第340話 ほっぺたベビーカステラ

 あたしの晴れ姿を見に来てください、と夏祭りに呼ばれたものの。

 真っ先に遭遇したのは、その当人と同じ学年の一年生たちだった。


「あ、先輩先輩ー! こっちですー!」


 浴衣姿で手を振ってくるその部員たちを、湊鍵太郎みなとけんたろうは見つめた。

 アサガオ、ナデシコ、その他にもなんだかよく分からないけれども、花柄の衣装をまとった後輩たち。

 夏祭りに相応しいその格好を目にして、思う。


「これってやってること、いつもの部活と変わらないじゃん!!」


 部長として周りの部員たちを引率、はぐれないよう注意、円滑に回るよう呼びかける。

 今からやることが一気に頭の中に湧き出てきて、鍵太郎は悲鳴を上げた。

 きのうまでコンクールで、練習とか本番とか事後処理とか、これからのことについてとか。

 そういうのにちょっと疲れてしまって、いったん横に置いて息抜きをしようとやってきたら、この有り様だ。

 彼女たちを守るのはもはや義務だと思っていて、こうなった以上もう今日は、そう振舞うつもりだけれども。

 休日まで部長業とは、なんというか冥利に尽きるが、どこか虚しいものがある。がっくりと膝をついていると、小さな一年生たちはわらわらと自分の周りに集まってきた。


「大丈夫ですか先輩?」

「何かあったんですか?」

「うう……休みがない、休みがないよぉ……せっかくの休日なのに、気が休まらないよぉ……」

「なんか先輩、ゴールデンウイークに家族サービスするお父さんみたいですよ」


 きっと世の中のお父さんたちも、悲哀にあふれているのだろう。

 えぐえぐと泣いている姿に何かを重ねたのか、後輩たちはよしよしと、なんだか慰めてくれた。

 そして鍵太郎と同じ楽器の大月芽衣おおつきめいが、近くの屋台で売っていたのだろう、ベビーカステラを差し出してくる。


「あの……先輩、食べますか?」

「食べるうぅぅー」


 そっと出された、小さい楕円形のカステラ菓子を受け取って、口の中に入れる。

 余計な味付けのない素朴な味わいで、優しい甘さが骨身にしみた。

 いつまでも食べていられる。そんなベビーカステラの袋を持って、鍵太郎は立ち上がった。立ち上がることができた。


「ようし、ちょっと元気になってきた!」

「ファンクラブ会報の通りです……『湊先輩には甘いものを与えておきましょう』。本当にその通りでした……」

「これは、宮本先輩に報告だね……」

「そのファンクラブっていうの未だに解せないんだけど、とにかく甘いものをもらえたならヨシ!」


 一体その会報というのに、どんなことが記されているのか。それは気になるが。

 今はそれよりも、祭りを満喫する方が先なのだ。そんなわけで鍵太郎は、袋を片手に一年生を連れ、屋台が並ぶ通りへと突入していった。



###



「というか、三年生も学校祭に出るなら、そうと言ってほしかったです」


 しばらく後に芽衣は、それこそ頬をベビーカステラのように、ぷくぅと膨らませてそう言ってきた。

 今日の部活の会議では、学校祭のことについても話し合った。

 そのとき一年生たちは、鍵太郎たち三年生もそこまで部活をやると聞いて、驚いた顔をしていたのだ。まあ、普通十月の末まで受験生が現役とは思わないだろうし、本当だったらコンクールが終わったらそれで引退、はいおしまいが正しい姿なのだろう。

 けれども、そうしたくはなかった。

 できるだけ長く、楽器を吹き続けていたかったのだ。もう少し、この光景を見つめていたかった――そう思う鍵太郎の視線の先では、一年生たちが焼きトウモロコシを食べながら、きゃあきゃあとはしゃいでいる。

 そういう景色を眺めているのが、どうしようもなく好きだった。

 まあ、彼女たちを驚かせるつもりはなかったので、さっさと言ってしまえばよかったのかもしれないが――

 どうにもタイミングを逃してしまったんだよな、と思いつつ、芽衣に言う。


「ごめんごめん。コンクールでバタバタしてて、言い忘れちゃってたんだよね。あと、今年は東関東大会にも行けるようになったから、その準備で頭がいっぱいで」

「それは、まあ……確かに嬉しいことなので、いいのですけども」


 本来だったら、県大会が終わった時点で学校祭のことは、彼女に話すべきだったのだ。

 自分が一年生のとき、三年生の先輩に言われたように。

 もう少しだけ一緒にいられる、ということは伝えておくべきだったと思う。まあ、支部大会に出られることになった以上、かつての自分とは置かれている状況が違うのかもしれないけれど。

 だとしても何も知らない一年生に、この先を明らかにしなかったのは少々、非誠実なことであったかもしれない。

 手が回らなかった――というのは言い訳だな、と申し訳ない気持ちで少しうつむくと。

 芽衣はそんなこちらを見て、言ってくる。


「……まあ、しょうがないことです。今回は、先輩が今日一日付き合ってくれることで許してあげます」

「あはは、そっか。そのくらいなら喜んで付き合うよ」

「……。この先も、大変だと思うので」


 あまり、無理はしないでくださいね――と、先ほど休みたい疲れた、などと言っていたこちらを気遣ったのか。

 同じ楽器の後輩は、そんな風に言ってきた。

 いつも隣で吹いている芽衣は、それだけこちらを見ているのか、度々こうして声をかけてきてくれる。

 やっぱりしっかりしてるよなあ、と自分の一年生の頃を思い出して、鍵太郎は苦笑した。二年前、確かに自分も隣にいたあの同じ楽器の先輩のことを見てはいたけれども、ここまで響く発言ができていたかどうかと問われれば首を傾げざるを得ない。

 それだけ真剣に、彼女はこちらのことを考えてくれているということなのだろう。

 後輩のくれたベビーカステラを口に放り込んで、その礼をすべく鍵太郎は言う。


「よし! じゃあ今日はとことんまで、大月さんに付き合うよ!」

「う、え、あ、はい……。そうしてもらえると嬉しい、です……」

「? どうしたの大月さん。急にお面かぶって」

「なんでもありませんッ!」

「?」


 キャラクターの面越しに叫んでくる芽衣は、さっきの膨れっ面も相まってまるでリスのようだった。

 他の一年生たちもそうだが、三年生で部長でもあるこちらからすると、彼女たちは小動物のようでとても可愛い。

 後輩たちが戯れている様を見るのは、心が和む。

 ずっと見ていられる――と、素朴な味わいで永遠に食べ続けられそうなベビーカステラを、口に運び続けていると。

 芽衣は訊いてくる。


「……先輩は、去年もここに来て智恵理ちえりちゃんを見かけたんですよね。どうして、お祭りに行ったんですか? そんなキャラでもなさそうなのに」

「……最後の一言が、次の部長になる子の影響なら、俺はその後輩を厳しく指導しなければならない……」

「あ、いえ。ただ、なんだか意外だなあって思って。先輩は自分から進んで、こういう賑やかなところには顔を出さない人だと思っていたので」


 言い回しには若干納得いかないものはあるが、後輩の言っていることは確かにその通りだった。

 こんな風に人がたくさんいる場所には、何も用事がなければ特に足を運びたくない。基本的に自分は、今名前の出た後輩の言うように、性格の暗い陰キャなのである。

 けれども、表舞台に立つのが苦手なだけで、華やかなものが嫌いなわけではない。


「――浅沼あさぬまに誘われたんだ。あと、越戸こえど姉妹な。部長になるのが決まって、怖気おじけづいて……けど、家に引きこもってうなってるのも身体に毒だからって、あいつらが俺を引っ張り出してくれたんだ」


 同い年たちが、そんな自分と一緒にいてくれた。

 さすがに今日は、顔を出していないようだけど――そんな彼女たちの傍にいるのは、悪い気分ではなかった。

 今そこで、おしゃべりしている後輩たちを見るのと、似たような気持ちになれて。

 まあ――去年の方が、ずいぶんと過激だったけれども。


「むちゃくちゃ引っ張り回されたよ。あっちこっち駆けずり回らされて――けど、やっぱり来てよかったとは思った。楽しかったんだ。俺ひとりじゃ見られなかったような、そんな景色が見られたから」


 どうしても内省ないせいばかりで自分の考えをいじくり回す癖のある自分にとっては、そのくらいでちょうどよかったのかもしれない。

 苦笑いと共に、そう認める。後輩たちとはまた違うけれども、あの同い年たちもまた違った意味で、大切なものだ。

 するとその顔を見て、芽衣は「むぅ」と被った面をズラした。


「……内向的なのは、チューバ奏者の特徴です。あまり気にしなくていいかと」

「まあ、そうだな。大月さんはどっちかっていうと、俺と同じ楽器なだけに似たタイプか」

「……はい」


 彼女も彼女で、同い年に誘われたからここにいる、程度のものなのかもしれない。

 積極的に騒々しいものには、関わろうとしない。

 そういえば、この後輩が入部するときもそうだったな――と鍵太郎が思っていると、同じことを考えていたのか、芽衣はぽつりと言う。


「……私はこの部活に初めて来たとき、ここみたいな印象を受けました」


 屋台があって、いろんな人がいて。

 騒がしくて、でもみんな楽しそうに笑ってるんです――と。

 民謡をやったからでもあるだろう。後輩は草履ぞうりをはいた足をブラブラさせて、行きかう人々を眺めている。


「……いいなあ、と思いました。体験入部のときはああ言いましたけど、吹いてて楽しかったのは本当です。陰にこもって出てこなかった私を、引っ張り出してくれたのは……先輩、たち、です。だから――私にとっては湊先輩も、この景色を作ったすごい人、なんです」

「……ひょっとして、励ましてくれてるの?」

「まあ、そのようなものだと思ってもらえれば」


 元気のない自分にお菓子だけでなく、言葉まで与えてくれるとは、なんとできた後輩だろうか。

 いつもの役回りでどうなのかなあと思っていたけれど、休日のお父さん状態だった心が、そのセリフに少しずつ解けていくような気がした。

 優しい甘さに、疲れが癒えていくような。

 今日はもう息抜きは無理だと腹は決めたつもりだったが、予想もしなかったところから援護射撃が飛んできた。

 小柄なこの後輩も、もはや立派な部員の一人だ。

 この景色の中の、すごい人――。

 そんな同じ楽器の一年生を、これからできるだけ、見続けていたい。一緒にいてやりたい。

 そう思いつつ、鍵太郎が無意識に、ベビーカステラの袋に手を伸ばすと――

 芽衣はそのまま、小首を傾げて言ってきた。


「もうひとつ、訊きたいんですけれども」

「うん、なに?」


 その瞳があまりにも曇りなかったので、心構えができなかったのかもしれない。

 彼女のいっそ無邪気ともいっていい問いかけは、一瞬鍵太郎の思考を真っ白にさせた。


「先輩はこれから、何をしたいんですか?」


 いつまでも食べ続けていたい、そんなベビーカステラが入っていたはずの袋は。

 いつの間にか何もなくなっていて、空の底に手が当たり、そこからくしゃりと音がした。

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