第380話 炎の輪

 暗闇の中で、マッチで火を点けて。

 それをロウソクに移したら、花火の準備は完了だ。

 合宿所のバケツを借りて、水を満たしたものが隣に置いてある。さらにその隣には、花火の袋を開ける後輩の姿があって――湊鍵太郎みなとけんたろうは、その様子をのんびりと見守っていた。

 この同じ楽器の一年生、大月芽衣おおつきめいが花火をやりたいと言い出したから、こんな流れになっている。

 山の中にある合宿所からは、星空がよく見えた。

 まさかこんなところまで来て、後輩と花火をすることになるとは思わなかったけれど――指揮者の先生の言うとおり、ここでこんな楽しい思い出ができるなら、それでいいのだろう。


「先輩、どれがいいですか?」


 そんなことを考えていたら、芽衣が花火の袋をこちらに差し出してきた。

 彼女が買ってきたのは、ホームセンターなどでよく見かけるサイズのものだ。小さい頃、家族みんなでやるような――そして、すぐにやりきってしまうような。

 しかし二人でやる分には、それは十分な量になる。後輩の問いに「じゃあこれ」と一本を選んで、鍵太郎は先端にヒラヒラした紙がついているものを取り出した。一般的な手持ち花火、いわゆるススキ花火というやつだ。

 火を点けると、シュワーっと光が出てくるアレである。一方で芽衣はまた違うものを選んで、どんな色が出てくるのかワクワクしながら、二人で一緒に火を点けた。


「……この、本当に火が付いたかどうか分からない時間が、ちょっと不安になるよね」

「……とりあえず火傷やけどにだけは気を付けましょう先輩。明日が本番ですし」


 ちょっと火花が出てくるまでに時間がかかるのは、ご愛敬である。

 思わずちゃんと火薬まで着火できているかどうかを確かめたくなるのを、ぐっとこらえていると――シュッ、と音がして、白い光が噴き出してきた。


「うわぁ……!」


 花火なんて久しぶりにやるので、そんな声がもれてしまう。先輩としての面目も何もあったものではなかったが、後輩もまた目を輝かせて火花を見ていたので、問題なさそうだった。

 飛び出す閃光と、独特の匂い。

 パチパチと響く音に、ただただ聞き入る。そして、あ、もうちょっと遊んでみようかな、と思った瞬間。

 火花は消えた。


「よしやろう。次やろう」

「今度はこれにします」


 二人で、嬉々として次のものに手を伸ばす。線香花火は最後にとっておくとして、他にもまだ種類はある。

 これって、どんな感じの花火なのかな――と思ってパッケージの裏面を見れば、そこには。

 先ほどの花火の先についていたヒラヒラした紙は、『花びら』なのだと――炎を彩る花弁なのだと、そう記してあった。


「……『プリマヴェーラ』」


 その言葉に、どうしても明日やる曲のことを連想する。

『春』というの名前のその曲と、そしてそれと同名の絵画。

 その中に舞う花弁と、それを燃やし尽くすほどの、はじまりの炎。

 あたりに立ち込める火薬の燃えた匂いは、自分たちの演奏とどこか似ているように思えた。

 花びらを燃やして。

 光と音を生み出して。

 匂いだけを残して瞬く間に終わってしまう、それは。


「……綺麗だねえ」


 ほんのわずかな間でさえ、人の心を動かしてみせる。

 自分たちも、そうれたらいいのになあとその火花を見ていて思う。いや、燃え尽きてしまっては困るのだけれども――その輝きだけは、追い求めたいと思うのだ。

 消えてしまっても、その瞬間瞬間を。

 出し続けると、自分はあのひとつ上の、フルートの先輩に言った。


「……ああ、そうだ」


 思い出した。

 そういえば、そんなことも言った。

 向こう見ずにもあの偉大な先輩に対して、そんな発言をしてみせた。

 他にも、他にも。

 これからどうしたいですかと、先代の打楽器の部長には訊いた。未来は読むのではなく作るものだと、黒い魔女のようなバスクラリネットの先輩に言った。

 それ以外にも本当に色々、たくさんの人々にたくさんのことを言ったし、言われた。そのことが火花の中で、走馬灯のようによぎっていく。

 自分に関わった人たちの姿が、そこにはある。

 花火が色を変えるようにして、その光景は移り変わっていく。もう少しで消えてしまうその前に、鍵太郎は手に持ったその炎で円を描いた。

 夜闇の中に、残像を残して光の輪ができる。

 花火をやるとき、よくやる遊びだ。それが終わった後、すぐにその輪と炎は消えた。熱と少しの火の粉だけが、そこには残る。

 それをすぐに、バケツに放り込む気にはなれず――鍵太郎は、かたわらにいる芽衣に言った。


「ねえ、大月さん」

「はい」

「花火、やろうって言ってくれてありがとね」

「はい?」


 元々、やりたいと言い出したのは私なのですが――と、後輩は首を傾げた。確かにそうだ。彼女が夏祭りのとき、花火をやりたいと言ったから、自分たちは今こうしている。

 そしてそのとき、こちらが何を望んだかというと――


「俺は本当にいろんな人に関わってきたんだなって、こんなところまで来て、ようやく実感できた」


 ただ、人と関わっていたかったのだ。

 たくさんの価値観があって、星の数ほど人がいて。

 それぞれ好きなものと、苦手なものがあって――じゃあどうしようかと話し合いながら、自分ひとりでは作れない何かを作るのが、本当に楽しかった。

 それをもっと、続けていきたいと思った。

 そんな大事なことを、芽衣は思い出させてくれたのだ。さすがは、同じ楽器の後輩――何があってもずっと一緒の、『今』の頼れる相棒だ。


「明日はがんばろうって、そんな気になれた。花火って、遊ぶのって、楽しいね。久しぶりにそう思ったよ」

「はあ、まあ、ならいいのですが」


 しばらくぶりに、こんなに屈託なく笑えた気がする。

 そしてそんな先輩を、芽衣は不思議そうな顔をして見ていた。

 けれども、それでいいのだ。

 こんな風にした思い出も、きっとこの後輩の音の一部になるのだろうから――そう思って、鍵太郎は火の消えた花火をバケツの中に入れた。

 ジュッっと音がして、あたりには焦げた匂いがたちこめる。

 そして、また次の花火を手に取って――また、灯したロウソクから火を点けた。

 火は集まって炎となり、全てを照らす灯火ともしびになる。

 春に急成長を遂げることの比喩。プラトニック・ラブを表しているといった解釈。

『プリマヴェーラ』。

 あの絵画は、やはり自分の歩んできた旅路と、どこかでつながっているような気がした。

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