパイ疑惑がまた頭をもたげる。

 もちろん、海羽がまだ調べている段階とあって知らなかっただけかもしれない。知るきっかけになったのは海羽の行動の捕捉を開始したせいだった。非常に警戒して調べものをしているので何かと思えば、瑠衣に関することだったというわけである。

「出かけるのですか?」

 課長室にあるもう一つの机に向かっていた真広は、相変わらずの無表情でそう訊いてきた。電話の相手が燈葉の妹であり重要人物と解っていてもこの反応だから凄い。

「ああ。出かけている間にあの手続きを頼む。まったく、危うく第二世代に疑われるところだったよ。さっさと情報管理課に引き込むしかない」

 燈葉は溜め息を吐きつつ指示を出した。真広のことを好ましく思うものの、たまには反応が欲しいものだ。事態の重大さを解っているのかと問い詰めたくなる。

「第二世代ですか。たしかに実験の継続の上で重要ですね。そう言えば、朱鷺と接触している高校生の一人も引き抜くのですよね?」

 さっさとパソコンを操作して手続きを開始しながら真広は訊いた。実験と言われて思い出すのは奏斗のことというわけだ。

「そうだ。奏斗にも少しは実験に貢献してもらわないとな。それに外部と接触することで、自分がもはや支配者になるしかないと理解できるだろう」

 問題はやはり奏斗のことだなと、燈葉は頭が痛くなりそうだった。今日の接触で冬馬がどちらが奏斗と組んで動くかを見極めることになっていた。しかし、情報を冬馬だけに頼る不安は付き纏う。それに奏斗がこちらの意図したとおりに動くかも心配だった。

「ついでに高校生二人についても調べてくれ」

 パソコンから得られる情報では判断できないのも事実だが何も知らないよりはいい。燈葉は真広に颯斗と尊のことも調べておくよう指示した。海羽が動いているのだから何か調べた形跡もあるだろう。真広は工学全般に関してプロだ。海羽のような天才児ではないが、それに匹敵する能力は持ち合わせている。

「解りました」

 気負った様子もなく真広は頷いた。その間にも瑠衣に関する手続きがどんどん進んでいく。

「何でも出来るのに欠点を探すのはどうしてだろうな」

 燈葉は真広のそんな姿を見て思わず呟いてしまった。奏斗にしてもそうだ。問題点はあるものの、理想とする人物であることは変わらない。

「?」

 そんな燈葉を真広は不思議そうに見つめるだけだ。本当に感情をどこかに置いてきたのではと疑ってしまう。

「いや。奏斗のところに寄ってから出かける」

 愚痴を零していても仕方ないと、燈葉は課長室を出た。ここは奏斗の生活するスペースの真下にある。奏斗が何か良からぬことをしてもすぐに駆けつけられるようにだ。

 出るとすぐに暗い廊下となるが、燈葉はこの廊下を気に入っている。気持ちを落ち着けるには丁度いいからだ。白衣を模した外套を翻して歩く度に、自分は思うままに実験を進めているのだという高揚感に包まれる。

「もう、後戻りは出来ない」

 そう自分に言い聞かせているようで、ただ陶酔しているだけだ。顔には自然と笑みが浮かんでしまう。昔のように正義感だけで生きていけないことは、大学に入って解っていることだ。それに研究の場は思ったより闘いの場だった。ただ成果だけで伸し上がれるのは一部の人間だけ。その筆頭にいたのが奏斗であり自分ではない。

「奏斗」

 暗い廊下と狭い階段を抜けて部屋に入ると、奏斗はいつものように机に向かっていた。疲れて突っ伏していることも多いが、圧倒的に研究をしていることが多い。今も奏斗は真剣に何かを調べている最中だった。

「奏斗」

 もう一度声を掛けると、奏斗は不機嫌な表情になって燈葉を見た。邪魔されたことと燈葉を嫌う気持ちが同時に現れたらしい。

「何だ?」

 じっと自分を見つめたまま何も言わず何もしてこない燈葉に、奏斗は不審な目を向けた。

「いや、何か研究で足りないものはあるか?」

 燈葉は研究する奏斗の姿に、普通にそう問いかけていた。こうやって真面目に研究する姿は昔と何一つ変わっていないのだと妙な感慨に耽ってしまっていた。

「これについて、新しい論文がほしい。それと本」

 奏斗は先ほどまで読んでいた本の表紙を燈葉に見せて要求した。それはこの間、嫌がる奏斗に無理やり再開させた研究に関するものだ。

「解った」

 あれだけ抵抗したのに研究に戻ればもう何もなかったようにやるのだなと、燈葉はその研究に対する執念に嫉妬してしまう。結局、奏斗は自らが主張するようにいつも研究者であることを望み続ける。

 その奏斗はもう燈葉がいないかのように調べものを再開していた。本を集中して読むその姿は研究者でしかない。

 燈葉はその姿に支配者として動いてほしい気持ちと、こうして研究の最前線にいてほしい気持ちがない交ぜになった。燈葉はどうやら今日は悩む日らしいと、自分の気持ちの揺れに驚いていた。






 一方、朱鷺との話し合いを終えて颯斗と尊は大きな衝撃の中にいた。困惑する部分も多いが、戦わなければとの思いも生まれた。

「こんなに知らないことだらけだったなんて。それに俺たちの生活を変えておきながら実験だと?ふざけてるのか」

 颯斗は思わずIDカードを取り出してそう言っていた。これが監視社会の象徴なのだ。しかし、実際に起こっているのは国民をどううまく管理するか、それを実証するための実験でしかないという。しかし、社会システムは確実に変わったのだ。これはもう実験なんてものではない。社会は確実に狭くなっている。

「まさしくそれが問題なのよ。実験というスタンスを取り続けるのか。それとも社会そのものを変えてしまうのか。何にせよ、奏斗が本当に支配者になってしまえば止められないわ。今のところ、燈葉は管理が可能かどうか見ているだけという立場だけど」

 朱鷺もこれほど大掛かりなことを燈葉がやるとは、奏斗が捕まった当時には思いもしなかったことだ。当然、自分が奏斗を救うためにテロリストになるなんて考えもしていなかった。

「まあ、IDカードだけで社会そのものが変わるなんて誰も思わないものな。これで判るのは管理可能かどうかだけという説明も、ある意味で頷ける」

 尊は颯斗と取り出したIDカードを見てそう感想を漏らすしかない。自分でも学校のコンピュータをハッキングして管理画面を見ているように、やれることといえばそのくらいとの思いがどこかにある。

「動いていけば、もっと色々なことを知ることになるわ。私たちだってまだ全体を把握できていないほどのことが起きているのよ。二人とも、手伝ってくれるわね」

 朱鷺が確認すると、二人は躊躇うことなく頷いた。それに協力する覚悟がなければこんなところにまで来ていない。

「まずは奏斗の救出か」

 颯斗は衝撃を最も受けた奏斗の今の顔を思い出して、そう呟いていた。

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