… 21


「年明けにわたしに言った事、冗談だよね?」


「…………」


「お前だって、本当はこんな関係望んでないだろ? だったら……」


「嫌、別れるなんて、絶対に嫌」


訴えかけるように裕泰の腕を強く掴む。


「彼女とは別れてもいいみたいな事言ってたじゃない。あれは何?」


「お前の事は嫌いになったわけじゃない。これからはもっと勉強に集中したい」


「じゃああの子とも別れるんだよね?」


間髪入れずにまくし立てる晶に対して裕泰は強く握る手を優しく自分の腕から離し、落ち着いて答えた。


「…………それは無理」


玄関横に掛けてあったダウンジャケットを片手でハンガーから抜き、裕泰が出ていった後の玄関ドアが閉まる音がもの悲しく晶の胸にこだまして、ショックのあまり涙さえ落ちなかった。






「雨だからか、人少ないね……」


月と週半ばの木曜日、成人式の頃までの活気は無くなり、平日の静かな午後の時間が流れている。


「夜には止むんじゃないかな……」


小山田晶との出来事はもちろん有陽ちゃんに伝えていて、自然と溜め息の数が増えるわたしに、この時間と同じように平静な心で寄り添ってくれている。


普段通りに仕事を終えた頃、約束をしていた下井くんがタイミング良く店の前に現れた。いつマフラーを返そうかと見計らっていたようだけれど、偶然にはなかなか会えなかったので昨晩下井くんから連絡がきて、今日持って来てもらう話になっていた。年末年始はわたしがバイトに入る日が少なかったりであの日以降、顔を合わせていない。


「明けましておめでとう。今年もよろしく」


まずは有陽ちゃんと一緒にお決まりの挨拶をする。下井くんパパが向かい側で作業をされていて、こっちを向いて笑顔で手を上げて下さったので、有陽ちゃんと顔を見合わせるとすぐにあうんの息で駆け寄って、挨拶とこの間のお礼を言っていると、そこに下井くんが今いたお店の前からわたしたちの方に近寄って来ていた。


「遅くなってごめんな」


クリーニングに出されてビニールに入ったわたしのマフラーを差し出す。


「そのままで良かったのに……」


それから有陽ちゃんと3人で、下井くんはお仕事の途中なのでほんの数分だけ立ち話をしている時に裕泰くんからの電話が鳴った。お天気が悪いのを心配して迎えに来ていると言われ、スマホを耳に当てながらいつも車を停めている方の角を向く。コールするまでは加世子達の様子を眺めていたのを一旦引っ込めた上で、曲がり角から姿を見せた。


裕泰は加世子が下井といるのを目の前にすると、いつも何とも言えない複雑な気持ちになるのだが、今日はそれを隠すように軽く微笑んで加世子に1度、スマホを持つ反対側の手を振った。


一瞬、 ‘どうしよう……’ という顔をして有陽に目を向けて、二人にバイバイをした後、裕泰の方へと歩いて行き、柱のきわでもう一度手を振って停めてある車の方に進む。


「ありがとう」


「おっ。顔が見たくなったし」


この感じだと、小山田さんがわたしに物申しに来た事は何も知らなさそうだ。


「やっぱりそのマフラー、加世子のだったんだね」


鞄から少しビニールがはみ出ているのを運転しながら親指で指差してそう言った。


「あっ……そうなの。気付いてたんだね。別に意味は無くて、寒そうだったから……」



この間の事はもちろん言った方が良いというのはわかっているのに、どうしても言い出せなくて黙っていると、裕泰くんがどうしたのか心配そうに聞いてくる。


「何かあったの?」


この絶好の機会すら活用出来ず、裕泰くんの顔を見ると「何もない」と返事をしている自分がいて、そうこうしている内にあっという間に家に着いてしまった。


今日は家には上がらずに帰るらしく、テスト期間に入るし、また暫く会えないのを名残惜しんでふたりで車の中で会話をしていた。話が途切れて別れ際におやすみのキスをしてくれようとしたのを今日は受け入れることが出来ずに、笑顔で、若干逃げるようにして車から降りる。


不自然に感じたのだろうか、裕泰くんはその後、家に帰ってからも何回かメールをくれていて、その都度『何もないよ』とか『気まぐれでごめんね』とか返してはいたけれど、心の中ではどうして言えないのだろうという気持ちと、言った所でどうなるのか、裕泰くんの言葉を信じなくて良いのだろうかという両方の感情がせめぎあっていて、夜もモヤモヤな気持ちのままベッドに入り、翌朝は気分が上がらないまま金曜日ということで何とか重い腰を上げ登校する。今週もラスト1日、連休があったから冬休みが明けて4日目なのに、それはそれは長く感じた一週間だった。




 

  『山中さんには言ったの?』


教室に入る手前で、1限目は別の授業を選択している美樹からメールが届いた。


校門の側で裕泰の姿を偶然に見つけて、いてもたってもいられず、きっと先の質問の加世子の返事は “NO” だと読み、咄嗟に裕泰に声を掛けていた。


「山中さん……加世子の友達の近田です」


その顔に見覚えのあった裕泰は友人達を先に行かせ、話せそうな場所で立ち止まる。


「聞いてませんよね……この間のこと」


昨日の加世子の様子から何かがあったのは察していたので、何を言われるのかとおそれながらも真剣な眼差しで美樹の話に耳を傾けた。


「加世子は山中さんのことが好きだから、きっとどうしていいかわからずにひとりで抱えて、悩んでいるんだと思います」


食堂での出来事に加え、SNSへの投稿写真の事も簡潔に伝えた後、最後にそう言い残して校舎へと入って行く美樹の背中を2秒程目で追っただけで、天を仰ぐように深く一度呼吸をし、重い足取りで別の建物へ上がって行く。





「もうすぐ試験じゃないのか?ちゃんと勉強してるのか?」


土曜日の夜は学園祭の実行委員のメンバーに加え、仲間が仲間を呼び、色々なサークルの人達との合同新年会が催され、参加した裕泰の帰りが遅くなっていた。


「わかってるよ」


ぶっきらぼうにそう言ってすぐ自分の部屋へと上がって行く。


元々父親との仲は悪くはないものの、教育熱心で厳しくもあり、仕事重視の生活をしている人なのでそれほど家庭での会話も多く無く、時にぶつかることもあった。緩和材の役目をしていた母親が居なくなってからは、口喧嘩をすることは無くなっても、裕泰の心の拠り所は常にどこか遠い場所に存在しているようで、自らの空虚が充たされる瞬間を無意識に探求していた。




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