第366話 僕らは揺らぐ規格外品
自分たちは演奏を回す歯車なのか、と思ったりもするけれど。
周りを見渡せば、どうにもそんなものには当てはまらない人間が、何人かいるのだ。
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「せせこましいことを考えながらやるのは、どうも苦手なのですー」
例えば、次期部長でもある二年生の
バリトンサックスを吹く彼女は、
まあそれは、彼女が入部してきた当初からそうだったのだけれども。
歯に
「これまで考えてこなかったところを、あえてやってるわけだからねえ。そりゃ疲れるよな。甘いものがほしくなる」
「相変わらず女子みたいなことを言いますね、先輩」
棒つき飴をかじりながら言ったら、後輩にはやっぱり率直に言い返された。
そうでなくては、朝実らしくない。カバンからもう一つ飴を出して、後輩の前に持っていく。それを素直に受け取って、朝実は続ける。
「そうですねー。これまで考えてこなかったことをやっているから、窮屈に感じるのです。気にしてなかったことを気にしてるから、やりにくいというか、やることが増えて大変というか」
「……宮本さん、去年と同じ苦しさを感じてない? 大丈夫?」
一年前、部活に行きたくない、とつぶやいていた彼女を思い出す。あのときの部活は、先輩たちが厳しすぎて後輩たちが辞めそうだった。
窮屈、というのはそのときに、鍵太郎も感じていたことだ。今は、また別のことが要因で大変なのだけれども――
朝実もまた、『音楽に味を感じなく』なっていないだろうか。同じ低音楽器の人間ということで、自身の状態に冷や汗をかきながら、鍵太郎がそう訊くと。
後輩は飴を舐めながら、答えてきた。
「んー。まあ、去年とはまた雰囲気が違うので、大丈夫です。なんていうんですかねえ、どっちかっていうと辛いというより、思ったようにできなくて悔しいというか。そういう思いの方が強いです」
「そっか……なら、よかった」
思ったより健全だった朝実の返答に、ほっと一息つく。今年は去年と違って、音楽のルール、いわゆる楽典というものに沿って練習が進められている。
後輩が窮屈だと感じているのはそのせいだ。これまで気にしてこなかったもの、例えば音程とかコードとかを考えながらやっているのだから、県大会のときより格段に作業量が増えている。
人間関係でもめていた一年前とは、悩みの原因が違う。
純粋に、音楽の悩み――だったらいいのか、と問われれば微妙なところだったが、少なくとも後輩は平気そうだったので安心した。
思ったようにできなくて、悔しい。
それは、楽譜の内容を正確に表現できなくて、ということだろうか。曲の一部として、演奏の歯車になりきれない、ということだろうか――
それを克服できれば、ギブスを外すようにして自由に動けるようになる、とは言われたけれども。
その自由というのは、果たして『良いもの』なのだろうか。曲の部品になることが、望まれていることなのだろうか――
奏者にとっても、聞き手にとっても。だとしたら自分がやっていることは、一体なんなんだろう。
そんなことを考えて、鍵太郎はため息をついた。
「なんだろう……『社会の歯車になんてなりたくない!』って言いつつ働く大人って、こういう気分なのかな」
「高校生にして、既におじさんっぽいことを言いますね。先輩は」
「誰のせいだ、誰の」
そう言いつつも、別にこの後輩のせいではないのだが。
思ったことをついポロっと出してしまう朝実の自由さに、ちょっとイラっとしてそんな返しをしてしまっただけだ。なんだかんだこの後輩は、演奏に徹する装置になんて、なろうとしてもなれない気がする。
それがとてもうらやましく、そして次期部長としては大丈夫なのかと心配になる。こう見えてなぜか人望はある朝実ではあるが、この調子でやっていけるのだろうか。
そう思って半眼で後輩を見ていると、彼女は「歯車……歯車、ですかあ」と頬に手を当てて言ってきた。
「そーですねえ。演奏を正確に表現する、って意味だと、わたしたちはそういう部品なのかもしれませんけど。でもおとーさんおかーさんの話とか聞いてると、ちょっと違うと思うんですよね」
「ほ?」
宮本家の家庭内事情は知らないが、こんな娘に育つだけあって、きっと伸びやかな両親なのだろう。
同い年のホルン吹きとは、たぶん対照的だ。言いたいことを言い合える家族――あれ、そう考えるとこの後輩の家庭、自分の理想とする姿にそっくりなんじゃないか、と鍵太郎が思っていると。
次期部長は続ける。
「結構、おとーさんもおかーさんも、仕事から帰ってくると文句言ったり、愚痴言ったりしてますけど。それを見てると二人とも、単なる社畜とは思えないのです」
「社畜て」
自分の両親相手に、ひどい言いようである。
まあ、身も蓋もなく言ってしまえばそうなるのかもしれない。
社会を回す歯車――世界を動かす歯車。
それと自分たちに、どれくらいの差があるだろう。実際に働いたことはないので、想像するしかないけれど――それでも、自分たちがやっていることに、どこか通じるものはあるような気がした。
課された役割を果たそうとして、でもそれ以外のものも含んでいる規格外品。
それをなんとか周囲の形に当てはめているのだから、妙な
「みんなそうだと思うんですけど、そのときの気分とか天気とか体調とかで、調子がいいときと悪いときってあるじゃないですか。だから同じことでも、できる日とできない日があって――それでいっつもキッチリ仕事してね、って実質不可能じゃないかと思うのです」
「うん――うん?」
「で、吹いてて思うんですけど。それは合奏も同じだなーと。前に
朝実から流れ出てくる言葉を、鍵太郎は半ば呆然としながら聞いていた。
元々、思ったことはブレーキをかけずに口に出してしまうこの後輩だったが、まさかこんなことまで考えていたとは。
気分と天気と体調と、その他もろもろで左右される、安定しない機械。
そんなもの、売れもしないし価値もないだろう。
けれど、自分たちはそういうもので――小さなことでゆらゆら揺れ動いてしまう、不安定極まりない歯車。
それのことを、朝実はこう評した。
「つまりわたしたちは、ですね――部品は部品だけど、『生きている部品』なんだろうと思うんです」
「……」
「愚痴っているおとーさんおかーさんを見てると、そんな気がして。人のカバーをして、他の人のお仕事までしたとか、間に合わないから上司の許可なく発注してやったぜへっへー、とか」
「宮本さんの両親の処遇が心配だけど、それって」
どんな仕事をしているのかは分からないが、それでもなかなかの修羅場にいることは間違いないだろう。
けれど、そんな中でも力強く、動いている人はいるものだ。
ちょっとくらい、逸脱しても――
「そういうのを聞いてると、やっぱりわたしたちもそうだなあって思って。ただ単に言われたことをやるだけじゃなくて、みんなみんな調子があるから、そういうのも察して動いていかないと間に合わないなあ、って。気づかないと本当にいい音楽にはならないのかなあ――って。だから、それがまだできない自分が、ちょっと悔しいのだと思います。もっと上手くなりたいなあ、と思うのです」
「……宮本さんは、いい部長になれると思うよ」
「えっ、今の話のどこから、そこにつながるんですか?」
きょとんとする朝実は、とてもとても、すごい存在に見えた。
部品なんて単語が
なんだかんだ言って、やっぱり彼女は次期部長なのだ。なかなかどうして、考えている。
その役割を超えて、人を思いやれるくらいに――そう思って、不思議そうにする朝実の頭をなでていると。
彼女は言う。
「なんだかよく分かりませんが、褒められているならよしとしましょう。いやー、先輩の話を聞いてたら、おとーさんとおかーさんの色々な文句の後の、自慢大会を思い出しました。結局ふたりとも、なんというか――やってることにプライドを持ってるんだなと、そう思うんです」
「そっか。プライド、かあ……」
自分は果たして、そうなれるのだろうか。
責任とか、役割とか、そういうのを超えて。
自分のやりたいことを自分の意思でもってやれる、『生きているもの』に――そんな風に考えていると。
朝実はそんなこちらを見上げて言う。
「先輩も、そうなんだろうなーと思うんです。一寸の虫にも五分の魂というか。大変ですけど、意地と根性でがんばろうとしてるというか」
「暗に俺のこと小さいってディスってない? それ」
相変わらず、褒められているのかけなされているのか、微妙なところではある。
けれども、他人からそう評価してもらえるのは嬉しかった。最近は機能とか役割とか、そういうもので演奏を考える、機械になってしまったような気がしていたから余計に。
自分が『生きている』のだということを、そこからできる演奏も、やっぱり呼吸をしているのだということを。
実感できて、本当によかった。
そう思っていると、後輩はやはり、力強く言ってくる。
「はい! 先輩は、アレですね! うねうね動くアメーバみたいな感じですね!」
「先輩はちゃんと生きてて感情もあるから、さすがに今の物言いにはイラっとしたぞーう」
「ほっぺをつねるのはパワハラでふー」
いくら生きているとはいっても、単細胞生物に例えられるのはいかがなものか。
常に形を変え続ける生き物、という点では言いえて妙かもしれないが、だとしてもまた違うものをイメージしてほしい。
そう思って、それこそ形を変える朝実の頬をぐにーと引っ張る。生きた部品、役割の歯車。
そうあるためにも――まずはこの次期部長の口の悪さを、先輩として指導していかねばなるまい。
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