第4話 トキ

 トキに会う。それは口で言うほど簡単なことではない。相手は今、情報管理課から最も睨まれている存在なのだ。何処の誰なのか、一般市民が知ることは出来ないものの、情報管理課が必死に追っていることは解っている。これまで起こったテロの多くがトキ、もしくはそいつの指示を受けた仲間の仕業だと言われていた。テロを起こしているというのに実態が解らない。これはつまり、トキはこの管理された情報社会を巧く渡り歩いているということになる。相当情報科学の知識を持っているのだろう。

「あやふやな情報に引っ掛からないようにしないといけない。情報管理課がばらまいている偽情報に引っ掛かればすぐに逮捕されることになるし、妙な輩だったら何を要求されるか解らないからな。慎重に本人だと解る情報を得る必要がある」

 トキに会う以外の方法が思いつかなかった尊は、妥協することは出来ないと解らせるように颯斗に言った。

「そうだな。敵は奏斗のはずなのに最も警戒しなければいけないのは情報管理課だもんだ。そういえば帰らないと。そろそろうるさくなる時間だ」

 颯斗は起き上がるとスマホで時間を確認した。夏で陽が沈むのが遅いために忘れそうだが、七時を過ぎで外をうろつくのは得策ではない。IDカード導入と同時に子どもの夜間うろつき撲滅と称してチェックされることが多いのだ。もちろん塾などの理由があれば見逃してもらえるが、それ以外は容赦ない。きっちりお叱りを受けることになる。これから大きく動こうという時に情報管理課に目をつけられるようなことは避けたかった。

「諦める気なしね。まあいいか」

 瑠衣もこれ以上口論している場合ではないと立ち上がった。どれだけ奏斗が嫌いでも、今の社会は彼が導入したものが総てだ。そのルールを無闇に無視することは出来ない。

 それに瑠衣は将来、燈葉に会うためだけに情報管理課に入るかもしれないのだ。妙なところでチェックが入るのは避けたかった。尊たちと動いて上手く行けばいいが、そうならない可能性が高い今はちゃんとした生活を送るつもりだ。

「そうだな。俺は少しトキについて調べておくよ。トキが何を指すのかもはっきりさせておかないとさ。人名なのかチーム名なのかが不明だ。まあ、二人とも気を付けて帰ってくれ」

 こうして最初の話し合いは幕を閉じた。尊の家を出ると、颯斗と瑠衣は近くの駅まで一緒に帰ることにした。二人でいる方がまだ呼び止められにくいからである。本当に、何をするにしても息苦しい世の中だ。

「颯斗ってさ、そんなに働くのが嫌なの?」

 黙ったまま歩くのは間が持たないと瑠衣は問いかけた。颯斗はずっと将来を気にしている。それはつまり、働く以外のやりたいことがあるのかと考えたのだ。

「えっ?別に嫌とかそういう問題じゃないよ。誰だって働かなくていいなんて思わないだろ?冒険家やっている奴だって職業だって言い張るだろうし。でもさ、今のこの管理した感じの中で就職しても先がない感じがするだろ?理系だし、大学院のことも考えるけどさ。尊が指摘していたことも気になるから、将来どうしていいか解らないんだよ。あの全国民総活躍法とかいうのがなければ、悩んでないかもしれないぜ。あとはIDで何でも管理されていなければさ。だって仕事していることが活躍だって言い切っている法律だぞ。おかしいだろ?奏斗の奴、活躍イコール労働だと思ってるんだぜ。自分はまったく違うことをしているくせに。あいつがやっているのも労働なのか。なんか違うよな。働くことが悪とは思わないけど、奏斗の言い分だけを聞くと悪く見えるんだよね。そういうところが余計に腹立つんだよ」

 颯斗の語った内容は意外なほどしっかりしたものだった。適当で理論より動くことが先の颯斗にしては珍しい。これには瑠衣は驚いていた。

「あっ。じゃあ俺、電車こっちだから」

 いつの間にか駅に着き、反対方向に乗って帰る颯斗はさっさと改札を潜って行ってしまった。労働に対して素直な疑問をもって考える颯斗。その考えは素直であるだけに考えさせられるものがある。瑠衣は本当に今が正しいのか、燈葉を抜きに考え始めていた。






 三時間が経過し、奏斗はようやくロープを外され椅子から解放されていた。ずっと同じ姿勢を取り、しかも片手でパソコンを操作していた奏斗はもう無理と床に座り込んでいた。

「さすがはこの分野の第一線を走っていただけのことはあるな。僅かな時間で随分と進んでいる」

 床にだらしなく座った奏斗を尻目に、燈葉は今まで奏斗の座っていた椅子に座ると成果を確認していた。その成果は予想を上回るもので、つい五年前はライバルとされていたことを思い出すものだ。燈葉は久々に奏斗に対して劣等感を抱いてしまう。それと同時に、自分を超える相手だからこそ支配者として据え置きたいという気持ちもあった。ただのお飾りは要らない。この実験では奏斗のように自ら成果を上げ続けることの出来る支配者が必要なのだ。

「なあ、トイレに行っていいか?」

 急に尿意を思い出した奏斗は燈葉に伺いを立てる。最上階にいる時は勝手に行っても大丈夫だが、他では訊いておかないと何をされるか解らないからだ。

「ああ。そこのを使え」

 燈葉はパソコンを見つめたまま、部屋の片隅に設置されているトイレを指差した。この建物内を自由にうろつくことのないよう、奏斗が使用を許されている部屋には必ずトイレが併設されているのだ。奏斗はやれやれといった調子で立ち上がると、さっさとトイレに籠った。

「もう嫌だ。助けてくれ」

 一人になった途端、弱音が漏れてしまう。電流や薬で自由を奪われたり、やりたくない研究をさせられたり。奏斗は本当にここが嫌だった。ここから連れ出してくれるならば殺されてもいい。それが本音だ。

「――」

 だから奏斗は待つだけではなく動いている。トイレに入ったらと思って用意していたものをズボンのポケットから取り出していた。本当は最上階の部屋のトイレから流す予定だったが、急に燈葉が来たせいで果たせなかったものだ。すでに何回かやっているものの、まだ成果は現れていない。しかし古典的で結果は不明であるものの、外に自分のメッセージを伝える方法はこれしかない。

 奏斗が取っている古典的方法とは排水管からメッセージを外に流すというものだ。そのために燈葉から支給されるSDカードを毎回何枚かくすねている。それに自分の今の姿を記録し、メモと一緒に排水管に流す。奏斗はこの地道な作戦を捕まってからずっと続けているのだった。大きさは排泄物とともに流れるサイズで途中で詰まる懸念はない。袋に入れているので濡れて駄目になることもないだろう。後は、排水管から拾ってくれる酔狂な奴が出るのを待つだけというわけだ。

「奏斗。まだ終わらないのか?」

 トイレにSDカードの入った袋を落としたところで燈葉が声を掛けてきた。やはりトイレで何かするのではと疑っているのだ。三分以上入っていると声を掛けてくる。

「もう終わる」

 奏斗は手早くトイレを済ませて水を流し、何もしていないぞと両手を上げた。

「手を洗え」

 慌てて出てきた奏斗に、燈葉は呆れたように指摘した。

「ああ。そうか」

 座ってやったんだけどなと思いつつも、奏斗は素直に手を洗う。こんなところで文句をつけられて妙なことをされては堪ったものではないからだ。

 手を洗い終えると、奏斗は燈葉に腕を掴まれた。

「まだやれってか?」

 奏斗は嫌そうに燈葉を見る。先ほどの研究はかなり頑張ってやっていたのだ。かつてはライバルだった燈葉の目を誤魔化せないと解っているため、必死だったともいえる。今日はもうやりたくなかった。

「いや。部屋に戻すだけだ。そこに明日から取り組んでもらうものの資料を置いておいた。休憩したらチェックしろ」

 燈葉はそう言うと、今は歩けるというのに奏斗をひょいと担いだ。完全にパソコンと同じ扱いだ。奏斗はむすっとなったものの、疲れていたのでいいや、とそのまま素直に運ばれることとなった。






 成果が解らないと奏斗が悩むメッセージはちゃんと受け取られていた。それも毎回同じ連中が拾っているのである。

「隊長。来ましたよ」

 とある廃墟ビルの一室。下水管に仕掛けたセンサーが反応し、それがパソコンに表示されたのを確認した男が声を上げた。

「誰が隊長よ。他にましな呼び方はないの?」

 部屋の奥、窓際にいた女が不満の声を返した。緩くカーブした長い髪が特徴的な、目鼻立ちのくっきりした人物である。

「だって朱鷺さん。もうテロリストとして有名人ですよ。うっかり名前を呼ばないための呼称は必要です」

 朱鷺の横で別のパソコンを操作していたボブカットの少女が揶揄った。可愛らしい印象の少女だが、パソコン技術は伊達ではない。

「だからってなんで隊長?」

 少女の支持を得られて満足そうな男に、朱鷺は頭が痛くなっていた。

 この三人組こそ、颯斗と尊が噂するトキだった。隊長と呼ばれ代表格となっているのが秋葉朱鷺。ボブカットの少女が藤山海羽。そして唯一の男が長谷川冬馬といった。

「まあ名称なんてどうでもいいわ。冬馬、奏斗からの連絡よ。回収をお願いね」

 長い髪をさっと払うと、朱鷺は気を取り直して指示を出した。

「はいよ」

 毎回下水管に向かうことになる冬馬は不満に思うことがあるものの、女性二人に押し付けるような無粋な真似はしない。いつか奏斗を救出したらその時は殴ってやろうと企むくらいだ。支配者穂積奏斗。それがデマであることを知っているからこそ可能な思考だった。

「奏斗さん。また痩せちゃってたらどうします?隊長」

 隊長という言い方が気に入った海羽がそう問いかける。こんな少女がテロリストという感じだが、見た目に騙されると痛い目を見る。パソコンの腕前だけでなく腕っぷしも最強だ。

「痩せてるでしょうね。あいつ、意外と気が小さいのよ。出てきたら嫌と言うほど食わせないとね。まったくあの馬鹿、なんで捕まって支配者の代わりにされてるんだか」

 朱鷺は新たな頭痛の種を思い出し眉間にしわを寄せていた。しかし、奏斗を選んだ燈葉の目は確かだとも思う。見た目だけでなく天才と銘打っても大丈夫な奏斗だ。何かと使い勝手がいいだろう。それにかつてライバルとなれば余計にやりやすい。

「馬鹿呼ばわりですか。やっぱり元恋人ですねえ。助け出したらよりを戻すんですよね?」

 海羽は冬馬の操作していたパソコンに移動すると、位置を冬馬に教えるための準備としてヘッドセットを装着した。

「嫌よ。あんな猫みたいな男、二度とごめんだわ。そうね。この五年、燈葉のおかげで性格が矯正されていたら考えるかもね」

 恋人だった事実は持ち出すなと朱鷺は海羽を睨んでいた。支配者が奏斗というのが妙だと気づけた理由はこれだが、出来れば忘れたい過去である。

「へえ。もしかしたら乙女な朱鷺さんがみれるかもですね。楽しみだな」

 そんな朱鷺の気持ちはさらっと無視し、海羽は勝手な妄想を膨らませている。

「はいはい。動くわよ」

 もういいやと、朱鷺は海羽の妄想を放置し行動を開始していた。そんな彼女たちもまた被験者とされているのだが、その事実に本人たちが気づくのはまだまだ先の話だった。

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