第278話 論理の狭間にあるもの

 白いジャケットに、袖を通す。

 これはこの合同バンドの本番のために、作った衣装だ。それを羽織って湊鍵太郎みなとけんたろうは、周りにいる部員たちを見回した。

 リハーサルは終了、あとは本番。

 このテーマパーク、フォクシーランドでこれから自分たちは演奏するのだ。

 居並ぶ白いジャケットの集団に、なんだかこうして見ると強豪校みたいだな、と鍵太郎は思う。おそらく今、演奏会の準備をしているであろうあの人の母校には、まだまだ及ばないだろうけど――少なくとも格好だけは、それらしく見えていた。

 あとは演奏の面でも演出の面でも、あの学校に負けないように精一杯やるだけだ。

 今日は朝からトラブル続きだったが、なんとかここまで――と思ったところで。


「……」


 二年生の野中恵那のなかえなが、青い顔をしているのが目に入ってきた。

 そういえば、彼女は今朝バスの中で、ひどい車酔いを起こしていたのだ。

 それが、まだ治っていないのだろうか。口元を押さえている恵那に、心配になって声をかける。


「大丈夫? 野中さん」

「……せん、ぱい。ごめんなさい。酔い止めの薬は飲んできたはずだったんですけど……」


 その返答の通り、彼女の体調はまだ戻っていないらしい。

 座って演奏するだけならともかく、次の本番で恵那は楽器を持って踊ったりもするのだ。

 そういったパフォーマンスに、今の彼女が耐えられるのだろうか。

 場合によっては――と鍵太郎がもう一度、後輩に話しかけようとすると。

 ジャケットと着ようとする恵那に、声をかける姿があった。


「――待ちなさい」


 今回の本番の担当者、泉恭子いずみきょうこだ。

 このテーマパークのスタッフである彼女は、それに似つかわしくないほどの淡々とした口調で後輩に言う。


「先ほどのリハーサルの、あなたの動きを見ました。体調のせいでしょうか、動きにキレがありません」

「……すみません」

「十全のパフォーマンスを発揮できないのであれば、あなたはそれに袖を通すべきではありません。お客様を喜ばせるどころか、がっかりさせてしまいますので」

「……」


 泉の物言いに、恵那は蒼白な顔で黙り込む。

 そのやり取りに、鍵太郎が思い出すのは――この後輩が、前部長に責められたときのことだ。

 あのときは、前部長が感情的になって恵那に当たったという図式だったが、今回は違う。

「あなたたちは今日、『学生』ではなく『スタッフ』なのです」――そう言い切る泉は、それよりももっと冷厳な論理でもって、恵那に言う。


「体調が悪いのでしたら、舞台に乗らなくて構いませんよ」

「いや、です……」

「もし思い出作りのために今回のステージに参加しようとしているなら、今すぐここから退場してください。これから向かうのは学芸会ではありません。お客様を楽しませる、プロの舞台です」

「分かって、います……」

「でしたら、伺います。あなたはこれから、ステージで客席にいらっしゃる方々を、笑顔にすることはできますか?」

「……はい」

「その言葉に、あなたは責任を持てますか?」

「……がんばり、ます」

「そうではなく。できるかできないかを、私は問うています」


 もうやめてくれ、とその会話を聞いていて思う。

 泉に悪意がないのは分かっている。

 彼女はテーマパークの職員として、やらなければならないことをやっているだけだ。

 中途半端なものを見せるわけにはいかない。ましてや、本番中に倒れられたら大惨事だ。

 そうならないために、泉はこうしてあえて、キツいことを言っている。それが理解できるだけに、鍵太郎はあのときのように、二人の間に割って入ることができなかった。

 個人的な感情でなく、舞台に立つ者としてのルール。

 それを前にして――恵那はビクリと震えながらも。


「……はい。責任を……持ちます」


 以前のように怯えるだけでなく、目を見開いてそう言い切った。

 これで、話としてはなんとかまとまるだろうか。

 鍵太郎がどこかホッとした気持ちでそう思っていると――泉は「分かりました」とうなずき、続けてくる。


「でしたら、笑ってください。くれぐれも『調子の悪いことをたてにして、誰かの同情を引く真似などしないように』」

「……っ」

「そういったパフォーマンスもあることは承知しておりますが、当園のカラーではありません。では、本番よろしくお願い致します」


 それでは――と去っていく泉に、そら恐ろしいものを覚える。

 甘えるな――と言外に言われたようでもあった。

 彼女はどこまで、その動きを通して恵那のことを見ていたのだろう。

 泉自身はどうあれ、彼女もまたプロのパフォーマーを数多く目にしてきた、テーマパークの職員ということだろうか。

 部員の中でも、かなり限られた人間しかしらないはずの、この後輩の癖――

 それができてしまった彼女の過去の話を思い出していると、恵那が言う。


「……聞きましたか、先輩」


 ふふ、と笑って――それはきっと、本来表舞台では、出してはいけない微笑みなのだろうけれども。

 それでも、テーマパークの裏側であるここでは、まだ許容されるのだろう。

 そんなほの暗い笑みを浮かべて、後輩は自分のトラウマを口にする。


「……あの人も、わたしのことを『媚びている』と言いました。それは断じて……認められません」

「そこまで、はっきり言ってはないと思うけど……」

「いいえ、言いました」


 絶対に、それだけは許せません――と言って、恵那はその黒さを覆い隠すように、白いジャケットをばさりと羽織った。

 確かにそのことは、いずれ彼女も立ち向かわなければならなかった問題かもしれないが。

 しかしよりによって、ここでか――と天を仰ぎ、鍵太郎は後輩に言う。


「……無理は、しないでね?」

「そう言われると、余計に無理をすると思うのでやめてください」

「泉さん、こういう子もたくさん見てきたのかなあ……」


 暗い闘志を燃やす恵那は、ある意味で元気になったとも言えなくないが。

 別の方面で気がかりではある。もう一度、後輩にくれぐれも無茶はしないよう言い聞かせて――鍵太郎は、泉の去った方角を見た。



###



 園内には、設置されたトロッコで向かうことになっているらしい。

 なんでも、控室から現場までは距離があるので、そういう決まりになっているそうだ。先頭に蒸気機関車のような意匠が施された、何両もある長い車両。

 これ自体が、まるでテーマパークの乗り物のようだった。実際、これを目にしたときには、みなはしゃいでいたものだ。

 そして、そのトロッコに揺られながら――


「……何?」


 鍵太郎は、同い年の片柳隣花かたやなぎりんかのことをじっと見ていた。

 怪訝な顔をする隣花に、視線で合図を送る。

 その先には、トロッコを運転する泉の姿があった。


「いや、似てるなあって思って」


 そう答え、隣花に今日これまであのテーマパークの職員に言われたことを説明する。

 なんとなく、泉とこの同い年は、思考形態が似ているように思えた。

 夢を支える現実。

 理路整然とした、地に足のついた考え方。

 核になっているものは違うだろうが、どことなく目的にたどり着くための手段に、共通するものがあるというか――要するに、性格に近いものを感じるのだ。

 なら、泉のあのやたらに厳しい態度も、隣花なら理解できるのではないか。

 そして、それとの擦り合わせができればこの心のモヤモヤも、少しは晴れるのではないか――そんな思いで、鍵太郎はこの同い年に事情を話したわけだが。

 ややあって隣花は、「なるほどね」とうなずいた。


「『自分たちが楽しければ、お客様も楽しんでくれるというのは間違い』ね。それは確かに、正しいと思う」

「まあ、客観的に考えればそうなんだよな……」


 ここは無条件に、自分たちのことを受け入れてもらえる場所ではない。

 先日のあの慰問演奏のように、一生懸命さで拍手をもらえるようなところではない。それは分かって来たつもりだった。

 けれど――だとしても、素直にその言葉を受け入れられない自分がいる。

 それは、こちらがプロではないからだろうか。

 大人ではないからだろうか――そんな風に考えていると、隣花は続ける。


「けど。論理を逆にして。『お客さんが楽しければ、自分たちは楽しくなくてもいい』というのも、それはそれで違うと思うの」

「じゃあ、泉さんは何を考えてると思う?」

「……推測の域を出ない。人の気持ちなんて分からない」


 まして、今日初めて会った人なのだし――そう隣花は言って、自分の楽器をぎゅっと握った。


「でも。なんというか、あの人は……その論理の狭間にあるものを、大事にしているような気がする」


 その言葉に、鍵太郎は再びトロッコの先頭に乗る、泉のことを見る。

 彼女が何を考えているのかは、未だに分からない。

 『楽しい』が、まだ判然としない。

 そんな部員たちを乗せて――トロッコは、テーマパークの裏側から表舞台へ。

 夢と現実の狭間を、揺れ動きながら進んでいった。

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