第384話 不器用女子たちのコイバナ

「あれ? なんかどこかから、悲鳴が聞こえなかった?」

「……? 気のせいじゃない?」


 と――同い年の部長が、二年生女子たちに襲われている頃。

 千渡光莉せんどひかり片柳隣花かたやなぎりんかは、三年生の部屋でそんなことを言っていた。

 合宿所の女子部屋は、畳敷たたみじきで各々が布団を敷く形になっている。

 本当に、修学旅行の夜のようだった。自分で敷いたそれに寝そべりながら、光莉と隣花はボソボソと話し合う。


「……で、結局どうなのよ、あんた」

「……どう、って」

「とぼけないで。あいつへの気持ちのことよ」

「……そのことは」


 演奏に思いを込めると、かえって精度が下がる。

 コンクールで金賞を取るためには、彼への恋心はむしろ不要――そのことを突きつけられて、隣花は先日、涙をこぼしていたわけだが。

 ちゃんと事情を知っているのは、彼女と自分、そしてバスクラリネットの同い年だけだ。そう自覚して、光莉は隣花に改めて、その話を持ち出していた。

 なにせ本番は明日だ。中途半端にモヤモヤした状態で挑めば、気になって演奏に集中できない。

 だからこれは断じて、落ち込んでいる友達を気遣っての行動ではない――そんな風に自分で自分に言い訳しながら、光莉は同い年の返答を待っていた。

 すると、枕を抱えてうつ伏せになっていた隣花は、しばしの沈黙の後に自らの心情を語る。


「……私は。宝木たからぎさんみたいに、みなとへの執着を全部捨てることなんてできないの」

「……うん」

「……けど。みすみす春日かすが先輩に湊を渡したくない、っていうのは本当。それは、嘘偽りない、私の本音」

「……そうね」


 学校祭にやってくる、卒業した自分たちの先輩――偉大な人であると同時に、恐ろしいほどの恋のライバル。

 それに対抗するために今回のコンクールを利用しようとしたことは、確かに罪ではあったのだろう。

 音楽に対する、冒涜ぼうとくであったのだろう――そうは思いつつ。

 隣花の気持ちは、自分の気持ちと同じでもある。それを確認し、光莉は同い年に声をかける。


「――でも、あきらめる気なんか、ないんでしょ」

「……」

「金賞も。あいつのことも……両方とも、あきらめる気なんか、ないんでしょ」


 元々は、どちらの目的だって間違ってなんかいなかったはずだ。

 それがたまたま、一緒になってしまっただけで。東日本大会に行くことも、『彼』への思いも――別に何もおかしくはない。

 あきらめたわけではない。隣花の沈黙にそれを感じ取り、光莉はさらに続ける。


「……私だって、全部を全部、割り切ったわけじゃないわよ。けど、それでも結果を伴わないと、私たちの考えてることは根本から総崩れになる。あいつも、みんなも、悲しい思いをする。……それは嫌」

「……そうね」

「だから思うの。私たちは金賞を取るし、あいつのことだってあきらめない。それでいいんじゃないかって」

「……どういうこと?」


 不安げにこちらを見上げてくる同い年に、光莉は答える。

 これは、単なる自分のワガママなのではないか。

 けれどもこれこそが、ある意味で『やりたいことをやる』という彼の理想なのではないか――とまで言うのは、いささか都合がよすぎだろうか。

 そんなことを、考えながら――


「先のことは分からない。どうなるかなんて、分からない。けど……やっぱり金賞は取りたいし、あいつのことは――まあ、うん。やっぱり笑っててほしいから、ね。精一杯できることをやることには、変わりないんじゃないかって」

「……千渡」

「どのみち、明日を全力でやることは決まってたのよ。だったら余計なことを考えずに、そんな辛気臭い顔なんてしないで――やることを、やりましょ。それでいいのよ。結果なんて、分からないんだから」


 そう、コンクールの結果なんてやってみなければ分からないのだ。

 それに、あいつが最終的に誰を選ぶかだって――別に、その時点で決まるわけではない。

 あのバスクラリネットの同い年のように、全部を彼に預けることはできない。

 自分たちは、そんなに悟り切っているわけではない。けれども――だからこそ、望む未来を、自分たちの手で引き寄せることができるのではないか。

 一方いっぽうは枕を抱えて、もう一方いっぽうは膝を抱えた体育座りで、偉そうなことを言えたものではないけれども。

 それでもやってみなければ、何も分からない――それだけは、言うことができる。


「演奏面でも人間関係の面でも、それは不安はつきものよ。けれど、それで一歩も動けなくなるなんていうのは、私は嫌なの。それは昔の私の繰り返しだし――そんな状態で吹くなんて、真っ平ごめんだから」


 思い出すのは去年のコンクール前、過去の悲劇にとらわれて、その場からどこにも行けなくなっていた自分自身だ。

 そこから連れ出してくれたのは、間違いなく彼だった。

 周りを聞いて、そこに音を乗せればいい。

 そうすれば、また全然違う景色が見えてくるはずだからと――そして実際、そのときから自分の音は、どこかが変わり始めた。

 思い切って飛び出したことで、目にするものが違って見えた。

 だったらこの同い年だって――友達だって、そんな風に泣きそうな顔をしなくたっていいのだ。

 理解できないものに怯えて、怖がらなくてもいいのだ。まあ、感情すら論理で考える癖のある隣花には、なかなか難しいことを言っているかもしれないが――などと、考えていると。

 そんなホルンの同い年は、相変わらずよく分からないという顔をしつつ、しかしポツリと言ってくる。


「……つまりは、どう転ぶかは分からないから、とりあえず望む結果に近づくために最善を尽くそう、と」

「そうね」

「……計算外の要素なんて。それこそ山ほどあるわけだから、考えるだけ無駄。だったら行動で示そうっていうこと、か……。極論だけど、ここまで追い詰められたらもうそんな精神論にも行きつくわね」


 まったく、どうしようもないわ――と、ため息をつきつつ。

 隣花は枕を抱いて、そして呆れたように苦笑いした。


「……うん。どうなるかは分からない――そうね。それはプラスの方向にもマイナスの方向にも、両方の面で言えることだわ。自分の思いどおりにいかないからといって、必ずしも悪い結果になるとは限らない。それは――道理だわ」

「……正直なところ、責任は持てない考え方よ。言ってる私だって、確実にどうなるかなんて断言できないんだから」

「それは――そうでしょう。それができたら、こんな複雑な事態にはなってないもの」


 逆に言えば、こんな状況になるまで私たちは上り詰めてきたってことなんでしょう――そう言って、再び苦笑する同い年に。

 光莉は内心でこっそりと、安堵あんどのため息をついていた。

 段々と、隣花の口数は増えてきている。なんだかんだやはり、見知った顔が落ち込んでいると寝覚めが悪いのだ。

 彼女が少しずつ元の調子を取り戻してきたのは、単純に喜ばしい――そう思っていると。

 ふいに隣花が、こちらに顔を向けてきた。


「ありがとう、千渡。励ましてくれて」

「――っ⁉」

「そうね――とりあえず、やってみる。あいつへの思いはともかくとして、それは変わらないわよね」


 確認するように、そして自らに言い聞かせるようにそう口にする同い年は。

 こちらが驚くくらい、自然な微笑みを浮かべていた。

 こいつ、こんな顔もできるんじゃないか――という、以前に鍵太郎けんたろうも感じたことを、光莉も思ったわけだが。

 彼女は彼ほど素直ではないので、それをすぐには認められない。


「べ……別に⁉ 励ましたとかそういうつもりじゃないし⁉ あんたが調子悪いと私もやりにくいから、明日の本番のためにそう言っただけだし⁉」

「それならそれでいいのよ。私たちは音楽でつながってるし、それで真剣にもなれる、本気にもなれる。そうでしょう?」

「そ――そうね! あくまで音楽のため、ね!」


 友達相手にも照れてしまう、そんな同い年を前に、隣花はもう一度笑った。

 そしてさらに、そんな彼女を見て光莉は言う。


「さ、さあ、そうと決まったらお風呂に行きましょう! こんなところでグダグダ話し合ってる場合じゃないの! さっさとしないと入浴時間が終わっちゃうわよ!」

「そうね。ああ――なんだか合宿って感じがしてきたわ。本とかでよく見るやつね。いつもとちょっと違う、でもだからこそちょっと深いところまで話せて知れる、この感じとか」

「それはこっちのセリフなんだけど……」


 相変わらず綺麗に笑う、隣花を見るとそう言わざるを得ない。

 やはり彼女は、ライバルなのだ。最近はちょっと仲良くなっていたけれど、結局は演奏でもそれ以外でも本気で語り合う、そんな関係。

 とんでもない強敵が現れるからこそ手を組んだだけの、そんな間柄あいだがら

 一緒にいて真剣になれる友達――それができたからだろうか。隣花は嬉しそうに笑って、同い年に言う。


「なるほど――これが恋バナっていうのね。これまでしたことがなかったから初めて知ったわ。なんだか不思議」

「これって恋バナっていうのかしら……? なんか違う気もするけど……」

「そうなの? 分からないけど」


 いや自分も正確なところは分からないのだが、普通の女の子の恋バナとは、ちょっと違う気がする。

 そう光莉は言おうとしたのだが、首を傾げた同い年の顔が、あまりに無防備に感じて指摘するのはやめた。

 自分も大概たいがい不器用だが、彼女はもっとそうだと思ったのと。

 口にはしないが、それでもそんな隣花と本音を語り合えたのが――やっぱりちょっと、嬉しかったからだ。

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