第292話 己を保ち続ける本気のフェアな勝負

「なあ二人とも。ちょっと付き合ってくれないか」


『その打開策』を思いついた後、湊鍵太郎みなとけんたろうは同い年の二人にそう声をかけていた。

 打楽器の双子姉妹、越戸こえどゆかりと越戸こえどみのり。

 楽しくなさそうだから部活を辞める、などと言っていたあの一年生と、もう一度話をするには彼女たちの協力が必要だ。

 さらには、そこで自分が本気を出すためにも――


「遊びに行こう、三人で。そして準備が終わったら――四人で」


 あのときと同じように、思い切り楽しむことが今回のカギになるのだ。



###



「はあ。勝負ッスか?」


 と、そんなやり取りがあった数日後。

 鍵太郎は一年生のフルート吹き、赤坂智恵理あかさかちえりに勝負を申し込んでいた。

 バッチリとした付けまつげに、カールした髪。短いスカート。

 あまり吹奏楽部にはいないタイプではある。しかしその実力は、折り紙付き――そんな後輩に、鍵太郎はうなずく。


「そう。勝負だ。俺が勝ったら、部活に戻ってきてくれ。きみが勝ったら、そのまま好きにしてくれていい――というか、何かひとつ、言うことを聞こう。そうじゃないとフェアじゃないだろ?」

「フェア、ねえ……」


 こちらの提案に、智恵理はうろんな目で横を見た。そこには仲介役としてこの場に呼んだ、ゆかりとみのりの姿がある。

 二人はそろってこちらを困ったような顔をして、頬をかいていた。鍵太郎と智恵理、両方の気持ちと立場が分かる――そんなこの双子姉妹には、両方と仲がいいということで、今回の勝負の見届け人を頼んである。

 これから行うことに、手出しはしない。

 そう鍵太郎が言うと、智恵理は肩をすくめて言ってくる。


「ま、そういうことならいいっしょ。ちょうどヒマしてたところですし。で、どんなことで勝負つけるんスか?」

「『太鼓の達人』」


 後輩の問いに、即答する。

 それはかつて、あの先代の部長と話したときにやったゲームであり、そしてその前にも打楽器の男の先輩と遊んだものだ。

 音楽で始まった話には、音楽で決着をつける。

 そして楽しさで始まった話には、楽しさで片を付ける――そうこちらが言うと、智恵理はやっぱりとも、呆れたともつかない顔をした。

 期待半分、落胆半分といったところだろうか。こちらがやろうとしていることは、おそらくこれで、途中まで彼女は読んでしまったことだろう。

 外見と言動はともかく、智恵理は楽器も上手いし、頭の回転も速い。

 勘がいい――とも言うのだろうか。そうでなければ、彼女はコンクール前に部活を辞めようなどとは言いださなかったはずだ。

 これから起こるであろうことを周囲の情報から予測して、自分が最もいいと思う選択をした。

 それはこの後輩のポテンシャルの高さの証明であり、年下だからといって侮ってはいけないということを裏付けるものでもある。

 けれど、こちらはつもりだ。

 そうではなくては、勝負とは言えない。あの野球部の友人のセリフのように、まったく、なんで自分は、こんなことをやってんだろうなと思うけれども――

 それでも、楽しいことをやりたいという彼女は、絶対に手放してはいけないのだ。

 その腕以上に、心根の部分で自分はこの後輩と一緒にやりたいのである。けれど、それが伝わらないのでこうして、実力行使に出ているわけだ。


 学校近くのゲームセンターに入って、二人で筐体の前に立つ。

 コインを入れて、備え付けのバチを持つ。目の前の画面が、曲のセレクトのものに切り替わって――どれをやるかは、智恵理に任せることにした。

 今回はどれだけ楽しくやれるかが、勝負の焦点だ。

 だったら、形式はこちらが指定したということもあり、曲は彼女が好きなものを選んでくれた方が都合がいい。

 どんな曲になっても、食らいつけるくらいの準備はしてきた。そう思って、後輩を横目で見ていると――彼女は、いくつかの候補から太鼓のふちを叩き、ひとつの曲を選ぶ。


「んー。まあ、これっスかね」


 RADWIMPS『前前前世』。

 最初からアップテンポで突っ走るその曲は、確かに智恵理が好きそうな感じである。世間的にも知名度はかなり高いし、もちろんこちらも知っているものだった。

 二人の勝負としては、公平な選曲だと言えるだろう。後ろで見守っている、ゆかりとみのりがうなずくのを確認して――

 鍵太郎は、後輩と共に画面に向き直った。

 赤い丸が来たら太鼓の面を叩き、青い丸が来たら太鼓の縁を叩くこのゲーム。難易度は『ふつう』。イントロが始まって、まずいきなりの連打を二人で叩く。

 ハイスピードで流れてくる赤丸を、それぞれリズムよくしばき倒していく。たまに引っ掛けるように、それに混ざって青丸が挟まれてきて――それもお互い冷静に、テンポに乗って縁を叩いた。

 曲に乗ってタイミングよく叩かないと、高得点が出ないのがこのゲームだ。しかし低音ベース楽器、リズムとテンポの鬼であるこちらにとって、それは得意とする分野である。

 この部活に入った、本当に最初の頃。

 先輩にここに連れてきてもらって、こうして遊んだことを思い出す。あのときは、まだ自分がどんな楽器をやるかも決まっていなかったけれど――こうしてリズムに乗ることは、それでも楽しかった。

 振り返ればあれが自分が音楽を始めて、びっくりするほど熱くなった初めの出来事だ。

 そのときの記憶と気持ちに手を伸ばしつつ、腕を振るう。画面の中で叩くごとに放射状に光が広がって、それはまるで太陽のようにこちらを照らし出していた。

 たまに間違ってそれが消えてしまうのもご愛敬だ。明滅を繰り返しながら曲は、メロディーは進んでいく。

 それにつれて、叩く回数が増えてきた。少しだけそれが収まって、静かになった直後――サビに向けて、一気に画面が賑やかになっていく。

 大きく両手で叩いて、それを軸に地面で足を蹴るように、曲を進めていく。

 テンポに乗れば自然とバチが出て、良か不可かも分からないままそれを振るう。確認する余裕なんか全然なくて、それでも気が付けば自分は、笑いながらメロディーに合わせてリズムを刻んでいた。

 曲の盛り上がりに合わせて、画面も明るくなったように思える。それはずっと叩きっぱなしだからなのか、どうなのか――定かでもないがとにかく、流れ出してくる本能のままに手を出していく。

 そんなことをしているうちに、ふっと遠ざかるように、その流れが引いた。もうすぐ終わりが近い。まだやっていたい。そう思うけれども、楽しい時間はあっという間だ。

 光が消えていき、背景が暗くなっていく。けれども、それに抗うように連打をして――するとピン、と切れるように。

 あっけなく、花火が散るようにしてその曲は終わった。

 元々まだ続きがあるものを、ゲームの都合上ここで終わらせたので当然だ。名残惜しく切り替わる画面を見送れば、そこには自分と智恵理の、今の対戦の結果が表示されている。

 双方とも、特に大きなミスはなかったが――タイミングがよかったおかげか、点数自体は鍵太郎の方が高い。

 勝負としては、こちらの勝ちだ。

 けれども――


「ま、そりゃそーっスよね。センパイ、これのために練習してきたんでしょ? しかもあの二人の指導付きで」


 智恵理は鼻で笑って口の片端を吊り上げ、つまらなそうにそう言った。

 顔を向けられたゆかりとみのりは、「あはは。やっぱりバレちゃうよねー」「そうだよねー。分かっちゃうよねー」などと冷や汗をながしつつ、頭をかいている。

 今回の勝負にあたって、この二人にコーチをしてもらったのは本当だ。

 自分の周りでは、彼女たちが一番このゲームに関しては上手い。なのでここ数日、ここに通って特訓をしていたのである。

 そしてそれを、特に隠すつもりはなかった。そんなことをしてもすぐに種は割れてしまうだろうし、嘘をついて勝ったところで意味がないのだ。

 そう、この勝負の本当の目的を果たすためには――と、思ったところで。

 後輩は、あきらめたように言ってくる。


「けど、勝負は勝負です。あたしもそれが分かってて、それなりに本気でやったつもりなんスけどね。それでもダメだったんだ、条件は飲みましょう。いいっスよ。部活には戻ります。まあ、それでもコンクールはやっぱ出たくないっスけど――」

「――


 そんなことを口にしつつ、バチを筐体に戻そうとする智恵理を、鍵太郎は押しとどめた。

 思ったよりも低い声が出て、それは案外と凄みのあるものに聞こえたらしい。

 ぎょっとする後輩に、そのまま鍵太郎は続ける。


「まだだ。まだ勝負は終わってない。まだ続けるぞ」

「ちょ……今のが無効試合って、どういうことっスか? さっきの点数は、センパイのが高かったはずじゃ――」

「点数の問題じゃねえんだよ」


 確かにゲームの得点では、彼女には勝った。

 けれども、それじゃ意味がないのだ。単なる数字でこの後輩を上回っても、心が納得していなければ戻ったところで一緒に演奏はできない。

 だったら、どうすればいいのか――


「きみは、。そんな子と楽器を吹いたところで、俺はつまらない。やるんだったらもっとがっついて来いよ。それがこの勝負の、本当の意味だ」


 点数でなく、こっちが本気で楽しんでいることを、この後輩に見せればいい。

 智恵理は「吹奏楽部の音楽は青春ごっこ」と言っていたが、そんなことはないと、この身で伝えればいいのだ。

 この部活には、そんな思い込みなど吹き飛ばすくらい、愉快なものが詰まっている。

 そう思わせることができれば、こちらの勝ちだ。そのために、ゆかりとみのりには智恵理に太刀打ちできるくらいになるまで、付き合ってもらった。

 この後輩も後輩で、リズムに強いのは入部してから、何より初めて会ったときの祭囃子のときに分かり切っている。

 お囃子勝負で、この打楽器姉妹に対抗できるだけの我の強さと、胆力。

 それを持っている智恵理とは、ぜひとも一緒の舞台に乗りたかった。

 コンクールだからどうのこうの、という話ではない。もっと根源的な欲求だ。

 初めて山車だしの上で横笛を吹いていた彼女を見かけたときのような、あの熱を――


「――ハッ」


 あの音楽室でも、体感してもらいたい。

 そう思ってこちらが出した勝負を、智恵理は飲んだようだった。戻しかけたバチを再び握り直し、彼女は目に炎を宿して言ってくる。


「ただのナヨっとした陰キャだと思ってましたが――なかなかどうして。やるじゃないっスか。上等です、受けて立ちましょう」

「望むところだ」


 後輩があの夏、見かけたときのような雰囲気をまとったのを見て、鍵太郎は笑った。

 さっきまでの智恵理とは大違いだ。分かり切っていた結末に飽き飽きして、どこか身の入っていなかった彼女。

 そんな後輩を、いくら点数で負かしたところでまるでいい気がしない。

 本当の勝負は、ここから――そう思って、もう一度曲の選択画面に戻る。


「じゃあ、ここからはもっと難易度を上げて」


 それならば、と鍵太郎は『ふつう』の上の『むずかしい』――その、さらに上の。

 『おに』を選んで、智恵理と一緒に画面に向かった。



###



 先ほどよりさらにえげつなく襲い掛かってくる赤丸と青丸のリズムの中を、二人で駆け抜ける。

 鼻血が出そうになるくらい集中して、曲に乗って太鼓を叩いていく。その分だけ賑やかに、光が踊っていく。

 腕を振るうたびに、鼓動と明滅が繰り返される。

 そんなことをしているうちに――


「あっはは、降参こーさん! もう無理っス!」


 後輩は大笑いしながら、倒れこむようにしてバチを筐体に置いた。

 あれから二人で一緒に、向かってくるメロディーをなぎ倒し、なぎ倒され。

 そうしているうちにもう途中からどうでもよくなって――ただ単に先輩と後輩で、一緒にゲームを楽しむようになっていたのだ。

 極度に神経を使い続けていたので、こちらも疲労困憊である。しかも途中からおかしくなりすぎて、変な笑いがもれていた気がする。これではあの打楽器の男の先輩のことを、キモいと言えない。


「ど、どうだ……! ざっとこんなもんよ……!」


 けれども、それでも智恵理と一緒にこうして遊ぶのは楽しかった。

 沸騰しすぎて汗まみれの頭を押さえ、鍵太郎もそう言って、大きく息をつく。

 冷静になってみれば、あの野球部の友人の言う通り、自分たちは本当に何をやってるのかという感じではあるが。

 それでもこんな馬鹿が、あの部活には絶対必要なのだ。ごっこでもなんでもなく、曲に乗って瞳孔が開くくらい本気になれる馬鹿。

 彼女も自分も、そんなだから一緒に楽器をやっていられる。

 それが、こうしてとことんまで遊んだことで――


「あー、分かりました分かりました! もうあたしの負けでいいっス! いーっスよ!」


 智恵理には、こちらの気持ちとして伝わったようだった。

 まあ、しばらくあの画面は夢にみそうだけれども。それでも最初は冷めていた後輩が、こうして笑ってくれたなら、それはそれでよしとする。

 どうにも距離感の掴めない存在だった智恵理だが、こうして思い切り詰め寄ってみてよかった。そう思っていると、彼女はこちらの肩を叩いて、上機嫌で言う。


「こんだけ愉快な人がいるんだ、コンクールってやつもセンパイがいれば、そんなにおかしなもんでもないでしょう。乗りましょう、乗ったろうじゃないですか!」

「ふはぁ。よかったね、湊!」

「三人でがんばったもんねー。これでようやく、丸く収まる!」

「あっはっはっは……なんとか、なったなあ……!」


 後輩の宣言を受けて、後ろで勝負の行方を見守っていたゆかりとみのりも、ほっとしたように駆け寄ってきた。

 こういう方向に持っていこうと自分では考えていたし、この一年生が本気を出してきた時点で、こうなることは予測できていたものの。

 それでもぶっ倒れるまで楽しんで、そしてその末に掴んだ、さらに楽しいこと。

 点数を競う勝負の、その先にあるものにあるものを、彼女と共有できてよかった。

 青春ごっこ、と言われても別に構わない。

 他の人からそう見えても、後から思い返して自分でそう思っても、今このときだけはそれが本物の気持ちなのだから。

 そして、これからも音楽室でそれは続いていくのだから――と、鍵太郎がそう思っていると。

 そんな時間を掴んで離さない、と言わんばかりに。

 智恵理は笑いながら、今度はその腕をバチではなく、こちらに絡ませてくる。


「じゃあセンパイ! 次はカラオケ行きましょ!」

「は!? まだ遊ぶ気!?」


 正気の沙汰とは思えない後輩の発言に、今度はこっちが度肝を抜かれた。

 確かに今のは今ので楽しかったが、今日はもうお腹一杯だ。

 さすがに休ませてほしい。そう言うと、智恵理は「当たり前じゃないスか!」とこちらを見上げてくる。


「だって好きなことはトコトンは、あたしの信条ですから! というか、初めに言いましたよね。あたしが勝ったらこっちの言うことも聞いてくれるって!」

「言った、言ったけど、それ今日じゃなきゃダメ!?」


 先ほどの勝負では、何度かこの後輩の方が点数が高いときもあった。

 けれども、そのお願いは今この瞬間に聞き入れなければならないものなのか。そう思っていると、智恵理は「問答無用ー!」と言って、そのままグイグイと腕を引っ張ってきた。


「こんな面白い人となら、あたしはもっと一緒にいたいッスよ! こうなりゃとことん付き合ってもらいますよ、センパイ!」

「あー。もうこの際だから、智恵理ちゃんの気が済むまで遊んであげなよ、湊」

「そうそう。わたしたちもなんだったら、タンバリン叩きまくって盛り上げるから」

「本職の打楽器のタンバリンすごそう!? けどちょっと待って!? さすがに今日は勘弁、明日なら――」


 ゆかりとみのりのも反対側から腕を掴まれて、しかし儚いながらも抵抗はしてみる。

 なるほど、数日前に自分は、準備が終わったら四人で遊びに行こうとは言っていた。

 けれども、それは果たして今このときなのか。そう思っていると――

 智恵理はキラキラした目でこちらを見上げ、思い切り楽しそうに言う。


「言ったでしょ。あたしは楽しいことはマジでやるんだって。責任取ってもらいますからね、センパイ!」


 その瞳の輝きと強さに、あの祭囃子の日と同じ熱気を感じ取って。

 今度はこちらが降参して、鍵太郎は本気になった後輩と、さらなる楽しい勝負に向かうことにした。

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