第58話 悪魔

 福田薫の主人格は悪魔と共に、深い闇へ落ちた。

 闇の中で悪魔を必死に抑え続けたのだが、限界は訪れ薫は敗北した。悪魔は闇から這い出て、身体を奪い、殺戮を繰り返した。


 薫は深い闇の中に取り残されていた。


 悪魔が闇を抜けてから何か月か経過したある日、悪魔によって薫は救い出された。

 そして、そのまま『表』に放りだされたのだ。


 薫が眼を開けるとそこは見知らぬ場所だった。

 多分、酒を飲むような店。


「――魔術で操られた一般人ということです?」

「……その可能性が高い。君、名前は?」


 黒いスーツの男が二人立っていた。

 何が何だかわからぬままだが、名を尋ねられたので


「福田薫」


 と答えた。


 周囲を見渡し、地面に人が倒れているのに気づいた。血も出ている。

 倒れる人達はピクリとも動かない。


 ――僕が……、僕がまたやってしまったのか……?!


 薫は、罪悪感に飲まれパニックを起こしてしまった。

 そこで黒服の男達に様々なことを聞かれたがほとんど何も覚えていない。


 その後、黒服の男とエレベーターに乗り込んだ。

 その中で、


「君は人など殺したことはないだろう?」


 そう尋ねられ、


「……僕は、してないっ!」


 と声を荒げてしまった。

 自分ではない。悪魔がやったのだ。


 ――なんで、僕は悪魔に助けられたんだ? なんで僕を『表』に出すんだ?


 そう薫が考えた直後、


 ――代われ・・・


 脳裏に響く悪魔の声。

 悪魔に『表』から引きずり降ろされた。

 そうか。

 何か悪魔には企みがあって自分は利用されたのだ。薫の記憶は中学の時までしかない。そこに何か都合の良い部分があったのかもしれない。

 演技ではなく本心から「何も知らない」という、その姿に。


 そこで薫の意識は途切れた。


 ◆


 悪魔は今、己が殺した夫妻の娘と戦っていた。

 自分と同じような能力を使い、両親の無念を晴らそうと必死に悪魔に襲い掛かる。その執念は凄まじく、悪魔は追い詰められた。

 主人格である薫に一度追い詰められはしたものの、『暴力』という専門領域で追い詰められたことはない。

 この俺が負ける、そんなことあってはならない。


 なぜ?

 なぜ負けられない。


 ――負けらんねぇんだよ……。アイツ・・・のためなんだ……。アイツ・・・の。


 悪魔の中から出た本心だった。

 悪魔は一体何のために、暴力を振るってきたのだろう。


 アイツ・・・のため。


 いつしか悪魔はそれ・・を見失っていた。


 あまりに遅く、「手遅れ」、そんな言葉が似あう今になって、悪魔は「戦う意味」を取り戻したのだった。


 ◆


 薫は夢の中にいた。ここに来るのも随分久しぶりだ。

 しかし、今は夜ではないはず。悪魔に『表』から引きずり降ろされてから、そう時間は経っていないはずだ。

 何かがあって気を失ったのだろうか。

 前に視線を向けると、


 そこには悪魔がいた。


 ――負けられないんだ……、俺は……。


 悪魔は膝をつき、涙まで流してそう言っていた。


 後ろを見ると、4人の人格たちが悪魔を指さし笑っていた。ざまぁみろ、くたばれ、様々な罵倒を浴びせている。


 人格の一人が薫に、薫がいない間何が起きたかを教えてくれた。

 この4人の人格たちも悪魔に相当苦しめられたのだ。悪魔に身体を乗っ取られるまでは平和にやってきたはずなのだから。

 それが悪魔の出現で狂ってしまった。その結果、4人も殺しに加担するしかなくなったのだ。


 ――俺は、勝たなきゃダメなんだ……


 悪魔は涙を流し、そうつぶやく。

 薫は悪魔へ近寄った。


 ――俺は強くなきゃいけないんだ……


 薫も悪魔に散々苦しめられた。

 そんな憎むべき奴が今こうして何かを嘆いている。

 なぜだろうか、薫は悪魔を今ここでどうこうしようという気にはならなかった。蔑む言葉も発さず、拳を振り下ろすこともなかった。

 今まで何より恐れていた悪魔がこんなにも弱く、小さく、ちっぽけに見えるのはなぜだろう。


 ――俺は……守らなきゃいけないんだ……


 守ると、そう悪魔は言った。





 ――を……





「……そうか……お前は」


 ――俺は薫を守らなきゃいけないんだ……



「そうか……最初から……」



 悪魔は薫が無意識のうちに生んだ人格。

 自分が心の奥に隠し、殺し続けた想い。

 いじめられたことに対しての怒り、憎しみ。


 その、負の感情の全て。


 それを薫は見なかったことにした。


「あぁ……」


 本当に、悪魔は薫の敵だったのか?

 悪魔が初めて暴力を振るったのはいじめっ子に対してだった。


 いじめっ子に対して「だけ」である。


 あの時、悪魔に身体を乗っ取られた。そのとき、家で会ったであろう両親は怪我をしていたか? していない。


「お前は……」


 確かに、いじめっ子を悪魔は殺してしまった。やりすぎてしまった。

 それで薫は怖くなり、悪魔を敵視した。


 この人格を『悪魔』と呼んだ。



「お前は『悪魔』なんかじゃなかった……」



 見て見ぬフリをして、押し殺し続けた薫の一部だ。

 彼と最初から話せばよかったのだ。怒りや憎しみを認め、それを自分の一部と受け入れればよかった。

 たったそれだけ。


 認めず、敵対し、殺そうとし続けた。

 その結果、歪んでしまったのだ。

 暴力性は秩序を持たず、罪のない人を殺してしまうまでに。


 ――俺がやらなきゃいけないのに……


「……」


 薫は地面に膝をついた。

 嘆く彼の背中に手をやる。


「もう……いいんだ」


 彼は薫の顔をみた。

 彼は端から薫と同じ顔だった。

 もう一人の自分だった。


「一緒に罪を償おう。僕は君で、君は僕なんだから」


 ――俺は……


「君にも、君のしたことにも目を背けないよ……。これからは一緒だ」


 悪魔と呼ばれていた男は静かに笑い、消えた。




 薫の中にいた人格はすべて消え、一つになった。

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