第70話

 エドが思い切りため息を吐いた。

 呆れ果てた感がある。

 表情にも声にも多大にそれが含まれているのは伝わってくるのだ。


「――――あのさ、エルザ。状況分かってるのかな?」


 たっぷりと長い沈黙を挿んでからのエドの言葉に、分からず首を傾げた。

 見事に脳内ではハテナマークがタップダンスを踊っている。

 先程ため息を吐いた時よりも、全体的な空気が重いのは何故だろう。


「ええと、彼女から助けてくれて…ありがとう……?」


 言葉を紡ぐたび加速度的に歪んでいくエドの表情に益々理解が追い付かない。

 彼の瞳は瞳で怒りの炎が煌めきを増しに増している。


「ねえ、エルザ。が外側から鍵をかけたの、気付いてないよね」


 加虐的な笑みを浮かべているエドに瞳が瞬く。


「…え!? うん。でもそれに何の問題が――――」


 ”あるの”と続ける事が出来なかった。

 エドが私をマットの上に押し倒して組み敷いたから。


 困惑で目を瞬かせる私を見るエドの瞳は…何故だろう、昏く澱んだ熱が籠っている。


「エド…?」


 名前を呼ぶことしか出来なかった。

 私の声が掠れているのはなぜだろう……?

 ひたすらに頭が回ってはくれない。

 何が何だか――――


「エルザ、注意されたのにもう忘れてるのはどうなのかな? 君の側近たちの苦労がしのばれるよ」


 皮肉と嘲りに染まったエドの声と相貌でようやく私の脳味噌が動き出した。

 ……言われた…言われましたよね、リーナ達に言われたのに……馬鹿じゃないかな…!?

 でも影響は薄いとエド本人も言っていたのに……どういうことだろう……?


「エドは影響が――」

「それ程は無くても、あるっちゃあるんだ。事実さ、抑えるの面倒だと思ってるし。必要性を感じてもいないし」


 私の言葉を遮ってエドが愉しそうに唇を歪める。

 瞳は嗜虐の色がとても濃い。


 ……痛覚を切っておいた方が良いかな……?

 経験則から思わず脳裏を過る考え。

 全ての感覚もついでに切っておこうかと思ったが…瞬時に取りやめる。


 エドを疎んじている訳でも、どうでも良いと思っている訳でも決してないのだ。

 私にとってエドはとても大切な存在で……だから完全に拒絶はしたくないと強く思う。

 本当の本当は変っていないからこそ余計に。

 ”感覚遮断”をしてしまったら…元の関係に戻れないのではないかと、そう思ったらまったくもって出来なくなった。

 痛覚も切るという選択が跡形も無く消えて思わず苦笑がもれる。


「……エルザってさ、やっぱり馬鹿だよね。経験から不味い状況だって分かってるし、俺をどうにでも出来るのに何にもしない。思考にさえ全然全く上らない。それで浮かんだ対応も完全に受け身でしかないってのに…それも考えて拒絶。本当に馬鹿。極めつけの馬鹿」


 エドに呆れ果てましたと言う表情で至近距離から捲し立てられました。

 綺麗な深い紫の瞳が座っています。


「ええと、ごめん…?」


 思わず謝ったらエドの瞳も相貌もこれ以上は無い程苛立たしげに歪む。

 余計に困惑した時だ、ふと…気がついた。

 気がついてしまったのだ。

 先のエドの言葉。

 ――――声に出していない事もエドは知っていた。

 今までその素振りは彼には無かったと思う。

 ルーやフリードならいつもの事。

 だが今さっきのエドは……

 考えていたら唐突に思い出してしまった。

 エドは言っていたのだ。

 ”抑えるのが面倒だ”と、”必要性も感じない”と。


 つまり――――


「……ねえ、エド。気になった事があるのよ。…貴方、心が読める、の……?」


 訊ねながらも確信を持ってエドを強く見つめ返す。


「…………」


 息がかかる近さで互いに無言。

 表情を消して一切内面を伺わせないエドは初めてだ。

 けれどやはり怖くない。

 まったくこれっぽっちも怖くないのだから…私は本当に仕様がないと思う。

 思うけれど諦めた。

 それが私だから。

 エドがエドである限り、信用も信頼も出来ないのならそれはどう考えても私ではない何かだ。

 多少誰かの影響があるのだとしても、それでも――――揺らぐ私は要らない。


「――――……そうだったとして、エルザはどうする訳?」


 ようやく口を開いたエドの瞳は氷点下。

 先程までの温度の無さが可愛いと思えるほどの冷たさ。

 見つめられるだけで凍えそうだ。


 それでも私の心に浮かんだのは簡単な言葉だけ。

 本当に私は私に呆れるけれど、やはり答えはこれしか出てこないのだから正直に

 答える。


「何も」


 一言だけ告げた私を…エドが今までの比ではなく穴が開きそうなほど強く見つめてくる。

 くるけれど、私にはこの答えしかないのだ。

 心の底まで見られても、それ以外全くもって出てこないと言い切れる。

 影も形も出てはこないのだと強く強く断言出来てしまうのだ。


「……エド……?」


 いきなり肩を震わせて私の肩口に額を付けた彼に目が白黒。

 一体全体どうしたというのだろう……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る