第405話 ドロドロのドロー試合

「大体、なんで閉会式に出なかったのよ、あんたたち」


 同い年と話し合うにあたって、千渡光莉せんどひかりは真っ先に気になっていたことを訊いた。

 先日行われた、東関東大会。

 その最後にあった出来事――部員たちが記念撮影の場を離れず、部長と副部長が帰ってくるのを待っていたことについてだ。

 大会の最後の演奏順ということで、自分たちの学校の演奏は、閉会式の時間ギリギリに行われた。

 だからこそ、部長である彼と副部長である光莉は撮影を諦め、二人で公の場所に向かうことになった。そうしなければコンクール全体の進行に支障が出るし、それで減点や失格になったら目も当てられないからだ。

 けれど、部員たちはその場に残っていた。

 普通であればさっさと撮影を終え、閉会式には出るところだろう。なにせ、演奏の結果もそこで発表されるのだから――気にならなかったわけではあるまい。

 誰よりも金賞にこだわっていた、この同い年ならば、なおさら――そう思って光莉が片柳隣花かたやなぎりんかを見れば。

 彼女は自身も困ったような面持ちで、光莉の疑問に答えてくる。


「……そりゃあ。行くべきだとは思ったわ。それが筋というものだし、順当でまっとうな考え方でしょう。結果発表の場に部員が居合わせないなんて、おかしいもの」

「だったら、なんで」

「『それでも行くべきではない』という考え方が、私の中で上回ったから」


 さらなる問いに、隣花は端的にそう答えた。

 妙な言い回しだが、これが感情よりも論理で物事を判断する、彼女らしい言い方なのだ。

 しかしだからこそ、余計に気にかかる。

 基本的に隣花は、気持ちよりも条理を優先する。それはこの口調のとおりだ。

 そんなこの同い年が心の方を取ったのだから、そこにはよほどの理由か、葛藤かっとうがあったはずだ。

 首を傾げて光莉が先を促すと、隣花は続ける。


「基本的には。みなとに答えたのと一緒。『あなたたちがいなかったら、私たちは笑って写真を撮れないと思ったから』。最初は閉会式には行くべきだと思ったし、どんな結果であれ受け止めないとと思った。

 けど、あなたたちを置き去りにしていくことは――違うんじゃないかって、そんな考えがどうしても離れなかったの」


 そこまで言って、彼女は気まずげにうつむく。

 ルールと気持ちを天秤にかけて、傾いた選択の先。

 意識的にそちらへ進んだのは、隣花にとっては初めてのことだったのだろう。この道が正しかったという確証が持てない。

 別に何も悪いことはしていない。

 けれども、これでよかったとも思えない。

 だから同い年に、情報の整理に付き合ってくれと頼んだのだ。彼女は未だに迷っている――冷静沈着に見えて、気持ちはいつだって迷子のまま。

 いつもの、片柳隣花だった。

 そのことにほっとして、光莉は内心で息をついた。音楽に真剣であり、また恋心に不器用な同い年――この様子からして、そこは変わっていない。

 なら、も晴れそうだった。

 そしてそんな光莉の思考につながる言葉を、隣花はつむぐ。


「結果を知りたかった。けれどもそれ以上に、待っていたいと思った。だから閉会式に出ずにここにいようと言ったみんなには、反対しなかったわ。……正しい判断だったのかは、分からないけれど」

「それを聞いて安心したわよ」

「何を?」

「あんたが最後の最後で『計画』を持ち出して、強制的にあいつに思い出を刻みつけようとしたわけじゃないって、確信できてよかったってこと」

「……!」


 光莉がそう言うと、隣花は極めて心外だといった風に顔をしかめた。

『計画』――今回のコンクールを利用して、彼を今度やってくる先輩から奪おうというもの。

 そこまではいかないにせよ、『昔好きだった人』から目を逸らして、『現在傍にいる自分たち』の方に意識を逸らさせようとするもの――と言えばいいだろうか。なんにせよ心を操作しようというものに変わりはない。

 前日の合宿の夜、その計画はいったん忘れて本番に注力しようという話になってはいた。

 理由はただ単純に、その考え方が音楽にそぐわなかったから――誰かから誰かを奪おうという行為が、自分たちの演奏の邪魔をしていると思われたからだ。

 けれども、本番が終わった後、しかも敗色濃厚と思われたときならその限りではなく――


「……呆れた。そんなに打算的な女に思われてたの? 私」

「あんたが思ってたよりピュアッピュアでよかったって言いたいのよ、私は」

「それ、褒めてるの? けなしてるの?」


 だがそれでも最後まで一線を守り通した隣花に、光莉は笑って軽口を叩く。

 同い年もそれに皮肉げに返してきて――しかし苦笑いを浮かべるあたり、微妙なラインで称賛されていると分かって嬉しかったのだろう。

 片柳隣花は、音楽に対しても人間に対しても誠実だった。

 金賞を取りたかったし、好きな人の気持ちを最大限汲もうとした。そのことが分かっただけで、自分たちがやってきたことは正しかったのだと、証明されたような気がする。


「私たちは真剣に演奏をしたし、本気で誰かのことを思いやったの。だったら、まずはそこは認めようじゃない」

 

 ある意味では東関東大会の反省会ともいえるここで、光莉は胸を張った。

 結果としては銀賞、東日本大会には行けずということになったけれども。

 振り返って、そこに至るまでに自分たちがやってきたことは、やはり誇っていいのだと思える。

 あのコンクールはなんだったのか――終わった後は呆然自失といった状態で、身も心もバラバラになるほどの強烈な舞台ではあったが。

 ひとつひとつ拾い集めていけばそれは案外、捨てたものではないのかもしれなかった。

 そして部長たる彼は、その欠片を集めて再び何かを作ろうとしている。

 だったら同い年の自分たちも、それに協力すればいい。

 先輩に対抗するための、思い出作りなんかじゃない。

 自分たちに自信を持って、最後の舞台に挑めばいい――改めてそう確信し、光莉は言う。


「あいつと私は、あんたのその判断に救われたのよ。閉会式が終わってからのあいつ、本当にひどいもんだったから。みんなに迎え入れてもらわなかったら、どうなってたことか」

「……千渡」

「あんたの計画は、本当の意味で機能したのよ」


 誰かを自分の隣に縛り付けるのではなく。

 倒れそうになった誰かを抱きとめるために、彼女の思いは振るわれた。

 作り物ではなく本物の温かさが、結果的に彼や自分たちの中に残ることになった。まあ、本当は東日本大会に行ければ最上だったのかもしれないけれど。

 綺麗で一点の曇りもない記憶は、隣花が本気で真面目にやってきたからこそ、得られたものだ。


「要は――引き分けドロー、ってことね。春日かすが先輩とは」


 全部が終わって大局的に見れば、つまりそういうことなのだろう。

 金賞は取れなかった。しかし自分たちが真剣にやってきたからこそ、作れたものがあった。

 あの偉大な先輩を上回ろうなんて発想をするなら、今回の一件がもし勝負だったというなら――あのコンクールは、泥臭く努力をしたあの演奏は、自分たちの存在を大きくし、引き分けという結果を生んだと言える。


「あそこまでやって引き分けって、どういうことなのあの先輩……。私たち、今度こそ死ぬんじゃない?」

「うん、まあ……だからといって次はどうしようって話には、まだならないんだけどね……」


 引きつった顔で女神もかくや、といった先々代部長のことを口にする隣花に、光莉もうなずく。

 次の本番でまた先日のコンクールのような、もしくはそれ以上の演奏をしろと言われたら、力尽きるかもしれない。

 ただ、閉会式に出なかったというのなら、自分たちの音楽はまだ終わっていなくて――


「そういう意味でも最後の決戦、っていえるのかもね。次の学校祭は」


 状況は拮抗している。

 演奏も恋も、全てをかけて行った舞台はまだ終わっていないのだ。

 学校祭。

 あと一か月ほどに迫ったそのステージは、わずかな息継ぎを経て――再び彼女たちに音を出せと、微笑みかけてくるようだった。

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