第392話 終わりは見えないけれど

 ずっと他の演奏を聞いていたら耳が痛くなってきたので、ホールの外に出た。


「これ全部を審査してる先生たちって、やっぱりすごいんだな、マジで……」


 そう言いつつ、湊鍵太郎みなとけんたろうはロビーを歩いていく。

 今日は東関東大会当日。大ホールの中では各県の代表たちが、熱演を繰り広げている。

 響きの具合を確認しようと何校かの演奏を聞いていたわけだが、続けてそうしていたらさすがにしんどくなってしまった。

 全員が全員、本気で吹いているのだから当然といえば当然である。各県の演奏はひと通り聞いたし、ちょっと休憩だ。

 これを全部聞いて評価するんだから、確かにそりゃ審査員も大変だよな――と思いつつ、鍵太郎は二階席のテラスから一階のロビーを見下す。

 すると。


「……ん?」


 ロビーの一角に、テレビが設置されていて。

 そこに、同い年の千渡光莉せんどひかりがいるのが目に入ってきた。



###



「『本番の演奏、CD・DVDにして販売します』かあ……」


 光莉の元に向かって、そこにあった看板を見れば。

 そこにはそんな売り文句が書いてあった。どうやらここは、本番のライブ演奏を録音録画して、販売するブースのようだ。

 テレビの中では、今まさに舞台にいる学校が演奏を行っている。こんな感じになりますよ、というデモ映像も兼ねているらしい。

 カメラが時折切り替わり、メロディーを吹いている人間がアップで出てきたりもする。おお、ちゃんと見たいところにフォーカスしてくれるんだなあと鍵太郎は、感心してその映像を見ていた。

 すると隣にいた光莉が、同じくテレビを見つつ言ってくる。


「そういえば、本町ほんまち先生が支部大会の申込書と一緒に、曲の総譜スコアも必要になるって言ってたけど……それって、これに使われるものだったのかしらね」

「ああ、楽譜を見てちゃんと目立つ部分を映せるよう、事前に計画を立ててるのか」


 だとしたらなかなか、凝っている。プロの所業という感じがする――売り物になっているという感じがする。

 見せる部分を、ちゃんと見せるべきところで見せるのだ。これは分かっていないとできない。

 次はこの楽器、次はこの楽器、という風にカメラはすぐ切り替わっていく。このクオリティならなるほど、自分の学校の出場記念にとか、上手いところの演奏を、という需要もあるだろう。

 安くないお金を出して、買おうという人もいるのだろう――とそこまで考えて、鍵太郎は首を傾げた。


「なあ千渡。演奏を録音して販売するって、なんか俺たち強豪校っぽくないか」

「なに言ってるの。ここに来てる時点でそれなりの学校にはなってるわよ。自覚なかったの?」

「んー。なんかこのテレビの中に、自分たちが映るっていう実感があんまりなくてさ」


 なおかつ、お金を出して誰かが買ってくれるというのもちょっと、信じられない。いかに見せ方がプロのものだといっても、中身はアマチュアの学生のものだ。

 参考にするつもりで以前、県内の強豪校富士見ヶ丘高校の演奏会に行ったことがあるが――あれにだってまだまだ及ばないと思うのが正直なところである。

 鍵太郎の中で強豪校というのは、A部門で全国大会を目指す、めちゃくちゃ人数のいっぱいいる、部員同士がぶつかり合って泣いたり笑ったりするようなイメージだった。

 まあ、最後のひとつだけはわりと当てはまっているかもしれないけれど――強豪というにはまだ遠い。

 この三年間、行けども行けども果てなんか見えなくて。

 どこまでやっても、自分たちはそういった世界とは無縁だ――そう思ってきたのだが。

 けれども、この同い年にとっては違うらしい。

 光莉は呆れたようにため息をついて、言ってくる。


「まあ、あくまでB部門としては、なのかもしれないけど。それでも、他の学校から合同バンドを申し込まれたり、支部大会にまで来てる時点で、それなりの学校ではあるわよ。……録音を買ってくれる人がいるかどうかは、分からないけど」

「録音を買ってくれる人がいるかは分からないけど、なあ……」


 途中から渋い顔になった同い年に、鍵太郎も似たような表情になってそう応える。上手い演奏でも買ってくれる人がいるかどうかは分からないのだから、その辺りは気にしてもしょうがないのかもしれない。

 プロのミュージシャンのCDだって、買う人と買わない人がいるのだ。となると、販売数で強豪かどうかを判断するのは、あまり意味のないことなのだろう。

 必死にがんばろうと走ってきたら。

 いつのまにか、強豪と呼ばれる存在になっていた――どんな強いと言われる学校も、最初はそうだったはずだ。

 そう思っていると。


「お」


 テレビの画面に、トランペットの生徒がアップで映し出された。

 知らない学校の知らない生徒だが、その様子からソロであることは分かる。

 彼女はスッと息を吸い込んで――それから、自分の旋律を吹き始めた。

 美しくて、堂々としていて。

 気高くて、でも優しい――そんな、立派なソロだった。

 思わず聞き終えたら拍手をしてしまいそうな、そんな吹きっぷりである。実際、音を立てず小さく拍手して――鍵太郎は、横にいた光莉に言う。


「おまえもあんな風に映されるんだなあ」

「やめてよそうやって変にプレッシャーかけるの⁉」


 のほほんと言ってみたら、同じく本番でソロのあるトランペット吹きが悲鳴をあげた。

 本番の舞台に立つと緊張するものだが、中でも光莉のように曲中でひとりで吹く人間は、身も世もない有り様になる。

 さらに彼女は、中学のときのトラウマからソロには非常に過敏になっている。まあ、それも前回の県大会の一件で、多少改善されてきているようだけれども。

 にしたって、緊張するものは緊張するのだ。ましてや、それがこんな感じに放映されるならば。

 テレビの中のソロと自分のソロがつながってしまったら、なおさらである。すると光莉は、真っ赤な顔で震えつつ、さらに言いつのる。


「そこはねえ、しょうがない、しょうがないのよ! それがトランペットって楽器だもの! 吹奏楽の華、注目を集めるのは当然なの! 緊張するけどやるしかないのよ!」

「まあ、そういう楽器だもんなあ」

「なに他人事みたいに言ってんのよムカツク!」


 のんびり返してみたら、緩んでいたほっぺたの端を思いっ切り伸ばされた。

 鍵太郎だって緊張はしている。緊張はしているけれども――それをまぎらわせようと、こんなことをしているに過ぎない。

 この同い年にしたってそうだ。いつものように発散してもらって、少しは落ち着いたのだろうか。彼女はひと息つき、言ってくる。


「とにかく、よ。どのみち緊張するんだから、もう変に冷静になろうとなんてしなくていいのよ。こっちはそんな状況になっても吹けるよう、今日まで練習してきたわけだし。それを発揮するときなのよ」

「だなあ。どうでもいい本番だったら、それこそ緊張なんかしないわけだし」


 大切な演奏だからこそ、それに比例して心臓が跳ね上がる。

 身体がそれに備えて、最大限のパワーを発揮しようとしている。なら、それに逆らってもしょうがない。

 彼女には存分に暴れてもらって、演奏に花を添えてもらいたい。それこそが千渡光莉、完全復活のときであり――そしてこの学校が、強豪校と呼ばれるときになるのだ。

 こんな態度が取れるなら、彼女のソロはもう心配なさそうである。以前のように恐怖に歪んだ顔はない。

 これなら、この同い年はきっと今日も頂の上に立てる。

 大丈夫。

 内心でそのことを確認して、鍵太郎はほっとひと息ついた。入部してから今まで、ずっとこのことは気にかかっていたが――今度は、案ずることなく演奏に臨めそうだった。

 光莉がひな壇の頂点にいる存在なら、自分はそこで踏まれる地面である。おまえを支える、と約束したことを、ひどく、ひどく――遠く思い出しながら、テレビを見る。

 あれから、ずいぶんと歩いてきてしまったような気がする。

 振り返ったらそんな感じで、そしてその先もよく見えない。自分たちが卒業した後、母校は強豪校だと呼ばれるのかもしれないし、そうでないかもしれない。

 終わりは見えないし、そのことに少し疲れてしまった面もあるけれど。

 それでも今日、こんな風にテレビに映るくらい立派な演奏ができれば、とりあえずそれでいいと思う。

 目指した場所にたどり着くまで、あと少し。もう少し――

 そんなことを考えて、鍵太郎はふと、光莉に訊いた。


「なあ、千渡。どうする? 記念に自分たちの演奏のDVD、買うか?」

「部活で買うのかしらねえ、どうなのかしらね……でもどうあがいたって、個人では買えないわ。ゼロが一個多いし……」

「だよなあ……」


 そこに表示された、DVDの値段を見て二人で肩を落とす。

 ブースには一介の高校生がおいそれと手を出せないほどの数字が並んでいた。価格を見て一瞬、うっ、とひるむくらいのものである。

 月の小遣いを考えると、とても購入することはできない。

 そう、『今』は――


「……大人になってちゃんとお給料もらって。そうしたら買えるようになるのかしらねえ。こういうの」

「……千渡」


 そこで何気なくこぼれた、同い年の本音らしきものに、鍵太郎は反応した。

 彼女はなんでもないことのように言っているが、それは――


「……おまえ、卒業しても楽器続けるつもりなのか」


 光莉が大人になっても吹き続ける、コンクールに出続けるということの証であり。

 出会ったときは楽器を辞めようか辞めまいか、その瀬戸際で悩んでいた彼女が、ここまで来たということの証明でもあった。

 そして言われるまでそのことに、当の本人は気づかなかったのだろう。光莉はこちらの問いに、はっとしたような顔をして――その後すぐ、おかしそうに苦笑する。


「……そうね。いつのまにか、そんなこと考えてた。不思議なもんね――あんなにあんたの勧誘、断り続けてたのに」

「いや、いいよそんなこと」


 三年近く経って、気が付いたらそんな風になっていた。

 だったらそれだけで、二年前の自分がああしただけの価値はある。

 まだDVDは買えないくらいの中途半端さだけど、それでも数字でない、しかしそれに値するだけのものがそこにはあった。

 終わる気配はないし、それに少しだけ疲れてしまったところもあるけれど。

 こんな形で終わらないなら、それは自分の望むべくものなのだ。

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