裕泰...... そして、下井



「もう、いいんだ……」


ホワイトデー当日、有陽ちゃんと一緒に入れるだけ、まだ良かった。結局この1週間は裕泰くんからの連絡は来ず、今日の予定に関しても何の音沙汰も無いということは、そういうことなんだと自分に言い聞かせ、有陽ちゃんにもこの現実を伝えてある。


今日はわたしが17時まで、有陽ちゃんが19時までで、19時半に今日の夜はお休みの下井くんと五反田駅で待ち合わせをしている。前に言っていた、下井くんのお友達が働いている鉄板焼屋さんへ連れて行ってもらうことになっている。


わたしと有陽ちゃんが先に着いた所に、下井くんがやって来た。下井くんパパも来れば良かったのに遠慮をされて、仰っていた通り顔を出さなかったようだ。


「下井くんてさ、コートって着ないの?」


「あぁ…… 持ってない」


有陽ちゃんの単刀直入な質問に、寒さのせいか少し背中を丸くして答えている。今日もアウターはMA1を来ていて、黒がメインで裾や袖部分が水色のような、少し色が違っていてわたしは好きなデザインだ。


「ダッフルコートとかは?」


「ダッフルコートってどんなだっけ?」


「厚めのしっかりした生地で、こういう、何て言うの、前は引っかけて留めるタイプのもので学生がよく着てるやつ」 


有陽ちゃんが身振り手振りで説明をする。


「あぁ……似合うと思うか?」


「それ着て眼鏡なんてかけたら賢そうに見えるんじゃないかなぁ?」


「賢そうに見える、ってことはバカ前提じゃないか」


二人のやり取りが面白くて会話を聞いたり、来たことの無い細い通りの両サイドのお店を眺めたりしている内にすぐ目的地に着く。


下井くんに言われて立ち止まったお店は黒ベースの色の外観に、小さめのライトが沢山光っていて、お洒落な感じだった。店内はやはりカップルメインで、あとは女性同士のお客さんなどで満席のように見える。


わたしたちは目の前で調理をされているのが見えるカウンター席ではなくて、落ち着いた隅のテーブル席へ案内された。テーブル同士の間隔はゆったり目に作られているので窮屈感は無い。


「お洒落なお店だね」


「この床もなんかかわいい」


有陽ちゃんとわたしの気分は上がっている。


メニュー豊富で、鉄板焼屋さんというよりも、鉄板焼メニューをメインで扱うお洒落カジュアル居酒屋、みたいなそんな印象を抱いた。ドリンクもワイン、ビール、カクテル、日本酒と沢山用意されていて、大人の人達にはとても素敵なお店なのだろうなと思う。


あぁだこうだと話している内に、黒いハチマキをした下井くんのお友達がオーダーを取りに来てくれた。


「なんで優斗が女子二人も連れてんだよ、しかもこのホワイトデーの日に」


笑顔が爽やかなその人がテーブルに来るだけで、何となくこの場が華やかになった気さえする。この人目当てに来店するお客さんも少なからず居るのではないかと想像できる。


「下井くんの友達って感じ」


戻って行く後ろ姿に有陽ちゃんが呟く。


何となくフロアを見渡して見ると、テキパキと働いている男性店員さんは、全員がいわゆる “イケメン” で、可愛らしい見た目の人もいる。


「なんか、にやけてるぞ」


思わず男子達が一生懸命働いている様子に見入ってしまっていたわたしは、下井くんの一言で我に帰る。確かに気づけば口は半開き状態になっていた。


「良いよね~、なんか」


有陽ちゃんと声を合わせて笑い合う。


そして運ばれてきたドリンクにも二人で歓声を上げてしまう。


「うわぁ、美味しそう」


有陽ちゃんもわたしも食べもの屋さんで写真を撮ることは殆ど無いけれど、今日はママに見せてあげたくて、許可を取り1枚だけ撮らせてもらう。下井くんのお友達が教えてくれたMOCKTAILというノンアルコールのもので、何種類かのフルーツの中から好きなのを選んだ。


料理はサラダ、鉄板焼のお肉にビーフシチューやペンネのグラタン、そして鯛のカルパッチョもチョイスした。さらに数種類追加オーダーをして、最後にはデザートのアイスまで付けてもらい、大満足でお店を後にした。


「ご馳走さまでした。ありがとう」


バレンタインのお返しとして支払いは下井くんが済ませてくれる。店の中からはお友達が手を振ってくれているのが見え、また二人がキュンとして頭を下げる。




自宅が近い有陽ちゃんとは少し進んだ所で別れて、下井くんとわたしは駅方向に歩き出した。


「雰囲気良くて、お料理も美味しくて、良いお店だった。連れて来てくれてありがとね」


駅まではあっという間に着いてしまった。今日はわたしが裕泰くんと一緒だとパパは思い込んでいるので、少々遅くなっても構わない。


「少し話して行かない?」


有陽ちゃんは帰ったし、カフェには入らなくても良いかなと思って、川沿いのベンチまで下りることにした。駅が近づくに連れ、何となくすぐには帰りたくなくなったし、下井くんにも今度はいつ会えるかわからないので、ちょっと間のお喋りに付き合ってもらった。


「ご覧の通り、わたし、振られました……」


ホワイトデーの夜に私たち3人が一緒だった事から連想して、下井くんもうっすらと何かは感じ取っていたようで、


「……そっか」


とだけ、隣に座る私の方は見ずに答えた。


「こんな日って、来るんだね……」


悲しさのピークを今は越えているので、自分でも少し笑いながら話を進める。先週の事柄を改めて謝って、色々と気を回してくれた事にもお礼を言っておいた。


今夜は寒さがまだマシな方だけれど、あまり長居をして風邪を引いてもいけないので、そろそろ行こうとした時、わたしの電話が鳴った。音が出るような設定にしたままで、そして暗闇に響いたメールの着信音は紛れもなく裕泰くんからだけの音だった。


 『今からそこへ行くから待っててもらえる?』


 『誰かと一緒?』


裕泰くんの言う “誰か” とは、下井くんの事を指しているのだと想像がつく。今、二人で居るのを伝えた後の、


 『そのまま一緒に居て』


という理由のわからない返信を頭の中でそのまま読み返して、それを下井くんに知らせた。

下井くんがこんな場に居たくないなら帰ってもらうつもりだったけれど、「言われた通りにする」と話すので、一緒に待ってもらっていた。その間、ずっと未読になっていたメールが全て既読に変わっているのが確認出来た。


 


今夜、机に向かっていた裕泰は、1月31日の事を知った後から、見るのが辛くて引き出しにしまっていた加世子と二人で写った写真を取り出してじっと眺めていた。


裕泰の高校の卒業式の日の写真で、母清奈の逝去後、裕泰の調子がなかなか良くならないのをずっと心配していた加世子の母純香が、加世子を連れて裕泰が出てくるのを校門前で待っていた時のものだ。二人が付き合い始めてまだ2、3ヵ月くらいの頃の、あどけない笑顔が印象的に収められていた。


裕泰は周りの大人たちに、なかなか辛い心の内を表現出来なかったが、加世子の前では弱音を吐いた事もあったし、何より加世子の笑顔に何度も救われていた。この後、二人は色んな場面でツーショット写真を撮っているのにも関わらず、今も変わらずこの写真を飾っているのは、単に気に入っているからという理由だけではなくて、この頃の想いをずっと忘れないようにする為というのが大きい。


今動かなければ、そんな加世子のことを手放す事になる、自分から気持ちが離れているとしても、もう一度素直にぶつてみようか……等々、熱い想いが込み上げて来て、目を通さずにいたメッセージを読むやいなや、瞬間的にさっきの行動に出ていた。




もうすぐ22時半になる時間に、私たちに向けて黒いコートを来た人が小走りに近寄って来ているのが見え、わたしと、少し遅れて下井くんも立ち上がった。


「二人とも、そのままで聞いて」


少しだけ乱れた息を整えるのに、無言の空間が流れる。


「メール、全部読んだ」


「…………」


小さく頷いてうつ向いていた顔をゆっくりと裕泰くんの方に向ける。


「俺、加世子の事になると、全然自信が持てなくて……。側に居てくれるのが当たり前だって、どこかで思ってたけど、そうじゃ無くなってくると、不安しか無くて、どうしたら良いかわからなくなって…………」


どちらかというとクールな裕泰くんが若干混乱した様子で感情を表に出し、必死に言葉にして伝えようとしているのが手に取るように感じ取れた。裕泰くんの困った顔を見るのを、まだまだ自然と拒絶してしまうわたしだけれど、その切なすぎる、力強さは微塵もない、らしくない存在感に瞬く間に引き込まれていく。


「もっと加世子の気持ちも考えて、ちゃんとするから…………隣に居させて欲しい」


涙を堪えるのに必死だった。

 

わたしの中の諦めかけていた気持ちなんて、実は薄っぺらいもので、片隅にはまだまだ期待していた自分がいた事が明白になるように、裕泰くんの目を見つめたままでいる。そして、1メートル程の距離を保ち、横側に立って黙って聞いていた下井くんの顔を1度見て、再度正面に向きなおしてから、裕泰くんに向けて歩き出した。


加世子が裕泰の胸に顔を埋める直前に、下井はその場から消えるように立ち去った。




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