第2話 情報管理課

  学校が終わり、三人は揃って尊の家に行くことになった。あの場だけの返事かと思いきや、瑠衣はあっさりと参加することを表明してくれた。おかげで話はとんとん拍子に進んでいる。はっきり言って、真面目な瑠衣がこんな危険な計画を聞きたいと思うわけがないと考えていた颯斗だった。それだけ奏斗の影響力が大きいということだろう。今のままでは危ないと誰もが思うようになってきているのだ。

「さて、今日からここが秘密基地だな」

 二階にある自分の部屋で、尊が高らかに宣言する。すぐに奏斗と闘えるわけがない。これからしっかりと計画を練っていく必要があった。

「よっ」

 早速フローリングの床に寝転んだ颯斗が、囃し立てるように声を掛ける。自分の頭脳だけでは奏斗に敵わないことなど百も承知。というわけで、颯斗はサポート役に回る気満々だった。そもそもずっと屋上で話し合っていた時もそんな感じだったので当然の流れだ。

「それはいいけど、どういう作戦を立てようっていうの?奏斗といえば一般人がまず会うことの出来ない最重要人物となっているのよ。周りは奏斗のために作られたという警察庁情報管理課が固めているわ」

 適当な場所を見つけて座った瑠衣は、手近にあったクッションを抱えて問いかける。

 たしかに誰も奏斗に会ったことはない。それどころか、多くの人がニュース映像で知るだけの、まるで独裁者のような状態だ。たまにネットにすっぱ抜き記事のような映像が出たりするが、当然眉唾ものの情報しかない。

 尊は嫌味なくらいに行動力を強調してくる。たしかに颯斗は分析せずに動いてしまうがあまりの言いようだ。自分で確かめてみないと気が済まないだけと言ってほしい。自分は奏斗のような理論先行型ではないのだ。そういう点でも奏斗に敵愾心を抱いてしまう。

「それは」

 どうして調べているか、瑠衣は言い淀んだ。これを打ち明けてしまっていいのか。それを悩んでしまう。なにせ自分が奏斗について調べている理由は社会への不満とは違う。かなり個人的なものだ。

「ん?何か訳ありって感じか?」

 珍しく颯斗が分析力を発揮した。まさか颯斗に気づかれるとはと瑠衣は驚く。

「話してくれないか。こう見えても俺たち、行き当たりばったりにやっているわけではない。こうやって動くにあたり、二人であれこれと準備してきたんだ。颯斗はなかなか本格的に動かないせいでいつも文句を言っていただけだけどな。でも、屋上でただ授業をサボって社会への不満を垂れていただけではない」

 尊も心配そうに訊ねた。奏斗への感情が様々なことは解っている。それだけに、自分たちと違う意見というのは聞いておきたい。言い淀むほどのこととなれば、なおさら攻めるポイントになるかもしれなかった。

「――あいつは、穂積奏斗は兄を変えた、最低の男なのよ」

「えっ?」

 俯いて瑠衣が述べた言葉に、二人は目を丸くした。奏斗への不満が違うだろうことは解ったが、そういう理由とは思ってもみなかったせいだ。

「お兄さんがいたのか?」

 まず確認しなければならないことがこれだ。瑠衣は今まで兄の話なんてしたことがない。尊は驚きを隠さないままに訊く。

「ええ。といっても腹違いなの。お母さんの再婚相手の、今はお父さんなわけだけど、連れ子なのよ。だから年齢は15も離れているわ。奏斗と同い年の32歳。研究者になるために大学院に行っていたのに、いきなり新設された情報管理課に入ったわ。思えばずっと奏斗のライバルと言われていた兄だもの。奏斗の悪事に巻き込まれたとしか思えない」

「へえ。情報管理課を知っているということは、相当調べているわけだ。これは瑠衣を引っ張り込んで正解だな。颯斗なんて行動力はあるが分析力がないからな。行動力はあるんだけど」

 瑠衣は言いながらぎゅっとクッションを掴んでいた。最後に会ったのは五年前。本当に奏斗が兄を奪ったようなものだった。

「瑠衣にとって、大切なお兄さんなんだ」

 颯斗が瑠衣の顔を覗き込むと、こくりと瑠衣は頷いた。小さい時にいきなり出来た兄だが、優しくてよく面倒を見てもらった。

「情報管理課に勤めているんだな。お兄さんの名前は?」

 尊は早速机に向かってパソコンを立ち上げた。瑠衣の兄となれば何か協力してくれるのではないか。そのために接触できないかと思ったのだ。

「燈葉。綾瀬燈葉よ。でもパソコンで調べたって無駄よ。情報管理課にアクセスしても、兄の情報は総て嘘だった」

 パソコンを操作する尊に、瑠衣は挑むように言っていた。






 燈葉は制服の外套を翻しながら廊下を進んでいた。場所は霞が関の片隅に建てられた警察庁情報管理課のための建物だ。この実験が始まった時に誂えられた制服だが、この白衣を模したらしい外套はどうにも気に食わない。しかし、それでも燈葉はこれを着続けている。というのも、奏斗にとってこの外套が恐怖を与えていると知っているからだ。

 その原因は最初にここに連れてくるために使った麻酔薬だ。一応は体質を調べて合わないものは避けたはずだったが、奏斗は目覚めてから二日間吐き続けることになった。おかげで燈葉があの麻酔薬を隠し持っていないか、それが怖いらしい。

「綾瀬課長」

 歩く燈葉に、そう女性が後ろから声を掛けてきた。ぱたぱたとこちらに駆けてくる足音がする。燈葉は実験スタート時点から情報管理課の課長だった。つまり、真に実験を支配している立場にある。

「葉月か。どうした?」

 燈葉は足を止めると僅かに振り向いた。そこには長い髪が特徴の、理知的な顔立ちをしている部下の葉月真広が立っていた。

「これから奏斗の元に向かわれるようでしたので。同行してもよろしいですか?」

 真広はにこりともせず問いかけた。こういうところも燈葉が真広を手元に置く理由だ。あまりにこにこ笑う女性はタイプではない。

「いいだろう。実験データの回収だな。それにあの我儘王子を御すには君がいないと困る。声を掛けるべきだったな」

 燈葉はそう言い、また歩き始めた。

「王子。たしかに何も知らない王子様そのものですね。今のところ名前をいいように利用されているだけ。しかし見た目もよく頭脳明晰なのは真実です。国民の視線を引くには逸材でしょうね」

 真広は眉一つ動かさずに辛辣な言葉を並べた。これには燈葉も呆れそうになる。しかし真広の指摘するとおりだ。奏斗はこの五年間、この建物にいたというだけで何もしていないに等しい。燈葉としてはいい加減に諦めて支配者として振る舞ってほしいのだが、まったく駄目だった。へそを曲げると梃子でも動かない。奏斗の性格を考慮することを失念していたせいだ。しかし奏斗が説得で支配者にならないことも事実だ。無理やりここに連れてきて監禁してしまうのが手っ取り早かった。

「ただのお人形ならば見目美しいだけでいいんだがな。奏斗には実力を発揮してもらわないと実験が続かない。いい加減、素直に協力してくれないと困るよ。もっとも、歯向かってくれているからすんなりと実験が進んでいる面もある」

 そう言う燈葉の口元に薄い笑みが浮かぶ。その笑顔はどこか狂気じみていた。真面目が取り柄という昔の燈葉はもういない。ただ実験のために突き進むだけの冷酷な男となっていた。

「課長。笑顔でそうおっしゃるのはどうかと。サディストと疑われますよ。奏斗を調教しているのは私です」

 真広がまたしても眉を動かさず言ってのけた。実験のために奏斗に苦痛を強いることがあるというだけなのに、こういう言い方をする辺りが怖いところだ。

「これはこれは。本物のSだな」

 燈葉は苦笑して話を切り上げた。何にせよ、実験の次の段階に進むために今日は奏斗に会うのだ。調教と言ってくれるのならば、今日の説得というより無理強いも真広に協力してもらえば手っ取り早い。

 二人は廊下を端まで進むと、そこにある細くて暗い階段を昇った。最上階へはこの階段を使わないと行けないせいだ。エレベーターは設けていない。万が一奏斗が逃げ出た時のため、すぐにはビルから抜け出せないようにしているのだ。眠っている間に最上階に監禁された奏斗にとって、この構造だけでも戸惑うだろう。

 暗くて狭い階段とは異なり、最上階に抜けると明るい。しかしそれは警備のためであり奏斗のためではない。警備をしている警官たちに挨拶をしながら廊下を進むと、奥に重厚な鉄の扉が見えてくる。この先に奏斗がいるのだ。

 そもそも最上階からの脱出が不可能。奏斗は何度か脱出を試みていたが、この扉すら越えられていない。

「奏斗」

 扉を開けさらに廊下を進んだ先にある部屋が奏斗の居住する空間だった。中は至って普通だ。机にベッド、本棚もある。ちゃんとトイレや洗面台も設けてあった。ただ浴室は何かと危険と判断しここにはない。

 燈葉が中を探すと、奏斗は机に突っ伏しているところだった。実験に協力しないと意地を張っている奏斗だが、五年も続く監禁生活に疲れているのだ。服装はTシャツにズボン、その上にワイシャツを羽織っているというだらしない格好だ。監禁されているとはいえ、格好は普通なのだ。特別なものといえば左手に巻いているリストバンドだろう。しかし、見た目はただの黒いシリコン製のバンドにしか見えない。だが奏斗の行動を制御し続けているのはこれだ。その威力を、奏斗は身をもって何度も知る羽目になっている。

「何だ?」

 僅かに顔を上げ、奏斗は嫌そうな目を燈葉に向ける。また自分に無理難題を突き付ける。そういう時にしか燈葉は現れない。そのせいで燈葉にはもう悪感情しかない。

「ふん。嫌そうな顔をせず、そろそろ自らの意思で国民を支配すればいいだけだ。そうすればこちらも待遇の改善は考える。どうだ?」

 燈葉はもうお決まりとなった問いかけから始める。これで頷いてくれれば何かと労力が減る。しかし、奏斗はまだ意地を張るのだ。

「嫌だ。俺は待遇を改善してほしいんじゃない。解放してくれ」

 ぷいっと奏斗は反対方向を見てしまう。こういうところも猫っぽい男だ。嫌なことは絶対にしない。そして見向きもしたくない。それを表わしているのだ。

「解放?お前は殺されたいのか?今やお前は国民から恨まれる存在でもあるんだぞ?諦めて支配者として振る舞うのが身のためだ」

 燈葉はわざとらしい溜め息とともに言った。見向きもしないなんて許さない。どんどん退路を断つだけだ。

「殺されて結構。ここで生き地獄を味わうよりましだ」

 奏斗は顔を上げると燈葉を睨みつけた。お前が勝手に自分を誘拐し、さらには支配者に仕立てたんだ。責任を取るつもりはない。奏斗が言いたいことはそれだけである。

「まったく。管理番号1番にしておいて正解ですね。これではまだまだ役に立たない」

 横から真広がそう言うと奏斗の顔が引き攣った。現実問題として怖いのはこの真広だ。燈葉には強く言えても、真広が出てこれば奏斗も黙るしかない。

「1番。そうだな」

 燈葉はその数字の皮肉さに笑う。1番というのは奏斗に振られたIDの話だ。国民を管理するために振られたIDの筆頭が奏斗なのである。奏斗のIDは00000001だった。

「頼む。本当にもう解放してくれ。俺が何をしたって言うんだ?その辺にいる研究者だろ?もう嫌だ」

 奏斗はまた机に突っ伏すと頭を抱えた。ここにいる誰も自分の意見を聞いてくれない。それだけで気が狂いそうだ。それなのに、燈葉も真広も平然と管理だの支配者だのと言ってくる。もう訳が分からない。

「ふん。葉月の効果は大きいな。嫌がっている場合ではない。それに、今日はその研究で用事があるんだ。来い」

 燈葉は頭を抱える奏斗の腕を掴み、無理やり立たせようとする。

「嫌だ。今度は何をさせる気だ?」

 今までこんな調子で様々なことを強要されている。奏斗は無駄と解りつつも机にしがみ付いていた。

「真広」

 学習して素直になれよと呆れつつ、燈葉は手を離して真広を見た。すると、真広は外套のポケットに手を突っ込み、そこに隠し持っているスイッチを押した。

「――っつ」

 途端に奏斗の身体が硬直する。左手にあるバンドから電流と同時に身体の自由を奪う薬が注入されるせいだ。もちろん、これで吐き気が出ることはない。五年の間に最適な薬が調合されているのだ。

「止めてくれ」

 動かなくなった身体を易々と燈葉に担がれながら、奏斗は訴え続ける。けれどもその声はか細い。薬のせいで口も上手く動かないせいだ。

「ふん。お前は支配者だと何度言えば解る。いい加減、薬なしで動いてくれよな」

 ここ五年で軽くなった奏斗を担ぎながら、燈葉は平然とそう言うだけだった。

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