第55話

 咄嗟に脳裏を過ったのは……、という願い。

 以降の私の脳みそも心も考える事から逃げ出す。

 それをすぐさま察知したらしいギュンターは、けれども優しい透明な笑みを浮かべていた。


「今はちょっと置いておこうか。ただ……君達にとって、必ずしも瘴気は不快ではないはずだ。瘴気にも種類があるんだけど、真正の純然たる魔が発する純度の高い瘴気よりも、腐った奴が放つ腐臭の方が耐えられない。そういう存在なんだよ、君達は。さて、脱線していた話を戻そう。リーナで加奈子だった君。転生者だと気が付いた理由を教えてくれるかな?」


 ギュンターの言葉を受け、加奈ちゃんは青くなっていた顔を二度パンパンと叩いて気合を入れていると同時に、彼女に関する一部から切り替えようとしているようだった。

 最後に大きく息を吐いた時には、加奈ちゃんが平常心に見える顔色に戻っていたのを尊敬する。


「彼女、言ったんです。”設定と違う”と。普通そんな事言いませんよね」


 思わず漏れ出た言葉は納得だった。


「確かに……」


 加奈ちゃんも力強く続ける。

 その表情は非常に険しい。


「”知らない”や”聞いた事ない”ならまだ分かるけど、”設定と違う”は明らかに変でしょ。見知った決められている何かとの差異に気が付かなきゃこうは言わない」


 そう告げてから、加奈ちゃんは目を静かに閉じた後に瞼を片手で覆う。

 身体が小刻みに震えている。


「……思い出した。アイツの纏う瘴気。今までは誰かが隠してたのかもしれないけど。でも憶えてる。あの悍ましい瘴気。…………エリザベートは人の本性を暴きだすんじゃないかって予想、たぶん外れてはいないと思う。でもやっぱり人を操る力もあるんだよ。本性を曝け出させて自分に都合よく操るんだ。思い出した。思い出したよ、アイツは――――私の教え子達を殺して喰ったんだ」


 吐き捨てる様に言った加奈ちゃんは、手をどけて泣いている様な表情なのに唇の端を歪に持ち上げて引き攣った笑みを浮かべた。


「自殺。イジメによる自殺。それは公表されなかった。隠蔽された。知らなかった。その気は無かった。私は関係ない。そう言いやがった主犯。それを盲信したその親。隠蔽した連中。――焚きつけたあの女。気持ちが悪くて薄気味悪い陰気な女。ミイラみたいに異常に痩せてて、それなのに自分は美人だと、皆が避けているのも視線を向けるのも見惚れているからだと信じて疑わない狂人。アイツは、あの女は、狙いすました様に私の教え子ばっかり狙った……」


 大きく息を吐いて、加奈ちゃんはまた片手で目を覆ってしまう。

 先程より震えが大きくなったのに気がついてしまった。

 絶え間ない後悔に襲われているのが明確に伝わってくる。

 そして――――暗い負の感情も。


「狙ったんだと思うよ。君の教え子を。大学時代に家庭教師として教えた子達と、幼稚園の教諭してた時の一番初めに受け持った子達だね。君と一緒に居たんだからそれだけでも影響があるのに、リーナで加奈子だった君はその子等に心をかけた。ならより影響を受けている訳で、の様な存在には格好の餌だったろうね。何より。それに反応したんだと思う。世にも稀な属性で、負でもなくましてや魔でさえもなく、中でもない、所謂とされる代物。にとっては彷彿とさせるよね」


 そこで一旦ギュンターは言葉を切る。

 そして徐に私を見て言うのだ。

 彼の表情は沈痛な色が濃い。

 ――――相変わらず、私の心は何も考えたくないと考える事を拒絶する。


「只の餌より喰い応えがあっただろうね。それに力が増す幅も大きかっただろうし……力が増加する感覚は癖になるから。とんでもない快楽なんだよね。麻薬の類が可愛くなるほどの凄まじい悦楽で快楽。一度経験したら止められなくなる。弱ければ弱い程ね。心も魂もそれに伴って歪んでいく。元々がそうだったのかもわからなくなるほど自然に馴染むんだ。馴染むと言っても本人だけで、他者からは魂の歪さは一目瞭然なんだけど。何よりも君達の様な属性なら腐臭が鼻について仕方がないと思うよ。実際エルザは会っただろう? 見ただけで歪んでいるのが分かる存在に。継ぎ接ぎだらけだってすぐに分かったはずだよ」


 ギュンターの言葉で脳裏を過ったのは何年も前だというのに鮮明な光景。

 今何か考える事を捨てている私の脳みそでさえもしっかりと働いてしまう程に。

 それほど私の心に残っているのだ。

 彼の非常識さに心が一区切りついた後、見ただけで吐き気を催してしまうほどの――――今考えれば確かに腐臭だった。

 辺りにあれ程明確に漂っているのに、誰一人気がつかない。

 その事の異常さにも当時は無知だった。

 私以外には分からなかったのだ。


 ――――あのチグハグさやアデラの状態に私以外で言及したのは……


「それはルディアスが君とは本当の本当に正反対だから。正に対極。だからこそお互い惹かれずにはいられないのは本当に呪だよね」


 痛ましそうに表情を歪ませるギュンター。

 ――――そのことについて私は考えるのを放棄した。

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