第37話

 今日は散々な一日だった。

 今朝の事が頭から離れず悶々としてしまい、授業にも集中できず仕舞いだったのである。



 これは、例の岸辺の野原で癒されて、しゃっきりしようかと思い立ち、その場所へと放課後向かった。

 アデラもルチルも、今の所は連携訓練の授業は無いので自由にしているし、私一人で行く事にする。

 学校の敷地内だし、大丈夫だろうと楽観しているのは否めないが、何か考える時は、ちょっと一人になりたいと思ってしまう。

 それが植物のある所なら、余計に元気をもらえるし考えも纏まると思うのは、前世から変わらない点である。



 歩きながら、グルグルと思考はエリザベートの事とフリードで占められる。



 彼女が国中から疎外されているのが、こう、モヤモヤするのだ。

 それは最初、彼女の所為では無い事から始まり、彼女の言動で、現在の状況に陥っている。



 始まりが悪かったから、彼女はそういう行動を取ってしまうのか、それとも、私が、彼女を駆り立ててしまったのか……



 フリードの事だって心配は尽きない。

 何せフリードは、身内に甘い。

 一度懐に入れた相手には、本当に甘々なのだ。



 元々の根っこの部分が基本的に優しいから、それにプラスしてつけ込まれたらどんな事になるか分からず、怖いのだ。



 そう、今朝の事だって、本当にフリードの立場を危険に晒すような判断をしかけて、動かない体ながら、心胆が冷え切ってしまった。



 そして私は自分の矛盾に、心がざわつく。



 何故なら、エリザベートはフリードを求めていて、その事については尤もだと認識している。

 でも、フリードの立場を考えたら、エリザベートがフリードに近づくのは容認できないのだ。



 私は、一体、どうしたら――――


「危ないっ!」


 声がして、誰かに抱き留められる。


「え!? あれ!!?」


 周りをキョロキョロとして見て、気が付いた。

 どうやら考えながら歩いていたから、林の木に激突しそうになっていたのだ。


「大丈夫ですか? どこか、お怪我は?」


 温かな優しい声がして、その人が私から身を離す。


「あ、ハンバート、さん?」


 目をパチパチさせつつ相手の顔を見て、びっくり。

 私を助けてくれたのは、あのハンバートさんだった。


「はい。ハンバートで構いませんよ、エルザ様」


 クスリと笑いながら、ハンバートさんは、木を軽く叩く。


「根もありますから、林を歩く時はお気を付け下さいね」


 恥ずかしくて、顔が赤らむ。


「あの、ありがとうございます。ハンバート、で良いのですか……?」


 恐る恐る訊ねると、彼は男らしくも端正な顔を綻ばせ、


「はい。そう呼んで頂けると非常に嬉しいです」


 彼に笑顔を返しつつ、自分の変化に戸惑っていた。



 何故か、彼を視ると、不自然に動悸が止まらなくなる。

 瞳が熱を持ち、彼の一挙手一投足を目が追い、熱い吐息も漏れそうになるなだ。

 彼の事しか考えられなくなるのを止められない。



 そうあるのが正しいのだと、そうあるべきだと、何かが強制して来る。



 それだけでも大変だというのに、舞踏会の日以来の、あの、舐め回されているかのような不愉快感が、私を苛んできた。


「大丈夫ですか? 顔色が悪い様ですが、どこか具合でも?」


 心配そうに、優しく問いかけてくるハンバートに、何か返そうと思うのに、顔を平常心に保つだけで精一杯で、他の事が考えられない。

 ときめく、というものが、これなのかは疑問だが、瞳の熱と、頬の赤味を必死に抑え込んでいる間にも、全身を這い回られている様な不愉快感は継続中。


「……ここは人があまり来ませんから、何かあると大変です。お一人でここに居らっしゃらない方が良いのではと思います」


 私は折角助けてくれた恩人に何も言えず、下を向いて沈黙するしかないのが申し訳なくて申し訳なくて、泣きそうになってしまっていた。

 そんな私を労わる様な、ちょっと間を置いてから、ハンバートが優しく案じる様に言った言葉に、何とか今回は返さなければと気力を振り絞り、返す事が出来た。


「……学校の敷地内で、何かあったりするものでしょうか?」


 ハンバートは、少し困った顔をして


「ええ、まあ。魅力的な年頃の女性が、人気の無い場所にお一人でいるのは、やはり……」


 彼は、何か言葉を濁しているが、何かあったりしたのかなぁ?

 今度教官かリーナに聞いてみよう。

 あ、エドの方が、色々情報にも聡いだろうからそちらの方が適任かも。



 どうにか思考を逸らし、不愉快感と、強制されている事から逃げていた。


「忠告ありがとうございます。それでは」


 どうにも平静を装うとして、つっけんどんな物言いになってしまい、ハンバートに申し訳なさが天元突破だ。

 だと言うのにも関わらず、謝る事も出来ず、彼から遠ざかって行くしかない。

 これ以上側に居たら、精神がどうにかなってしまいそうで、要因の一つであろう、ハンバートから離れるしか手は無かった。


「お気を付けて」


 私の態度に、一瞬、彼の綺麗な紺色の瞳が悲し気に歪んだ気がしたのは、気の所為じゃない、と思う。



 ごめんなさい、貴方を嫌いな訳ではないのです。

 貴方に不愉快感がある訳でもありません。

 こんな態度で、本当にごめんなさい。



 そう言って、理由を言えたらどんなに良いかと思うのに、その言葉は、どうしてか私の身体から発声出来ないのだ。

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