第19幕 原点よりK点を越えて
第266話 曲者ぞろいの大うねり
野太いバチが、音楽室の一角で跳ねる。
全員の気迫に、芯まで響く和太鼓のリズム。
それらを束ねて、
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そして、その少し前。
「なんかあのメロディー、癖が強いのよね」
鍵太郎に、
新入生の入部ラッシュもあらかた落ち着き、今日はその新入生を交えて、今度の老人ホームの慰問演奏に向けた合奏が行われる。
そして、その中での一曲――『八木節』には、光莉の担当するトランペットのソロがあるのだ。
地域民謡の主旋律だけあって、確かにそのソロには微妙な緩急というか、独特の歌っている感があった。
昔からそうだったが、基本的に彼女は綺麗に吹きたがるというか、楽譜通りにやろうとする傾向がある。
まあ、それが当たり前といえば当たり前ではあるのだが。それゆえに乗り切れていない感のある同い年に、鍵太郎は苦笑して言う。
「なんか、トランペットの一番って本当に大変なんだなあ」
「ちょっと、それ今更言う?」
改めて実感したことを口にしたら、光莉は呆れたようにそう返してきた。
三年生になって正式に一番トランペットを務めるようになった彼女は、主旋律やソロを吹く機会が圧倒的に多くなった。
鍵太郎自身もソロをやったことがあるので、同い年の気持ちは何となく分かる。しかしそれを毎回、しかも曲ごとに雰囲気を変えてやるとなると、なかなかに骨の折れることだろうなあと思うのだ。
ここをああしようとか、あそこはこう吹こうとか――そういったことに悩むのもある意味、楽しいのかもしれないけれど。
しかし自分たちの役割は、まずはそういった主旋律をしっかり支えることである。そう思って鍵太郎は、隣に座る自分と同じ楽器の新一年生、
「大月さんは、こういう慰問演奏とか、やったことあるの?」
「あ、はい……何回か」
渡された楽譜から顔を上げ、芽衣は小さくうなずいた。
中学からの経験者である彼女は、予想通りこういった舞台にも立ったことがあるらしい。
この後輩からは、その中学時代についてあまりいい話を聞いていないけれど――それでもそうでない記憶だって、きっとあったはずなのだ。
なので、鍵太郎は芽衣に、重ねて訊いてみる。
「そのとき、どんな感じだった?」
「えっと……その。なんというか……みなさん、嬉しそうでした」
「だよね」
一生懸命考えて答えてくる一年生に、笑ってうなずく。少なくともああいった本番で、失敗をすることはあっても、罵声を浴びせられるようなことはない。
だったら間違えないようになんて気にせず、思い切りやるべきなのだ。そう思って、鍵太郎は初めてできた同じ楽器の後輩に言う。
「今回もお客さんが喜んでくれるように、がんばろうね。大月さん」
「……はい」
「……ねえそれ、私にも言ってる?」
芽衣とこちらのやり取りに、半眼で光莉が訊いてくる。心なしかいつもより、その視線が鋭く感じるのだが気のせいだろうか。
自分は後輩を励ましていただけなのに。そう思って鍵太郎は、笑っているのに頬がひくひくと引きつっている同い年へと答える。
「そうでもねえよ。ていうか見てみろよ、あれ」
「……?」
指差してみれば、そこには先日入部したピッコロの一年生と、打楽器の双子姉妹の姿があった。
彼女たちはお囃子隊から借りてきたのであろう、横笛と和太鼓を用意していて、準備万端といった様子だ。
逆に言うと、もはや癖しかない。
「あれに匹敵するような演奏っていうと、もうなりふり構ってられないだろ。だからおまえの場合はがんばれっていうより、何? やっちゃえ? 弾けろ? みたいな。そんな感じ」
「あーもう!? 分かった、分かったわよ!!」
やればいいんでしょ、やれば! とそれこそ弾けかねない勢いで光莉が自分の席に向かっていく。
それを見送っていると、後輩がため息をつきながら言った。
「……
その『曲者』というのにどう考えても部長たる自分も入っているような気がするのだが、軽く笑って流すことにする。
なんだかんだ言って、これがあの老人ホームで吹く最後の機会になるのだ。
ありがとう、また来てね――。
またそう言ってもらえるよう、曲者だろうが大癖だろうが、大いに張り切って吹いていく所存である。
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「よーし、おまえら。とりあえずやってみんぞー」
そう言って顧問の先生が、指揮台にあがる。いつもならそれで少し部員たちは落ち着くのだが、今日はざわめきが収まらない。
それはそうだろう。今回が新一年生が入って、初の正式な合奏だ。
どのパートにも新しい部員が増えて、演奏がどうなるかは正直言って、分からない。
けれどもそれでも、やるしかないのだ。緊張と高揚が入り混じった空気の中で、宣言通り顧問の先生は、不敵に笑って指揮棒を構えた。
振り下ろす。
瞬間、ゴッ――という烈風じみたものが音楽室に吹き荒れた。
それに鍵太郎は、先生と同じような笑みを内心で浮かべていた。やれる。そう確信してもう一度楽器に息を送り込む。
中には最初の自分と同じように、できなくて焦っている後輩もいるかもしれないけど――大丈夫だ。
とりあえずやっていくうちに、こんな風になんとかなってくる。
そう思って隣を少し気にすれば、芽衣はその小さな身体で、めいっぱいの音を出していた。やはりこの一年生、吹けないわけではないのだ。
最初に一緒に吹いたときもそんな印象を持ったのだが、彼女がいてくれるだけで自分の音が共鳴して、増幅されていくのが分かる。
息が苦しくない。身体も重くない。
ひとりじゃないって、こんなに心強いものなんだな――と、久しぶりの感覚に懐かしささえ覚えつつ、鍵太郎は吹き進めていった。楽しい。一年生の頃、隣にいたあの人も少しくらいは、こんなことを思っていてくれただろうか。
遠い思い出を振り返るように、和太鼓の音が遠ざかる。
ただその代わりに出てきたのは、この間入ったばかりの、横笛を吹くキラキラした新入生だった。
彼女は去年あの祭りで見たときと同じように、リズムに微妙な節をつけて歌っている。いつも思うのだが、木管の人はよくもまああんなに細かく指が回るものだ。
そう感心している暇もなく、自分たちの出番がやってくる。
今度は同じメロディーに、違う楽器を入れて。最初にあの陽気な一年生が音頭を取ってくれたおかげか、他の部員たちもつられて地に足をつけて踊り始めた。
腹に響く太鼓と相まって、こちらもリズム打ちが非常にしやすい。今年の一年生はとんでもないのばっかりだなと、この先を考えると冷や汗が出てくるが、まずこの合奏に集中した方がいいだろう。
ほんの瞬間の休みに、指でメトロノームのごとくカウントを打つ。
そうするとつまりその間は、基準となるリズムを刻む人間がほとんどいなくなるわけで――
バリトンサックスの後輩がほんの少しだけ早く飛び込んでしまうのを、鍵太郎は苦笑しながら追いかけた。
後輩が入って彼女もだいぶお祭り気分のようだったが、去年の自分のような轍を踏ませないためにも、はしゃぎすぎには注意しなくてはならない。
まあ、そういった素直なところも、あの後輩の美点ではあるのだけれども――そう思いながら暴れ馬のような二年生を押さえにかかる。
和太鼓の二人と、チューバ二人の計四人がかり。しかしそれだけ人数が必要だということは、彼女も去年と比べ、だいぶ上達しているということなのだろう。
荒波のごとく
要所要所に楔を打ち込んでいけば、渦潮のようにうねりを生みつつ、それ自体がひとつの演奏として成立してきた。
間違いさえも、ひとつの糧として。
そうやって、自分も進んできたのだった。そうしてまた、全員で同じものを吹いて――
寄せては返す波が引いたら、今度は光莉の出番になる。
きっとあの同い年は、死ぬほど緊張しているに違いない。休みの間、ずっと素数を数えているはずだ。
しかしあのソロは、数えれば数えるほどドツボにはまる大癖ソロなのである。
だからこそ彼女は、楽譜通りやろうとしたのだろう。旋律自体は、バリトンサックスの後輩のやってきたものと、さほど変わらない。
ただほんの少しだけ、伸ばしの音が短くて前のめりになる必要があって――ひょっとしたらあの二年生も、その影響で早く行ってしまったのかもしれないが。
遠くから、祭囃子でよくある甲高い金属の音が聞こえる。
意識がどこにあるのか分からなくなるような、不思議な和音がする。
それはまさに、光莉の精神状態そのものだったかもしれない。けれど飛び込むしかないのは、彼女自身も分かっているだろう。
とりあえず、やってみるしかない――顧問の先生が言うように、覚悟を決めて吹くしかないのだ。
そこで最後のお膳立てをするような、ひと盛り上がりをして。
自分だったらパニックになっているだろうなと思う、静寂の隙間を縫って――同い年は、永遠にも感じる長い音を吹き始めた。
だがそれは、極度の集中状態が生んだ錯覚にすぎない。
実際は、ほんの数秒の出来事だ。
そしてその引き延ばされた感覚の中で――光莉は、鍵太郎の予想よりもコンマ何秒か早く旋律を吹き始めた。
あ、と思ったのも束の間。
周囲も条件反射のように、彼女に合わせて吹き始める。そうするともう引っ込みがつかなくて、そのスピードに合わせていくしかない。
どうやら飛び込もうとして、前のめりになりすぎたらしい。あの同い年はきっと、やってしまったと後悔しているのかもしれないが。
けれどもそう入ってしまった以上は覚悟を決めたのか、光莉はそのまま突き進み始めた。死ぬときは前のめり。卒業したトランペットの先輩も、かつてそう言っていたものだ。
半ばヤケクソじみた吹き方ではあったが、それがかえってこの曲に合っている。いいぞ、その調子――とダッシュで同い年を追いかけて、鍵太郎は体勢を立て直した。
そういえば、と思い出す。一年生のときもあの本番で、彼女は他の人間にあおられてジェットコースターのように周りを引きずり回したのだ。
今は、それに比べたらだいぶマシだけれども。そのときの記憶が目の前の演奏と重なって、鍵太郎は笑いだしそうになった。
横笛も和太鼓もトランペットもチューバも、あのときと変わらずどこもかしこも曲者ばかりで。
それなのに、演奏は大渦を巻いて進んでいくから始末に負えない。
うねりを増した海流は、もはや制御不能なほどになっている。だからこそいつも予想外の楽しい何かが飛び出してきて、それはきっとこの先もそうなのだろう。
間違えさえも、ひとつの糧として――そしてまた、大きな流れが生まれる。
トランペットのソロが終わったら、今度は双子姉妹が待ってましたと和太鼓を打ち鳴らしてきた。
野太いバチが、音楽室の一角で跳ねる。
全員の気迫に、芯まで響く和太鼓のリズム。
それらを束ねて、鍵太郎の腹の底から音を出した。
始まりに戻った譜面は、また大きなうねりを生みながら突き進んでいく。
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