管理実験

渋川宙

第1話 実験スタート

 まったく予期しなかったことが起こる。人生なんてそんなものだ。しかし、穂積奏斗を襲った予期せぬ出来事は、人生を丸ごと狂わせるものだった。

 その日、奏斗はいつものように研究室にいた。四月の晴れ渡った日だった。それは晴れてここで助教として働き始めたばかりの頃でもあった。しかも大学院を出てすぐにそのポストを用意された期待の新人である。

「ううん」

 しかし本人に期待の新人という自覚はなく、今日も寝癖だらけの頭をぼりぼりと掻きながらパソコンとにらめっこをしていた。

「ダメだ。どこかが間違っている」

 パソコンの画面に映る数値に奏斗はさらに頭を掻く。身長180センチの細身の身体を折り曲げ、猫みたいに画面を睨みつけた。

 実際に奏斗は猫のような人間だ。気分屋だし興味のないことには見向きもしない。周りからは顔はいいのに性格最悪という、ありがちなレッテルを貼られていた。それと同時に、大学時代は天才なんてあんなものかという諦めの目で見られていた。

 そんな周囲の評価なんてどこ吹く風で、いつもどおり過ごしていた奏斗だが、その日常は唐突な訪問客によって破られた。

「穂積奏斗!」

 急にフルネームで呼ばれ、奏斗は何事かと振り向いた。そうでなければ誰が入ってきても無視している。見てみると、警察のようなそうでないような微妙な制服を着た一団がいた。それに何だか上に黒色の白衣のような形の外套を羽織っている。一瞬新手のコスプレかと疑った奏斗だが、すぐにその見慣れぬ制服が本物だと理解した。警棒は本物だ。それに腰にある拳銃も本物。警察を示す紋章も本物だ。

「一体」

 これはどういうことだと思った奏斗だが、真ん中にいる人物が知り合いだと気づいた。いや、正確にはライバルと呼ばれている相手である。真面目な顔の、どこか冷たい印象を与えるその男の名は綾瀬燈葉だ。

「穂積。本日より行う実験の総責任者にお前が任命された。これより身柄をこちらに移す。来てもらおう」

 燈葉は奏斗が自分を見たことを確認し、胸ポケットから一枚の紙を取り出して掲げた。そこには見慣れぬ言葉がずらずらと並んでいる。

「はっ、実験?」

 何のことかさっぱり解らない奏斗は呆然としてしまう。しかし、その間に燈葉以外の制服集団が奏斗を囲み、あろうことか手錠を掛けた。

「何を」

 これでは総責任者ではなく犯罪者だ。さすがの奏斗も焦る。

「これから国を挙げての管理実験を行うんだよ。お前には、その象徴たる科学者として、この国を管理してもらう」

 両脇を制服の男たちに掴まれて立たされた奏斗に、燈葉は近づくと笑った。その笑顔には残忍さが雑じっている。

「管理実験?」

 一体なんだと問いかけようとしたが、男たちが奏斗を無理やり引きずって歩かせ始めた。

「説明しろ?国を挙げて管理するって、国民を管理するってことか?その象徴って、俺を支配者にでも仕立てる気か?」

 とんでもないことに巻き込まれた。ようやくそのことを理解した奏斗は燈葉に向けて叫ぶ。

「そうだ。それも科学技術の粋を集めて管理する。お前は管理者という名の支配者になるんだよ。お前はそうやって、実験の象徴であり国民の敵として生きるんだ」

 愉快とばかりに笑って燈葉は告げる。

「敵?」

 どういうことか。それを問うことはもう許されなかった。近づいてきた燈葉がいきなり奏斗の首に注射器で何か打ち込んだのだ。奏斗の意識は急速に遠のく。

「半日は起きない。連れて行け」

 燈葉はぐったりとした奏斗に満足すると、囲んでいる制服集団に命じた。こうして、奏斗の予期せぬ人生はスタートしたのだった。






 時は進んで五年後。穂積奏斗を支配者とする管理実験は、公表されないままに進められ、着実に社会を蝕んでいた。これが効率化という国の勝手な実験だと、一体誰が気づけるだろうか。

 社会一般には実験が行われていると解るものはない。ただ天才科学者としてもてはやされる穂積奏斗が、社会システムをよくするために何かやっているくらいの認識だった。しかし、徐々に閉塞感を覚え始めたのは確かだった。

「何か、窮屈だよな」

 とある高校の屋上、ここにも社会の閉塞性を感じ取っている人物がいた。二年生になる大久保颯斗だ。颯斗は屋上に寝転んで空を見上げていた。夏の空というだけでなく、何だか空まで狭くなった気がするほど窮屈だ。何でもかんでもシステム化。これがいいとは思えなかった。

「窮屈ねえ。例えば?」

 颯斗の横でタブレット端末を操作する同級生の中野尊が訊ねる。こうやって授業をサボっておいて窮屈とは変だろというわけだ。

「例えばって、尊だって何の話か解ってるだろ?あの奏斗って野郎が作ったシステムだよ。どんな行動をしていても監視されている気がする。はっきり言って気に食わないんだよ」

 ごろりと寝転がって尊を見た颯斗はむくれた。尊はいつもこうやって自分を試してくる。奏斗のやっていることを一番気に食わないと思っているのは尊だというのに意地悪な話だ。

「まあ、何もかも監視したいんだろうね。五年前から変な流れはあっただろ?いきなり国民全員働きましょうみたいな国民総活躍法とか作ってさ。ニートどころか、どんな理由であっても働かない奴は見逃さないと言いたげな法律じゃないか。まあ、現実に失業者ゼロは無理だったけど」

 タブレットを操作しながら尊は自分の意見を言い始める。その内容は相変わらず高校生とは思えないものだ。本当にこういう理屈が好きだなと颯斗は呆れるが、話には乗ってくれるようだ。

「例えばといえばこのカード。昔はさ、マイナンバーとか可愛げのあるものだったじゃん。それが今や携帯義務のあるIDカードだぜ。持っていなければ何も出来ない上に、持ち歩くのを忘れたら罰金刑。明らかにやり過ぎだろ?」

 颯斗はズボンのポケットから写真付きのIDカードを取り出して言った。これこそ監視の象徴だと思える。

「まあな。最近ではカードだけでは不十分と、スマホにその機能を搭載することも考えているらしい。おサイフケータイみたいな感じだというが、余計に何でも国に筒抜けってことだ。これはもう監視なんて甘いものではないと思うね。穂積奏斗はこの国の支配者として、国民を意のままに操ろうとしているんじゃないか?そのカードだけでも、俺たちの行動は奏斗に丸わかりだ」

 そう言うと尊は持っていたタブレットの画面を颯斗に翳した。

「ん?」

 一体なんだと颯斗は身を起こした。そこにはこの高校の名前が書かれている。さらに下には謎の英数字と時間を表わしていると思われる数字が続いていた。

「何これ?」

 いきなり英数字の羅列を見せられても困ると颯斗は質問した。

「はあ、鈍いな。この英数字、見覚えないか?」

 尊はある英数字を拡大して見せた。それによると192458a5とある。しかし、何の見覚えもないもののはずだ。解ることは八桁ということか。

「あっ」

 しかし八桁ということで颯斗は何の英数字か理解した。慌ててIDカードを見ると、自分のID番号がまさにこの八桁の英数字だ。

「これはこの学校の登下校の管理画面なんだよ。学校ですらIDカードを活用している。それにしても颯斗、今日の登校時間が八時半ってギリギリ過ぎだろ」

 尊は勝手に颯斗の登校時間を確認して笑う。

「うるせえ。遅刻してなければいいんだよ。ていうか、授業サボってこんなところで学校のコンピューターをハッキングしている奴の方が駄目だろ」

 颯斗は寝転び直して呆れ返るしかない。おそらく今の監視社会では不良より危険人物とされるのではないか。

「学校のセキュリティなんて今時小学生でも突破できるほどのお粗末なものだよ。こういう個人情報はどうでもいいと思ってるんだろ。それより、奏斗はこれ以上の情報を独りで管理しているってことだ。誰がどこで何をしているか、いつでも覗き見れるのと変わらない。そう思うと恐ろしいね」

 尊は画面を閉じると真顔になった。本当は颯斗以上に熱く奏斗の行動に反対を表明したいのだ。何だか知らないところで妙なことが始まっている。そんな気がしてならない。

「なあ、俺たちで奏斗を止められないかな?」

 颯斗はいつ切り出そうかと悩んでいたことをついに言った。不満を並べていても駄目だ。社会はどんどん窮屈になっていく。

「お前。そのリスクは解っているのか?」

 同じような考えはあっても尊は慎重だ。じっと颯斗を見つめて問い掛かる。

「だってさ。このままだと大学に行って五年後には社会人。大学院に行けば別だけど、社会人になれば奏斗の監視が強くなるのは確実だろ?さっき尊が言っていた国民総活躍法。これの適用範囲は労働可能な国民を対象としているんだぜ。今は高校までが義務教育だから、十八以上が対象。まあ、老人まで含んでいるから終わりがなくてどうなんだってところだけどさ。今のうちに手を打たないと、将来は強制労働ってこともあり得る」

 颯斗はちゃんと考えていると寝転んだまま考えを述べた。どことなく楽天的な性格なので仕方がない。

「まあな。俺は大学院に進むつもりだから余計に深刻な問題もある。それは理系の博士号取得者を政府がかき集めているってことだ。何をやらされるか解ったものではない。俺は理系として、これは見過ごせない問題だ」

 尊はうんうんと頷いて言った。実際に理系大学出身者が次々と姿を消しているという。何がどうなっているのか、これははっきりさせておかなければ将来が不安だ。

「あのう。俺も理系なんですけど」

 何だか今、除外されたよなと颯斗は再びむくれた。成績が悪いからって酷い話だ。

「ああっ、二人ともこんな所にいた」

 そこに二人と仲の良い女子生徒、綾瀬瑠衣の怒鳴り声が響いた。

「やばっ」

 瑠衣は二人と仲がいいだけでなく同じクラス。さらには学級委員長だ。二人の捜索にやって来たのは間違いない。

「こんなところでサボって。さっさと授業に出なさいよ。いくらホームルームだからってサボっていい理由はないからね」

 瑠衣は寝転ぶ颯斗に向けて怒鳴った。

「いいじゃねえか。どうせ担任のくだらない労働へのお話だろ。耳に胼胝ができるつうの。どんだけ国民を働かせたいんだよ」

 ここにも奏斗の影響があるよなと颯斗は嫌になった。何だか人生丸ごと握られている気分だ。働くって、じゃあ芸術家とか小説家とかよく解らない職業はどうするんだと言いたくなる。

「もう。そういうことを言わない。そのうち奏斗によって、IDカードで盗聴も出来るようになるかもよ」

 瑠衣はそう揶揄ってくる。彼女も何かと奏斗反対派だ。

「よし。こうなったら俺たちで同盟を組み、奏斗への対抗策を考えよう。瑠衣、この同盟に参加してくれればホームルームに出るよ」

 いきなり尊がそんなことを言い出した。

「おっ。奏斗を阻止する方法でも思いついたのか」

 颯斗は尊に期待の目を向けた。やはり頼りになる友人だ。

「まあね。どうする?戦力は一人でも多い方がいいんだ」

 尊はにっこりと笑うと瑠衣を見た。

「まあ、話を聞くだけなら」

 瑠衣はどうしようかと悩み、そう断りを入れた。

「よし。じゃあ教室に戻ろう。話は学校が終わってから、俺の家でやろうか」

 尊はそう言って立ち上がった。颯斗ももう不満はないと立ち上がる。

 この三人の行動が真の管理実験の被験者となることになろうとは、もちろん誰も気づいていないのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます