柳橋葵

柳橋やなぎはしさん、あなたは最高だ!」


 そう言って湊鍵太郎みなとけんたろうは、興奮した様子でこちらの手を取ってきた。

 今日は彼の学校の、文化祭。

 向こうは学校祭と呼ぶらしいが、こちらの学校は違うのでどうしても文化祭と呼んでしまうのだ。

 自分の学校のクセが出てしまう。けれどもそれは、この掴まれた両手の感触からしたら、どうでもいいもので――


 ようやく、この人と対等に話せるときが来た。


 そう固唾をのんで、薗部そのべ高校の吹奏楽部・元部長、柳橋葵やなぎはしあおいは思った、が。


「このお礼はまた後ほど! ありがとうございました!」


 何やら思いついたらしい彼が、ダッシュで自分の学校の舞台に帰っていってしまうことに。


「えー……?」


 葵は呆然と、手を掴まれたときの姿勢のまま、声を上げるのだった。



 ###



「なんなのアイツ! マジで意味わかんないんだけど!」

「まあまあ、櫂奈かいなちゃん……」


 そして、その文化祭――学校祭が終わってから。

 同じ学校の面子と来たファミレスで、葵は同い年をなだめていた。


 戸張櫂奈とばりかいな

 葵と同じ吹奏楽部の、トランペット担当だった部員である。


 今はお互いに部活を引退し、元現役生になっている。色々あって彼女とは一時険悪な雰囲気になったこともあったが、さらに色々あってこうして仲良くなっていた。


 そしてその『色々』に、彼――他校の吹奏楽部の元部長、湊鍵太郎が関係してくるわけだが。

 その際のいざこざで、櫂奈は彼を敵視している節がある。同じトランペット吹きのあいつ共々、あの他校の部長を張り倒しに行く――などとも言い放ったことのある彼女だが。

 どうも今回の一件で、優先順位は彼の方が高くなったらしかった。


⁉ 楽器を、うちの学校から借りたい⁉ なに言ってんのアイツ! うちの学校を楽器庫か何かだと思ってんの⁉」

「いや、ちゃんと余ってる楽器があったら、って言ってきてるし、終わった後は整備して返してくれるし。いいんじゃないかなあ……」

「そーやって葵が甘いから、アイツがつけあがるのよ!」


 まるでダメ男に騙されている友達に接するように、櫂奈は葵に勢い込んで言う。

 彼女にしてみれば、こちらの学校の備品を条件付きとはいえ借りまくろうとしていること自体が、我慢できないらしい。

 薗部高校は元々、強豪校であり楽器の数自体はかなり多い。

 もっとも今は、県内でも中堅クラスのレベルに留まっているのだが。弱小、とは自分の代で言わなくなっただけ、進歩だよな――と、葵がふふ、と笑っていると。


「それに! なにより! 私たちの! 葵を! あんな風に都合よく扱ってくるところが! あり得ないって言ってるのよ!」

「櫂奈ちゃんは葵ちゃんのこと、ほんと大好きだねえ」


 のほほんと、同じテーブルにいた植野沙彩うえのさあやが言ってくる。

 ファゴット、という吹奏楽ではやや特殊管扱いされている楽器の人間であるが、本人はそのことに誇りを持っているので何はばかることなくこの場にいる。

 昔のように、どこか儚げな表情を見せることはなくなった。

 これもまた、彼のおかげなのだが――と葵が呑気に笑っていると。


「ど・う・し・て、そんなにのんびりしてるのよ葵! アンタ悔しくないの⁉」

「いや、櫂奈ちゃんがあんまり怒ってるから、逆に冷静にならなきゃっていうか」

「にしたって舐められてると思わない⁉ 頼めば貸してくれる都合のいい女って⁉ あーやだやだ! こうなったら徹底抗戦してやるんだから!」


 うちの部長を、ボロ雑巾みたいに捨ててくれやがったこと、後悔させてやるわ――などと、櫂奈は気炎を吐いている。

 いや、捨てられた覚えはないのだが――と、葵は友達の態度を見て首を傾げた。

 よくよく話を聞いてみると、どうもそのOBOGバンドのことを思いついたのは、こちらを見たのがきっかけだったらしい。


 新規で団を立ちあげるには、まず備品、当然ながら楽器が必要である。

 だからこそ、大量に楽器を所有している薗部高校の面子を見たとき、これだ、と彼は思ったそうだ。あの他校の部長は、こちらの学校に来たとき、音楽準備室にも出入りしている。


 それがあって、彼の頭には電撃的にアイデアが閃いたのだ。

 故にこそ「あなたは最高だ」である。

 何やら喫緊きっきんに卒業しても吹く場が必要だったらしく、その閃きのきっかけになったこちらに、向こうは非常に感謝しているようだった。


 まあ、にしても若干の肩透かしを食らった感はあるが。

 せっかく、お互いに部長としての役目を終えて、ちゃんと話せると思ったのに。

 その点だけはやや不満で、葵がぶー、と軽く唇を尖らせていると。

 櫂奈が言った。


「決めた。こっちもOBOGバンド作るわよ」

「え⁉」


 唐突な宣言に、元部長が驚きの声をあげる。

 楽器を貸したくないから、OBOGバンドを作る――なんともとんでもない理由である。

 ただ歴史がある分、確かに薗部高校でそういったものを作れば大量の団員が見込めそうではあった。女子高なのでOGバンド、という名前にはなるが、ともあれ作るとなれば多くの楽器が必要になる。

 こちらの学校で必要になれば、向こうの学校には貸せない。道理だ。

 しかし。


「い、いや、ちょっと待って櫂奈ちゃん。今から人を集めるの大変じゃない⁉」


 一度引退して部から遠ざかった身、かつこの先特に本番もないとなれば、ここからメンバーを集めるのは非常に困難となる。

 なんのきっかけもなくただ集合、とはならないのだ。それこそ、何かの本番――彼流に言うなら機会、か。それがなければ。

 だが、逆に言えばきっかけさえあれば、人は集まるということでもあった。

 そしてあの部活には現在、連絡のかなめになりそうな人間がいる――。


「るり子先生が同年代の人に声をかければ、結構ぶわーって集まるんじゃないかなあ」

「沙彩までなに言ってるの⁉」


 まんざらでもない、という風に言ってきたもうひとりの友達に、葵はさらに驚いて突っ込んだ。

 確かにあの顧問の先生は、薗部高校が一番強かった頃、黄金時代の生徒である。

 やる気と情熱に満ちた人。恐らくはその時期の部員たちもまた、同じくらい熱意に満ちた人たちなのだろう。

 なら、声をかければ応えてくれるくらいの熱量は、未だ持ち合わせているはずで――あの先生を見る限り、きっとその予想は当たっているのだろうと思えて。

 そして呼ぶ側にも、そうするだけの理由があって。

 慌てふためく葵に、沙彩はふわりと微笑んで言った。


「だって、OGを呼ぶってことは、昔ファゴットあのがっきを吹いてた人も来るってことでしょ。わたし、その人に会ってみたい」

「沙彩……」

「会って、隣で吹いて、話してみたい。どんな風な気持ちで楽器を吹いて、どんな気持ちでみんなの中にいたのかって――聞いてみたい」


 ファゴット、というやや特殊な立ち位置にいるだけに、沙彩は部内でも孤独を感じることがあったらしい。

 決して彼女がつまはじきにされていたわけではない。

 ただ、同じ楽器の人間がいる、というのはそれだけで、沙彩にとっては特別なことなのだ。

 同じバンドに二人もファゴットがいる状況など、相当に大きなところでなければあり得ない。

 だからこそ、その光景を実現させてみたい――同じく吹奏楽ではひとりでいることの多い、コントラバスの葵には、友達の気持ちが理解できた。


「うん……そうだよね。うちの学校はうちの学校で、卒業した先輩たちも集まって、演奏してみたいよね……」


 今なら、彼の学校のやりたいことだって分かる。

 かつて自分たちと一緒に合奏をしていた人、それよりもっと前に音楽室で練習をしていた人。

 そんな人たちと一緒にできるなら、会ってみたいと思うのだ。

 毎日のように学校で、使われていない多くの楽器たちを見ていた。

 大半は埃をかぶって、箱にしまわれっぱなしのものだった。その中にある楽器が、かつての吹き手と共にまたステージで輝けたら、どんなに素敵だろう。


 死蔵だらけで墓場のようだった音楽準備室が、また活気で満ちるのだ――その光景を想像して、葵は目をつむった。


 あの顧問の先生のような、人の話を聞かない暴走機関車がいっぱいいて。

 些細なことでブチ切れるトランペットの同い年がいて。

 ゆるゆるふわふわで自分の楽器が大好きな友達が、周りを気にせずマイペースに楽器を吹いているのを――


「いやあああああああああああああ⁉」


 うっかりリアルに思い浮かべてしまって、葵は絶叫した。

 いやだ。せっかく部長でなくなって、気楽な身分に戻ったというのに。

 そんな惨状が目の前に広がっていたら、またどうにかしたくなってしまうではないか。

 女三人寄ればかしましい。それが今度は、十倍にも何十倍にも――考えるだけでめまいがしてくる。


「決まりね。るり子先生に連絡取ってみましょう。きっと乗ってくれるわよ」

「そうだねー。昔あの楽器吹いてたのって、どんな人なのかな。楽しみー」

「ち……ちなみに二人とも、OGバンドを作るってなったら、代表者はどうするわけ……?」


 わいわいと盛り上がる友達二人に、葵は待ったをかけるように手をあげる。

 ひとつの団体を作るとなれば、代表者は絶対に必要だ。ともすれば動物園のようになりかねない状況を、まとめられるような強いリーダーシップの持ち主が。

 すると集まった中で最年長のOGか、または顧問の先生と密に連絡を取れる人間か――そこまで葵が考えていると。

 櫂奈と沙彩はきょとんとして、声をそろえて言ってきた。


『葵 (ちゃん)に決まってるでしょ』

「やだーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼」


 今度こそ、以前に部長になったよりも激しく、葵は拒否の意を示した。

 だめだ。メンバーのアクが強すぎてもう無理だ。全くまとめられる気がしない。

 現に友達二人は、まるでこちらの意見など聞かずガンガンと自分の考えを言ってくる。「発起人で、久しぶりに金賞を取った代の部長で、るり子先生とも連絡を取りやすいんだもの。もう葵しかいないでしょ」「葵ちゃんならるり子先生とまともに会話できるんだもん! いけるいける!」――なんて、勝手な。


「あーもう……助けて、湊さーん」


 机に突っ伏して泣きそうになりながら、他校の部長――いや、もうひとつのOBOGバンドの名を呼ぶ。

 こんな連中の長になったのだから、あの人のことを尊敬する。

 向こうはこっちを最高だ、なんて言ったけれど。


「いや……また対等の立場まで追いかけられるとしたら、まんざらでもないのかも……?」


 そのとき握られた、てのひらの感触を思い出す。

 むしろ再び自分を奮い立たせてくれる、あの人の方が最高だ。

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