第303話 いつの間にかのサバイバル
「あれ、これって遭難っていうんじゃない……?」
うっそうとした木々。揺れる笹の葉。
そんな緑の景色のど真ん中で、
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話は、数日前にさかのぼる。
「そっか、実際に山に登るっていうのはいいアイデアかもな」
そのとき鍵太郎は、同い年の提案を受けてそう言っていた。
今度のコンクールでやる曲には、山の景色を描いた部分が出てくる。
なら、写真を見たりしてイメージを膨らませるのもいいが、そもそも山登りをしてみてはどうか――そんな
「写真で見るのと直に見るのって、やっぱり違うもんな。自分がやったことって印象に残るし。うん、だったら今度、みんなで行ってみようか」
「わーい。みんなでお出かけだー」
こちらが賛成すると、涼子は諸手を上げて喜んだ。
なんだかこの様子を見ると、ただ単にみんなで山に行きたかっただけみたいに見えるが、それでもこの同い年のアイデアは別に悪いものではない。
学校近くの山は、なだらかなものではあるが、それなりの高さはあるので登れば街を
その景色は、どんな写真で見るよりもリアリティのあるものになるだろう。曲のイメージとしては富士山ではあるのだけれども、さすがにそこに登ることはできないので、まずは行けるところに行ってみればいい。
するとそんな涼子の提案に、同じ三年生の
「そうね。山の頂上の景色って一回、見てみるといいかも。行ってみましょうか」
「あそこ、見晴らし台のお団子とか卵焼きとか、名物なんだよね。ピクニックがてら、みんなで行ってみたら楽しいかも」
地元民である咲耶の情報もあって、その場は盛り上がった。
ピクニック――そう、ピクニックのつもりだったのだ。
地元の緩い観光名所くらいのノリで、気軽に行ってみればいいと考えていた。
自分たちの他に、何人か他の部員を誘って、次の休みに登ってみようということになって。
そこまではよかった。
そこまではよかったのだ。
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「……なのになぜ、俺は草をかき分けて進んでいるんだ……?」
そんな、何日か前のことを思い出しながら。
鍵太郎はガサガサと、生い茂る葉っぱの中を進んでいた。
最初はちゃんとした舗装道を歩いていたはずなのだが、いつの間にか道なき道に足を踏み入れてしまっている。
行けども行けども、人の手の入った場所にたどり着く様子はない。
うわ本当、こんな普通の山でも遭難ってするもんなんだな、と鍵太郎が若干の焦りを覚えていると。
後ろで涼子が、いつもの能天気な調子で言う。
「なんか、すごいところに来ちゃったねえ」
「やかましいわ! もとはといえばおまえが、フラフラどっか行こうとするからこんなことになったんだろうが!?」
同じくわっさわっさと草を揺らしながら進んでいる、アホの子に思い切り突っ込む。
そう、今朝はみなで集合して、少しハードな散歩くらいの気分で自分たちは登山を始めていたのだ。
山らしく、石で組み上げられた道があり、両脇には六月半ばらしくアジサイが咲いていて――そういった景色を見回しながら、えっちらおっちらと進んでいた。
その途中で、涼子が「あ、なんかあっちにも綺麗な花がある」と少し道を外れて。
それを止めようと、こちらも集団から離れてしまったことが全ての始まりだった。
いつものように派手に突っ走られたら、自分も躍起になって止めにかかっただろう。しかし今日に限って、彼女の動きはごく自然なもので――気がついたら、二人だけで山中に迷い込んでしまった。
ルートを少し外れただけでこの有り様だ。
辺りにはもちろん、看板も何もない。富士山だとかそういうの、関係ない。
大自然は怖いのだ。のんびりとした山だと思って舐めていた。いや、これ本気でヤベえぞどうしよう――と鍵太郎が思ったところで。
携帯が鳴った。
『あんた、何してんの!?』
通話ボタンを押した途端、聞こえてきたのは光莉の怒声だった。
聞き慣れたそれと電波が通じることに、逆にほっと一息つく。なんというかこのまま一生、ここに置き去りにされそうな気持ちになっていた。
でも違うのだ。そう気を取り直して、同い年の問いに答える。
「すまん、迷子になった。今、浅沼と山の中をウロウロしてて……正直、どこにいるか全く分からん」
『あんたたちは何やってんのよもう!? ああでもとにかく、涼子ちゃんも一緒なのね!?』
「うん。一緒にいる」
事態が把握できているのかいないのか、涼子はきょとんとした顔でこちらを見ている。
けれどもこうしている限り、彼女は勝手にどこかに行ったりしないのだ。それはこれまでの長い付き合いで、なんとなく分かっていた。
状況はおかしなことになっているが、自分の周りの人間は変わっていない。
それを再認識すると、パニックになりかけていた思考が、すっと落ち着いてくる。そこからひとつ深呼吸をして、鍵太郎は続けた。
「俺たちは、このまま山頂を目指す。そっちは全員そろってるんだよな? だったらそのまま普通に登っててくれ」
『ちょ……大丈夫!? どこにいるのかも分からないのよね!?』
「ああ。でも、登っていけばそのうち合流できるだろう。なんてったって頂上っていうのは、一カ所しかないからな」
当初の予定からは大いに外れたが、それでもやることに変わりはない。
山頂を目指すのだ。このまま道を探して当てもなくさ迷っているより、その方が合流できる確率は格段に高い。
途中で通常のルートに出られればよし。でなくても同じところを目的としていれば、最後にはそこにたどり着く。
だったら下山するより登ってしまった方が、今回の場合はいい結果につながる。
そう判断しての鍵太郎の発言に、電話の向こうで光莉は少しの間、沈黙していたものの――やがて、観念したといった口調で言ってくる。
『……分かったわ。けど十分、気をつけなさいよね。なにしろ普通の道とは違うんだから』
「うん。気をつける」
言いながら傾斜の上の方を見てみれば、そこには整備された道とはほど遠い地面があった。
薄暗い視界の中で、木の根があちこちから顔を出している。足元には注意が必要だな――と思っていると、『ほんとに、ほんっとうに、気をつけなさいよね!?』と電話から声が聞こえてきて。
それに苦笑して大丈夫だと答え、鍵太郎はいったん通話を切った。
ここまで来たらバッテリーはいざというときのために温存だ。本当ならしゃべりながら歩きたいくらいの気持ちだけれども、そうはいかない。
携帯を落とさないよう大事にしまって、辺りを確認し。
どの経路で登るかを検討して――それまで黙ってこちらを見ていた、涼子に言う。
「というわけで浅沼。上を目指すぞ」
「分かった」
本当に正確に事態を把握しているか、小一時間くらい問い詰めたいものの。
今はそんなことをしている場合ではない。湿った地面を踏みしめて、鍵太郎は同い年と共に再び歩き始めた。
今日は曇りなので、視界はそれほど明るくない。そういえば、雨も降るかもしれないと予報では言っていたっけか――と、バッグの中の折りたたみ傘を意識する。
天候が悪くなる前に、登り切ってしまいたい。足元がぬかるんだら、こういった道はだいぶ進みづらくなる。
なんだか、想像していたよりもずいぶんワイルドなピクニックになった。わりと同い年は平気そうな顔をしているのだが、これは彼女が天然の野生児だからなのだろうか。
「なあ浅沼。おまえ怖くないの?」
いやさすがにでもこの状況、もうちょっと取り乱さないか? と思い、涼子に訊いてみる。
自分がどこにいるかも分からない山の中。
さらには下手をしたら怪我をするかもしれない、険しい道――そんなものを前にして、少しでも動揺しない人間がいるのだろうか。
しかし涼子は平然とした顔で、「大丈夫だよ」と言い切った。
なんで――とこちらが尋ねる前に、彼女は言う。
「湊がいるから、怖くないよ」
そのまま木の根につまづいて、転びそうになった。
それをなんとか踏ん張って、倒れるのだけは避ける。危うく転げ落ちるところだった。どこに――とは言わないが、とにかく真っ逆さまに谷底に。
注意をしなければならない。そう改めて思って涼子を見れば、そのアホの子は不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「……いや。なんでもない」
絶対に、自覚して言っていない。
あの浅沼涼子に限って、そんなことはあり得ない。こんな状況でなければ、本当に正確に事態を把握しているか、小一時間くらい問い詰めたいところだったけれども。
今はそんなことをしている場合ではないのだ。
そうでなければ、二人でこの山を登りきることなどできないのだから――そう考えて、先ほど触れた彼女の手の感覚を思い出しつつ。
鍵太郎は再び、止まっていた足を動かし始めた。
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