第306話 とことんまで勝ち上がれ

宮園みやぞの高校 野球部御一行様』――と。

 書かれたバスの前を、湊鍵太郎みなとけんたろうは通り過ぎていた。



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「なんのためにやるっていうんだったら、勝つために決まってるだろ」


 などと、鍵太郎が先日、部活であったことを話すと。

 野球部キャプテンの黒羽裕太くろばねゆうたは、あっさりとそう口にしてきた。


「勝つためにボール投げるし、勝つために走るし、勝つために打つんだ。構えて、追って、捕って、投げる――その一連の動きは、どうしたって『勝つため』だよ。基本、俺たちの行動は全部そこにつながってる」

「まあ、それが正しいスポーツの姿だよな……」


 運動部の主将らしいその答えに、吹奏楽部の部長である鍵太郎は苦笑しつつもそう返した。

 今日、こちらは今度の甲子園の地方予選――つまり野球応援で使う曲の、打ち合わせをしにきたはずだったのだが。

 ふとそんな話題になって、友人の意見を聞いたら返ってきたセリフがそれだったのだ。

 当たり前といえば当たり前の言い分だ。こちらも元野球部だけに、彼の言いたいことは分かる。

 けれど、どこか引っかかりを覚える――自分たちの大会、吹奏楽コンクールのことを鍵太郎が思い出していると。

 裕太は言う。


「まあ、そりゃスポーツっていうのは、勝敗を決めるもんだからな。ルールで暴発しないように取り決めた、つまるところ闘争本能、誰かを上回りたいって欲求の発散だ。こう言っちゃうと身も蓋もねえけど」

「マジで身も蓋もねえよ。あとそれ俺に言うの、すげー耳が痛いんだけど」


 かつてそのルール無視の暴発をした、それゆえに居場所を失ったこちらからすれば、友人の発言は非常に突き刺さるものだった。

 しかも裕太はその黒歴史というべき自分の暗黒時代を、直に目にしているのである。今から振り返ると何やってたんだ俺は――と、顔を覆ってその場で転げまわりたくなるくらい恥ずかしい。

 さすがに人目があるのでそこまではしないが、こちらにとってはそのくらいのレベルの厳しさがある。

 なので鍵太郎が半眼で友人をにらんでいると、裕太は「すまんすまん」といつものように軽く謝って、そして続けてきた。


「――まあ、でもな。だから思うんだよ。おまえはやっぱ、吹奏楽部の方に行ってよかったって」

「……そうかな」

「そうだよ。身体がでかい小さいの話じゃなくてさ。性格的な部分で、やっぱおまえは、運動部には向いてなかったんじゃないかと思うんだ。ああ、まあ楽しむ分には別に構わねえんだけど――なんつーか、根本的な部分で『競争』が苦手というか」


 だからこそ、感情を殺さなくちゃ誰かを上回ろうとも思えなかったし。

 運動部独自の、ルールを守って楽しくデュエル、っていう理屈にもなじめなかったんだ――と。

 野球部のキャプテンは、そう言って肩をすくめた。

 友人の言葉には一理ある、とも鍵太郎は思う。

 確かに自分は、目の前の誰かを打ち倒してまで一番になりたいとは思えない。

 向こうから勝負を仕掛けられたら受けては立つものの、それだって『負けたくない』という思いだけで『勝ちたい』という気持ちは薄い。

 だから元から、勝負の世界には向いていない――そんな裕太の理屈に。

 けれども先ほどの引っかかりがつながってしまって、鍵太郎は口を開いた。


「……だけど、吹奏楽コンクールは点数のつく大会だ」


 演奏が審査される、自分たちの夏の大会。

 技術点と芸術点の付けられる、吹奏楽コンクール――それについて幾度となく、様々な立場の人間と議論してきたことを思い出し、ため息をつく。

 競争が向いていないというのなら、その大会にも出てはいけないと言われているようで、なんだか複雑な気持ちになった。

 もちろん、だとしてもコンクールには参加するつもりなのだが。そんな文化部の部長に、運動部のキャプテンは少し考えた後に言う。


「んー。おまえの話聞いてるとさ。吹奏楽部の大会ってさ、野球というより、どっちかっていうとフィギュアスケートに似てるなっておれは思うんだ」

「フィギュアスケート?」

「そう。つまりは採点競技な」


 自分で点数を取りに行く競技ではなく。

 やったことに対して、他人から点数を付けられる競技――採点競技。

 それにこちらのやっていることが通じると言われ、鍵太郎はテレビでよく見る光景を思い浮かべた。氷上で、曲に合わせて自分のやってきたことを表現する選手たち。

 身体を動かすのでスポーツに分類されているが、芸術性という意味ではこちらに通じるものがある。

 そして見た者が価値を判断するという点も、自分たちがやろうとしていることに似たものがあった。

 視線で先をうながすと、裕太は言う。


「ああいうのってさ。審査員から点数つけられて、結果的に順位が決まるじゃん。ジャンプの完成度とか、ステップの綺麗さとかでさ。で、その採点基準は一応あって――でも、どうしたって好みが出る」


 人が見て判断するものである以上、その人なりの受け止め方というのは出る。

 金メダルを取った選手以外にも、違う選手のあの動きが好きだったとか、他の見方が出るのは当然の流れだ。

 戦う相手はその場におらず、だからこそ選手は自分の全力を注いで――だからこそ、その姿に心を動かされる人間がいる。

 好き、嫌いが分かれる。

 自身のやっていることにはないそれを指して、野球部の主将は、立てた人差し指をくるりと動かす。


「絶対的な勝者って、採点競技には存在しねえんだ。それが嫌だっていう人間もいるけど――大半の人たちは、それを普通に受け入れてる。フィギュアスケートとか体操とか、そういうののいいところは、『自分がこの選手が一番いいと思ってる』って、ファンの間で議論ができることだよ。で――そういう風にみんなが意見を言い合うから、業界そのものが盛り上がるんだ」


 そこには、『競争』以外の余地があるよな――そう言って裕太は、今度は目でこちらを指した。


「おれは音楽のことはよく分かんねえけど、吹奏楽もその辺は一緒なんじゃねえのか? この学校の演奏が好き、いやこの学校の方がいい、みたいな。

 だとしたら、そのコンクールっていうのは勝ち負けがつこうがつかまいが、どんな見方をされてどんな点数を付けられようが――与えられた舞台で全力を尽くすって面じゃあ、おまえに向いてると思うんだけど」

「……」


 そして、そんな友人の考えに。

 鍵太郎は圧倒されて、ただただ絶句した。

 たまにニュースなどでもポロリと出てくることのある、価値基準の揺らぎ。

 優劣はつくがそれ以外の余地の残る、不思議な競争――世の中の縮図。吹奏楽コンクール。

 その答えの一片を、まさかこの野球部の友人が持っているとは思わなかった。

 自分が自分のパフォーマンスに点数を付けられるわけではない以上、『競争』が苦手でもそれを意識する必要はない。

 ただただ、自分の思ったことに力を注げばいい――そう言う裕太に、やっとの思いで浮かんだ言葉を口にする。


「裕太……おまえ、すごいな」

「えー? まあ、おまえの言ってることを聞いて、おれもそれなりに考えはしたけどさ。……いや、正直に言うか。わりと本気で考えてたよ。おれは全力を出したい。そして勝ちたい――勝ちたいけれど、『誰に、なんのために勝ちたいんだ』って」

「……」


 最初、この話をし出したとき、この野球部の友人は自分のやっていることを『闘争本能の発散』と言っていた。

 それを聞いたときは、ずいぶんと極端なことを言うなと思っていたが――それも、彼が自分のやっていることをとことんまで突き詰めて考えていたからなら、納得がいく。

 誰に、なんのために勝ちたいのか。

 なんのために楽器を吹くのか――そんな話を、この間自分は、吹奏楽部の同い年たちとしたけれども。

 野球部にいる裕太は、もっと違う角度からそのことを見つめていそうだった。

 文化部と運動部。異なる立場にいる友人の結論を、鍵太郎は聞く。


「それで参考にしようと思ったのが、おまえと、それに似た採点競技の話だ。戦う相手のいない世界で、それでも全力を出せる理由はなんだろう、ってな。で、比べてみて思ったんだけど――おれはたぶん、『おれより強いやつに勝ちたい』んだと思う」

「どこぞの格ゲーみたいなことを言うな、おまえ……」

「そこは放っておいてくれ。で、次はなんのためにって話だけど――そこはやっぱり、相手より上回りたいから、だな。そこは綺麗事を言わねえよ。自分より強い相手を、全力を出して打ち倒したい。それがおれの望みだ」


 その願いはいかにも、体育会系の男子らしく。

 すっぱりとした決意に満ちた、彼の本音だった。


「試したいんだと思う。自分がやってきたことが、どこまで通用するのかってな。その辺はおまえらと同じかもしれない。で――順当に勝ち上がれば、うちの学校は宮園高校と当たる」


 吹奏楽部の強豪校は、野球部も強豪校であることが多い。

 いや、むしろ逆なのか――どちらが先かは分からないが、しかし宮園高校は、吹奏楽部だけでなく野球部も文句なしに県下に名を轟かす有名校だった。

 野球部の友人にとっては、相手にとって不足なしの学校だろう。

 そこに、全力で挑んでみたい――そう言わんばかりに目を輝かせ、裕太は笑って言う。


「私立の強豪校に、無名の公立校が立ち向かう――愉快で、痛快だろ? で、それをはっ倒せれば、もっと楽しいことになる。ひょっとしたら、兵庫までバスを手配しなきゃならなくなるかもな。ま、そんな甘いもんじゃねえのは分かってるけどよ」


 点数よりも何よりも。

 ただひたすら『やりたいこと』に向かって。

 自分の夢を語る友人は、勝負の枠組み以上のものを持っているように、鍵太郎には見えた。

『競争』という辛気臭い言葉ですら、笑い飛ばしてくれそうだった。

 だから――


「それでも、もし、だ。とことんまで勝ち上がっちまったら――ちょっくら甲子園まで、付き合ってくれねえかな?」


 その言葉に。



###



「――ああ、もちろん」


『川連第二高校 野球部御一行様』と書かれたバスの前で。

 鍵太郎は自分の楽器を持って、試合の場となる球場に足を運びつつ、そう答えていた。

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