14:8 ありがとう


 あの後、元の世界に戻ってきた私たちは、エデンの園で付けられたアダムネームとイヴネームを捨てて、本当の名前で暮らすことにした。私は"レイン"という名を捨て、雨氷 千鶴うひょう ちづるとしての人生を歩み始める…はずだったのだが、


「…またなの?」

「すまないな"八代目救世主"。また鎮火してきてくれ」


 今まで何千年と戦争を続けてきた二つの世界が、すぐに分かり合えるはずもなく、世界の至る場所で、暴動による反乱が起きていた。だから私が現ノ世界の八代目救世主として、あの"面倒くさがり"が八代目教皇として、それを鎮める役目を果たす。そんな日々がここ"一年"、毎日のように続いていた。


「デコード、あの"二人"はまだ…?」

「異形の生体反応と共に、あの箱の中で生きている」

「…そう」

「だがあの灰色の塊に凝縮された創造力の量は、未だに世界規模の災厄を起こせるほどに有り余っている。一年でこれだけしか減らないとなると、後どれほどかかるのか逆算をしても…」

 

 あの二人が立方体の中でまだ戦っている。そう思えば、これぐらいの日々なんてどうってことない。二人が生きて帰ってくるときに、平和な世界を見せること。それが私の役目でもあり、大きな"夢"だ。


 それからは時が過ぎるのが早かった。一年、二年、三年…とあっという間に時は経ち、"五年"という月日が流れる。反乱を起こす者たちも減りつつあるようで、私の仕事も徐々に消え、この世界から救世主という存在が必要なくなりかけていた。


「…デコード、それは本当に!?」

『ああ、間違いない』


 そんなある日、デコードから私に伝えられた一報。それを耳にした私は、すぐに自室から飛び出して、レーヴ・ダウンの本部まで向かった。


「おー、久しぶりだなー?」

「…あなたは」


 本部にある船へと乗り込めば、白髪の男性が私のことを待ちわびているようで、少しだけ気まずそうに声を掛けてくる。


「おいおい、忘れちまったなんて言わせねぇぞー?」

「…"リベロ"」


 八代目教皇を務め、私と同じように反乱を鎮める毎日を送っていた"リベロ"。私よりもやや背が低かった彼は、見違えるほどに身長が伸び、私を見下ろせるほどまでに成長をしていた。


「髪伸ばしてるんだなー。最初、誰なのか分からなかったぜー」

「あなたは身長以外は相変わらず。誰なのかすぐに分かった」


 それ以外は特に変わらない。髪型も、顔つきも、声も、何もかもが数年前の記憶を呼び戻してくれる。


「まっ、オレは前と変わらずのんびりと過ごしてるからなー」

「それは嘘でしょ? テレビでよく見かけていたけど、あなたは嘘をつくのが下手になっている」

「…それ、わざわざ言う必要あんのかー?」


 唯一変わってしまったことと言えば、嘘をつくのが昔よりも下手くそになったという点。テレビの取材等で嘘をつくとき、リベロは妙に不自然な声色になる。鋭い洞察力を持つ者なら、彼が述べる言葉に含まれた嘘と真実が見分けられるほどに。 

  

「自覚はあるんだけどなー。意識して喋っても、なんか上手く嘘をつけないんだよー。オレがネットの連中に何て言われてるか知ってるかー? "心理戦最弱の教皇"だってさー」

「ふふっ、面白いあだ名」


 私は絶妙なネーミングセンスのあだ名に、笑みを溢す。


「…お前も昔より笑うようになって、少しは女らしくなったよなー。感情でも取り戻したのかー? それとも男でもできたのかよー?」

「別に。私は生き方を変えてみたかっただけ」

「あー、あの頃のレインはどこいっちまったんだかー」  


 私たちがそんな他愛もない話をしていると、操縦席から離れたデコードが近づいてくる。


「君たちの仲が良そうで何よりだ」 

「おいおい、そんなことよりもよぉー? 本当なのかー? 灰色の塊が消滅したって話はー?」


 私とリベロが召集を受けた理由。それは世界に厄災を及ぼす"灰色の塊"が、跡形もなく消滅したから。それを現地で確認するために、船で数年前に別れを告げたあの場所に移動していた。


「ああ本当だ。数時間前、立方体に閉じ込めれていたあの創造力が、綺麗さっぱり消えたのを確認している」

「…じゃあ、"あの二人"は?」

「それは私にも分からない。だから君たちをここに呼んで――」


 デコードがそこで言葉を止める。何故なら船で突き進む方角に、私たちが視線を向けていた方角に見えたのは、 


「おいあれって…"エデンの園"、だよな?」

「どういうこと? あの島はクラーケンの力で崩壊したはずじゃ…」


 数年前に殺し合いを行った孤島、エデンの園だった。クラーケンの巨体によって、バラバラに崩れ去った光景をその目で見ていた私たちは、デコードに視線を移す。


「…おかしい、あの場所には立方体の箱だけしかなかった。それがどうして"忌まわしき島"となっている?」  


 私たちは真実を確かめるために、島の海岸へと船を止めた。中央に茂っている森林も、バスが通っていたコンクリートの道路も、何もかもがエデンの園と酷似しているみたい。


「私はここで船を見張っておく。何かあったらすぐに報告をしてくれ」

「分かった。そっちも何かあったら連絡をして」

「何があるのか分からない。くれぐれも、気を抜かないように」


 私たちは船を降りて、砂浜を歩いていく。辺りに人の気配は感じない。小動物たちの鳴き声も聞こえてこない。妙な静けさに包み込まれた無人島を、私とリベロは中央に向かって突き進んだ。


「おー…オレたちが一年間世話になった寮が見えるぜー」

「それだけじゃない。学校の校舎もきちんと修復されてる。この様子だとショッピングモールや、教会も元の姿になっているかも」


 森の木々の隙間から遠くに見える建造物。それらを横目で流しつつも、足を止めずに中央地点へ向かっていれば、


「おいおい、あれって…」

「…"異形"の」


 その道中で、もはや原型を留めていない異形の死骸が転がっていた。その死骸は酷く腐敗しており、周囲に異臭を放つ。


「しかもそこら中に転がってんじゃねぇかー。勘弁してくれよなー」

「でも、殺されてからかなり時間が経ってる。もう動き出しはしないはず」


 私たちは念のため、異形の死骸たちに注意を払いながら、再び歩き始める。 


「なんか、死骸が新しくなってきてないか?」

「…そうかも」


 島の中央に近づけば近づくほど、腐敗の度合いが下がっていく。一週間前、三日前、一日前…というように、死骸の元の原型も分かるようになっていた。


「…"あの二人"は、無事だと思う?」

「……さぁな」

 

 進む先に、何者かの"血痕"が散りばめられている。それが異形のものではなく"人間"のものだと、私たちの脳は自然とそれを理解していた。 


「あの灰色の壁…」

「…あぁ、あの二人が創造したヤツに違いないな」


 前方に見えてきたのは灰色の壁。それは場所を指し示すかのように、島の中央でそびえ立っている。私とリベロはその壁が、数年前に"二人"が創り出したものだと確信した。そのせいか、私たちは何度もその場で立ち止まったり、歩き出したりを繰り返す。 


「お前、ビビってんのか?」

「…この数年間、ずっとこの時を待ちわびていたんだから当たり前でしょ。あなただって怯えている」

「おいおい? オレは怯えてなんか――」

「やっぱり嘘が下手」

 

 緊張を和らげるために少しだけ会話をし、二人で意を決すれば、早歩きで一気に灰色の壁まで近づき…。


「「――」」


 その先の光景を視界に入れると言葉を失い、呼吸も止めてしまった。足音すら遠くに響き渡るのではないか…と錯覚するほどの静寂さ。それに包まれた二人の影が見えたからだ。


「…"ノア"」

「……"ルナ"」


 数年前に別れを告げた二人。彼と彼女は灰色の壁に背を付け、地面に座り込んでいた。創造形態の衣装もボロボロ、身体中に刃物で付けられた切り傷や、肉を引きちぎられた跡が残っている。


 そして何よりも、彼の左手と彼女の右手が手離さないようしっかりと握られていたこと。それが印象深かった。 


『二人とも、聞こえるか?』


 私とリベロに連絡でもあるのか、通信機からデコードが呼びかけてきた。私たちの思考は完全に停止してしまっているため、その応答ができない。


『辺りの土を採取して、少しだけ成分を調べてみたのだが…。とあることが発覚した』


 あの二人と再会できたというのに、私たちはその一歩を踏み出せなかった。恐怖しているのか、緊張しているのか、何が自分たちを動かそうとしないかが分からない。 


『この島の土の成分に――あの二人の"創造力"が含まれている』

「「……」」

『創造力は持ち主が死ねば、自然と消滅してしまう。それを踏まえれば、この島が存在するということは、あの二人が生きていることに繋がって――』

「死んでるぜ」


 リベロが通信機にそう応答をする。


『…何だって?』

「ノアもルナも、オレたちの目の前で死んでいる」

『……』 


 私たちはやっとのことで、二人の側まで歩み寄った。こんなにも近づいているのに、警戒心の高い二人は目を開かない。


「おい、本当は死んでいませんでした…っていうドッキリだよな?」

「……」

「なぁおいっ――」


 リベロはルナの左手首を一瞬だけ掴むと、顔を真っ青にしてすぐにそれを離した。


「――!」 


 私はノアの右手首を掴んで、リベロがどうしてそのような反応を示したのかを理解する。


「…冷たい」


 ただ、冷たかったのだ。こんなにも暖かい気温だというのに、彼と彼女の身体はとても冷たかった。


「マジ、かよ…」


 リベロはガクンと両膝を地面に付ける。私も立っていられず、ノアの前でペタリと座り込んでしまった。


「…デコード!! お前、ルナたちが死んでいるって、分かってただろ!?」

『…』

「今まで、お前はこの二人の創造力の反応を監視していたはずだ! それが消えたなら、死んだってことぐらい分かるに決まってる!!」


 手の平の上で踊らされていた。淡い希望を抱かされていた。リベロはその事に対して怒りを露にし、私の隣で通信機越しでデコードにそう叫ぶ。


『…すまなかった。君たちを侮辱するつもりで、こんなことをしたわけじゃないんだ』

「じゃあどうして…!」

『君たちを連れてきてほしいと、その二人に頼まれた』


 ノアとルナに頼まれた。一体どうやって。訳が分からず、私とリベロは二人の満足そうな死に顔を見つめる。


『…今から数時間前の話だ。あの灰色の塊が消えた直後、その二人の創造力が突如弱まった。私は何が起きたのかをすぐに確かめるため、ここへ来ようとしたのだが…。創造力の反応が強くなったり、弱くなったりを繰り返し始めた』

「…どういうことだよ?」

『あぁ、私も最初は分からなかったよ。けどその強弱は一定の間隔で、同じようなタイミングで"創造力の向上"を示していたんだ。それは数分ほど続けられると、二人の創造力の反応は消えてしまった。…反応を音に例えると――こうなる』


 デコードが通信機の向こうで、短点と長点を表す音が流れてきた。


『--- ・- ・-・-・』

『--・ ・ ・・ ・-・-』

「…これは、"モールス信号"か?」 

  

 モールス信号。それは遥か昔の時代、無線通信で手短に分かりやすくやり取りをするために作られたもの。私とリベロは顔を見合わせる。


『一つ目がノアから、二つ目はルナから受け取ったメッセージだ。私はすぐに創造力の反応をモールス信号に置き換え、ある言葉が浮かび上がる』

「二人は、何て言っていたの?」

『ノアは"レイン"と、ルナは"リベロ"と言っていた』


 二人が最後に残したメッセージは私たちのネーム。それを伝えられ、眼の奥底から何かが込み上げてくるのを感じた。


『私はどう解釈すればいいのか考え、"君たちを連れてきて欲しい"という意図だと推測した。その真意は今となっては分からない。私にも、これが正しかったのかは不明なままだ』


 二人の前に転がるのは、『Noah』と【Luna】と刻まれたネームプレート。土に塗れていたが、あのエデンの園で誰も殺めなかったことを表す――無色の輝きを放っている。

 

「あぁっ…あぁぁあああっっ…!!!」

「ぐ…っそぉ…!!」


 デコードは真意が不明だと述べていたが、この場に来て二人と会ったからこそ、何を伝えたいのかが私たちには分かってしまった。 

 

「あなたたちはっ…最後のっ…最後までっっ…」 


 現ノ世界は"白"を象徴し、ユメノ世界は"黒"を象徴する。"黒"と"白"が混合して、生まれる色は"灰色"。その色の壁を背に付け、宿敵同士だった"初代救世主"と"初代教皇"の彼と彼女が手を握る。


「"平和"をっ…望んでっ……!!」


 戦争を続けていた二つの世界が"一つの世界"になり、敵対していた人間たちが"手を繋げる"ような"平和"。ノアとルナはただそれだけを望んでいると、そう伝えたかったに違いない。


「死亡フラグをっ…しっかりと回収すんじゃねぇよっっ…!!!」

「ああぁぁあぁっ……!!」


 そこからの記憶はない。唯一覚えることといえば、デコードが迎えに来るまで、その場で泣いていたという――どうしようもない"出来事"だけだった。






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