第413話 入れ替わる流れの中で

「よーしみなと、OBOGが使う分の楽器の手配終わったぞ」

「わーい」


 学校祭に向けた練習を進める中。

 湊鍵太郎みなとけんたろうに、吹奏楽部顧問の本町瑞枝ほんまちみずえは言った。

 今度の本番のステージは、初の試みとして卒業生を呼んで一緒に演奏することになっている。

 人数が増えた分、楽器も足りなくなっていた。追加の楽器を他の学校から借りる手はずになっていたわけだが――その件も、無事決着したらしい。

 本町は、やれやれと伸びをし、苦笑して言う。


薗部そのべ高校のあの先生も相変わらずだなあ。楽器は貸すが、代わりにまた合同バンドやりませんかと言ってきやがった。この分だと受けざるを得なさそうだな」

「したたかな人ですねえ、本当に」


 去年の学校祭の後、初めて会ったあの他校の顧問のことを思い出す。

 色々な条件を付けて、なんとか自らの学校にプラスになるよう状況を持っていこうとしたあの人。

 かつての強豪校としての栄光を取り戻すべく――そして、今まさに始まる歴史の一歩を作り出そうとした人。

 かの学校は今年のコンクール、代表にはなれなかったとはいえ金賞を取った。大躍進を遂げたここから、さらに――といったところなのだろう。

 お互いにそうやって盛り上げていくのはいいことだと思う。

 学校祭が終わった後、組まれる合同バンドに自分はいないけれど、この分なら今年も面白いことになりそうではあった。

 時間はゆるゆると流れている。

 そういえば、あっちの部長さんも引退したと思うけど、元気かな――と、鍵太郎が他校のコントラバス弾きのことを思い出していると。

 本町が言う。


「まだ参加の返事を寄こさねえOBOGには、アタシからも言うがおまえからも催促の連絡しとけよ、湊。今回の手配で大体の楽器は足りると思うが、急に来られたら対応しきれねえ」

「散歩感覚でフラッと来て、適当に楽器持って超上手い演奏して帰りそうですもんねえ、あの人たち……」


 記憶の中の先輩たちの言動に、口にしたことがあながち的外れでもないと冷や汗を流す。

 本当に、特に二つ上の先輩たちなどは無茶苦茶にマイペースなのだ。予告もなくいきなりやってきて、「あれ、来るって言ってなかったっけ?」などと言い出しかねない。

 なのに演奏に関しては文句もつけようもないから始末が悪い。今さらながら、よくあの人たちの後輩などやれているものである。

 そして、部長としてそんなOBOGたちをまとめていけるのだろうかという不安が残る。まあ、たぶん大丈夫だろうけど若干の不安が残るのはなぜだろう――と、かつての先輩たちのことを鍵太郎が引きつり笑いで思い浮かべていると。

 先生はそんなこちらを見て、おかしそうに笑った。


「まあ、あいつらも大学生になったからなあ。多少は分別ってもんをつけられるようにはなってるだろ。今回の演奏に参加するようなやつなら、なおさら」

「ええ、そうですね……あの人たちだって突然、打ち合わせにない動きをしたり、スタンドプレーとかしないですよね、たぶん……」

「舞台を盛り上げようとする行動だったら、歓迎してしかるべきだと思うがね」


 そんな生徒たちを全員見てきている本町は、さすが大人といったところなのだろう。余裕の態度だ。

 先生がいれば大抵のことはなんとかなる。そう鍵太郎が自分に言い聞かせていると、ふいに本町の顔に苦いものが混じった。


「ああ、そうそう。ひとつ言っておかなきゃならねえことがあるんだけど、湊」

「なんですか?」

「まあ、部活に直接関係あることじゃねえんだけど――学校祭のステージになるうちの学校の体育館、あれな」


 先生が浮かべた表情は複雑だったが、瞳は、どこか。


「今度の本番を最後に、取り壊すことになった」


 失われていくものを見る寂しさを、映しているように思えた。



###



「別に建物自体に不備があったわけじゃなくて、単に年数の問題なんだよ。古くなってきたからそろそろ建て替えなくちゃならなくなったってこと。

 学校祭を機に新体育館の施工に着手して、来年からは学校祭の吹奏楽部の演奏はそこで行われることになる。だから、旧体育館での演奏は今度が最後になるんだ」

「……音楽室にクーラーの設置はしないのに、そーいうお金はあるんですねえ」

「言うてやるな。そのとおりだけど」


 鍵太郎が反発して嫌味を言うと、本町はさらに苦笑度合いを強めた。

 馴染みの体育館がなくなる。事実として、これは抗いがたい流れなのだろう。

 年月というのは誰に対しても平等だ。

 思い出が詰まっているとはいえ、古くなった体育館を壊さなければならないことも。

 自分が三年生で、もう引退しなければならないということも――しょうがないことではある。

 ずっと前からそうなることは決まっていて、言ってしまえば知らないだけで予算だって組まれていたし、予定だって立っていた。

 けれど、はいそうですかで済むほど、こちらの心は単純にできていない。


「来年からは綺麗な会場でやれるぜひゃっほーいとは、まあすぐにはならないわな。場所っていうのは過ごしてきた分だけ思い入れもあるもんだし。アタシだってそうだよ」


 肩を落とす鍵太郎に、先生は困ったようにそう言う。

 音楽室の窓からも見える体育館は、いつもと変わらずそこにある。

 ただ、来年はなくなるのだと言われると――しょうがないけれど、とても残念な気持ちに襲われた。

 いつも通る道にあった古い木が、ある日通ったら切られていたのと同じように。

 当然だと思っていたものも、いつかなくなってしまう――そんな無常感の中で、本町は続ける。


「人だってそうだよな。実はアタシもこれでいつ異動になるかって、結構ヒヤヒヤしてるんだぜ。教職員の配置換えって、かなりギリギリになるまでこっちにも言われんのよ。だから二月とか、いつも心配。おまえらを残してどっか行かなきゃならないのかって」

「……でも、新しい学校でもやっていかなきゃいけないんでしょう」

「まあなー。けどやっぱり、この学校も長いから。感傷を抱くくらいは自由にさせてほしいって思うわけよ」


 長くいればいるほど、なあ――そう言って先生は、体育館の方を見た。

 入学式とか学校祭とか卒業式とか。

 そういった一年の節目は、やっぱりそこで迎えてきた。

 だから、どうしたって思うところはある――なくなるということにどんな感情を抱くか、選ぶ自由はある。

 気が付いたらどんどん流れていってしまう時間の中でも、そのくらいの猶予はある。

 ならば、と――その狭間にいる引退直前の部長に向かって、まだ余地はあるのだと本町は告げた。


「そんなわけで、今年の学校祭にOBOGが参加しての演奏をするって話になったのは、奇妙な縁で、ある意味いいことだとアタシは思ってる。お別れも言えるし、お礼も言える。もちろん、なんの感情も持たないことだってできるさ。ただ、そこに居合わせるってこと自体が重要なだけ」

「記念コンサートであると同時に、さよならコンサートでもあるってことですね。今度の学校祭は」

「まあな。だからまあ――来られるやつは来たらいいって。卒業したやつらに言っておきたくて」


 演奏するしないに関わらず、さ――と、音楽でつながった生徒たちに向けて、先生は笑った。

 時は流れて、入れ替わるものは入れ替わる。

 物も人もなくなってしまうけれど、それでも、絆だけは。

 残しておければと、顧問の先生は言った。


「……今度の学校祭の演奏は、絶対に成功させようと俺、思いました」

「ま、あんま気張らんなくていいからよ。みんな集まってドンチャンやろうや。おまえにはそれの取りまとめをお願いしたいだけ」

「そう言われたら途端に、まとめられる自信がなくなってきました。ああ怖い。先輩たち怖い……」


 この情報を聞いたら、絶対先輩たちは張り切るに決まっている。

 そして「こっちの方がいいでしょー!」とか言って予定にないことをやりまくるに決まっている。

 考えるだに頭も胃も痛い。実際に鍵太郎が額を押さえていると、本町はそんなこちらを見て笑った。


「いいんじゃねえの、存分に苦労すれば。その分だけ伝説の部長として語り継がれることになるよ、おまえは」

「ううー、嬉しくない……」

「四の五の言わず、ほい、OBOGに連絡連絡!」


 今や、おまえがこの部活の中心なんだからよ――と、先生は。

 絆の真ん中にいる生徒を、楽しそうに叩く。



###



美原みはら先輩も出席、永田ながた先輩も来る、と……」


 先生に従ってOBOGへと連絡をし、舞台に上がる者を再度確認して。

 鍵太郎は、リストアップした先輩たちの名前を眺めた。

 やはり、かなりの人数がいる。これまで関わってきた人間がこうも勢ぞろいすると考えると、なかなかに壮観だった。

 ちなみに先ほど名前を挙げたマイペース代表のような二つ上の先輩たちの楽器は、そうなるだろうと思って既に用意してある。このくらいの先読みができなければ、あの人たちの後輩などやっていられない。

 あまり先手を打ちすぎると肩透かしを食う場合もあるので、ほどほどにしておくが――念には念を入れておくにこしたことはない。そんな風に丁寧に迅速に、鍵太郎が学校祭の準備を進めてると――

 そこに。


「あ、滝田たきた先輩」


 中でも馴染み深い、打楽器の男の先輩からの連絡が入る。

 この人からの出席連絡は、既にもらっているのでもちろん名簿に名前は載っている。となれば、何の用事だろうか。

 もし出られないということであれば、あのバスクラリネットの先輩がごとく、なんとしてでも引きずり出す気でいるが――そう考えつつ、鍵太郎が通話ボタンを押せば。

 聞こえてきたのは、やはり滝田聡司たきたさとしの声だった。


『よう、湊』

「先輩、どうしたんですか電話なんて」


 改めてOBOGに対し出欠の連絡は回したが、もう返事をしているはずの聡司からまた連絡があるのもおかしな話だ。

 何かあったのだろうか。電話の向こうから聞こえてきた声が柄にもなく、硬い調子だったので鍵太郎は眉をひそめた。

 いつもはこういうときこの人はもっと、弾んだ感じにしゃべるのに――


『実はちょっと、相談したいことがあってな。オレのことじゃないんだけど』

「先輩のことじゃない? じゃあ誰のことですか?」


 もう一度、手元の名簿に目を通して首を傾げる。

 楽器別、学年別に書かれた見知った名前たち。関わってきた人たち。

 そこに――


『……豊浦とようらと、連絡がつかない』


 この部活に来たとき、初めに楽器紹介をしてくれた。

 トランペットの先輩の名前がないことに、鍵太郎は一瞬、息を止めた。

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