第二十話 大切な音

 ふわふわしている。


 ふわふわ、ふわふわ。


 なんだかおかしい、私があやふや。

 浮かんでる? 漂っている? わからないや。


 ふわふわ、ふわふわ。


 なんだか柔らかい。


 私は右手を上げて顔を触ろうとするけど……あれ? 手の感覚がない。

 手があるのは……なんとなくわかる。

 でも、うまく動かない、まるで重い棒になったみたい。


 私は考る。

 考えることはいつだってできる。


 早く帰りたいな。

 ふわふわ。ふわふわ。

 ……何処に?

 ふわふわ。

 時々、わからなくなる。


 全てが。


 なにもかもわからなくなる。

 正しさはどこかで迷子。

 私も迷子。


 目を閉じる。

 だけど景色は変わらない。


 ……ああ、これはユメ。ユメだ。

 私はどこか、安心する。

 それはいつかおわるから。

 おわるから。


 だけど、なんだか居心地が悪い。


 綺麗に咲いたお花が枯れるように、変わらないものがないように。


 ……だけどここはそうじゃないみたい。


 早く起きなくちゃ、……分からないけど、大事なことがあった気がする。

 とっても、とっても……大切なおと。


 私は起き上がろうと、重たい両腕に力を入れる。何度も何度も、動かない鉛の様な腕に力を入れる。入れる。

 少しずつ、少しずつ。長い時をかけて動かしていく…………。

 ここから早く……逃げたい。怖い。


 ——そして、私は起き上がり……渾身の力を込めて、両手、両足、体全部を使って立ち上がる。

 

 汗のひとつも流す事なく、立った私は茫々ぼうぼうたる世界を見渡していた。

 

 きっと何度も見たユメ。

 

 多分、どうしようもないユメ。


 ——遥か彼方で。


 思い出を私は見ていた。


 思い出が私を見ていた。


 だからって泣いたりなんかしない。


 辛い時ほど笑うんだ。


 ……でしょ?


 あの時の誓い。


 私は重い腕を上げて……手を振る。


 精一杯の力で。


「ここにいるよ……私」


 バイバイ。


 バイバイ。


 バイバイ。


 バイバイ。


 バイバ……。


 バイ………………。




 □□□□□□□□□□



 …………。



  ……。



    …………。




「うーーん……、ここ、は? 私の部屋……?」


 目が覚めた私は、ゆっくりと目を開ける。

 光の眩しさに慣れず、薄っすらと目を閉じ、手でこする。

 体に掛かった柔らかい毛布の温かさ。見慣れた木の壁。六帖ほどの小さな部屋。

 ひとつだけある窓の下に、置かれた小さなベッドで、私はゆっくりと上半身を起こす。

 

「おはよう、リリー」


 聞き慣れた声。


 『パタンッ』と軽い音をさせて持っている本を閉じサユお姉ちゃんが、私を見る。


「……こんにちはかな? もうすぐ昼だ。リリー、気分はどう? 派手に里の広場に穴をあけてから……ん?」


 椅子に座ったサユ姉ちゃんが、少し驚いた顔をして「リリー、その涙はどうした?」って聞いてくる。


 涙? 

 私は右手で顔に触れる。

 指が濡れる。

 あれ? どうして……?

 私の頬は濡れていた。私の目から出る涙で。私の知らないうちに……。

 それは溢れて止まらなくて……。


「あれ? あれ……おかしいな」


 サユ姉ちゃんの視線から逃げる様に——バサッと毛布に隠れる。


 恥ずかしい所を見られた気がして、毛布で乱暴に涙を拭く。

 ゴワゴワした毛が、顔に痛かったけど気にしない。

 

「大丈夫! 目にゴミでも入ったのかな? アハ、アハハハハ……」


 誤魔化しながら、毛布越しに私が言う。


「ふう」と小さな息の音がして……。


 毛布のなかに隠れた私の頭を、優しい温もりがふれる。

 サユ姉ちゃんが、力強い暖かい手で私を撫でる。


「そうか……、団長からも言われただろう、本当に精霊術は危険なんだ。まだ、リリーは覚えたてなんだから……気をつけないと、たいした怪我もなくてよかった」


 少しだけ、間をあけて……私は毛布から半分顔をだして、「ごめんなさい」と謝る。


「約束だよ。私か、団長が一緒にいる時に使うって」


「うん」


「お腹が減っているだろう、食べれそうなら、ごはんにしようか」


『グーーーーーーーー』


 タイミング良く鳴る、私のお腹。


 私は嬉しやら恥ずかしいやらで、また頭から毛布を被り隠れる。


「それだけ音が出れば大丈夫そうだな、すぐにごはんしよう」


 こっそり毛布の隙間から見た、サユ姉ちゃんは笑っていた。

 綺麗な二重の切れ目が笑っている。

 お人形さんみたいな、すっとした顔の輪郭。

 緑色の目。腰まで伸ばした髪をザッと紐で一纏めに括っている。

 手入れしたらもっと綺麗になるのにって私が言うと、髪なんかどうでもいいって……。

 いっつも自分に無頓着なの。


 笑うお姉ちゃんを見て、私も笑う。

 私にはお姉ちゃんがいる。それが嬉しくて、いつのまにか涙は止まっていた。


 出来るだけ、素っ気なく私はサユお姉ちゃんに聞く。

 

「ごはんなに?」


「鶏肉と山菜のスープだな」


「食べたい」


「じゃあ、着替えておいで。温めなおしておくよ」


「うん」


 椅子から立ち上がるお姉ちゃん。

 赤色の着物が揺れる。


 私はヒラヒラして苦手なんだけど、龍人族のみんなは着物って服を着てるの。

 名前は……なんだっけ? ずっと昔にみんなを助けてくれた異世界人が好きでよく着ていたみたい。

 それから、ずーーっとみんな着物、着てるんだって。

 変なの。

 サユ姉ちゃんは扉を開けて、最後、振り向き私にいう。


「リリー、食べたらお風呂だ。頭が埃で真っ白だぞ」


 ああ、地面に穴あけてそのまま倒れたから……。


「うん、わかった。サユ姉ちゃんも一緒はいろうよ」


 ……めんどくさがりのお姉ちゃんは、少し黙り。


「はーー、いいよ」


 扉を閉めて出て行った。


 私は下着姿でベットから降りて、部屋の隅にあるチェストから服を引っ張り出して着る。


 ちなみに、サユ姉ちゃんは着痩せするタイプだ。

 脱いだらすごい。

 ぶるるんぶるるんだ。

 でも、それは秘密。言ったら顔を真っ赤にして物凄く怒るから。

 そんなとこもサユ姉ちゃんの可愛いところなの。


 私は素早く、簡単な茶色い飾り気のない麻のシャツとズボンを履くと、部屋を飛び出した。


「サユ姉ちゃーん! 鶏肉ましましでー!」


 遠くで笑い声。


「そんな、サービスないから」


 私も笑いながら走る。


「いいじゃん、だって食べたいもん!」


 二つの笑い声が明るく響く。


 響く。


 それはきっと何よりも大切な音。

 

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