第236話 史上最大の(DEBAGAME)作戦

 湊鍵太郎みなとけんたろうが約束の時間より早く駅前に着くと、そこには既に野中恵那のなかえなが立っていた。


「あ……ごめん。待った?」


 寒そうに空を見上げて待っていた後輩に、鍵太郎はそう声をかける。

 この後輩を待たせないようにと早めに出てきたつもりだったが、こちらの予想をはるかに上回って彼女はここに着いていたらしい。

 赤いダッフルコートを羽織ってはいるものの、恵那は少し震えているようだった。

 それでも、後輩は言う。


「待って……ないです」

「……」


 こちらを見上げて言うそんな恵那の姿に、鍵太郎はこれで自分が部長じゃなかったら、本気で付き合っていたかもしれないと思った。

 それほどまでにこの後輩の様は、健気というか守ってやらねばというか、そんな気持ちを掻き立たせるものがあるのだ。

 しかし立場上、彼女と付き合うのはどうにもとてもまずい気がする。

 確かに恵那からは告白はされた。告白はされたが――

 そう考えたからこそ、鍵太郎は頭を振ってその感情を払いのけ、彼女に対して言う。


「待ってないわけないだろ。ほら、行こう。もう少しあったかいところに。……あ、何か飲む?」

「……はい」


 歩き出すと後輩は、少し遅れてくっついてきた。

 そのまま近くの自動販売機で、温かいミルクティーを買う。

 恵那は自分が払うと言ったが、鍵太郎はそれを頑として断った。


 なぜなら、これはデートなのだから。


 我ながら最低の発想と行動だとは思うのだが、今日は一日、彼女が満足するまで付き合うつもりだった。

 そうすれば、もし告白を断ったとしても、恵那は納得するだろうから――と、彼女と同い年の後輩に言われ、今回はこんなことになっている。

 しかしそれを果たしてどうやって、どんな風に伝えればいいのか。

 それが分からないままに鍵太郎は、こくこくとミルクティーを飲む恵那を見つめていた。



###



 そして、その近くの物陰では――


「……デートね。ああそうね、あれはデートね」


 鍵太郎と同い年の千渡光莉せんどひかりが、駅前の壁を握り潰しかねない勢いで掴んでいた。

 どうにもいろんなものが心配で、もう一人の同学年の部員が言うままに、ここに来てしまったのだが――

 こうして二人がイチャイチャしているのを見ているだけというのも、それはそれでイラッとくるものだ。

 さらにそんな彼女の他にも、隠れて鍵太郎と恵那の動向を伺う部員たちが何人もいる。


「デートだねえ」

「デートしてるねえ」


 楽しそうに言うのは、越戸ゆかりとみのりの双子姉妹だ。

 一体何がそんなに楽しいのか、光莉としては全くもって理解できないのだが、彼女たちはニマニマと実に愉快そうにデートの様子を眺めている。

 そのすぐ傍には、もちろんここに見に来ようと言い出した浅沼涼子、それに恵那の告白の際に一緒にいた宝木咲耶たからぎさくやの姿もある。

 二年生としては、加えてもう一人――


「まあ、そうよね。あんたも来るわよね……」

「当たり前でしょう。あれだけ音楽室で騒いでれば、嫌でも耳につくもの」


 片柳隣花かたやなぎりんかが冷ややかに目を細めているのを見て、光莉はボソリとつぶやいた。

 そういえば彼女の言う通り、あの日はあの臆病な恵那が告白してきたという大事件で、音楽室中が大騒ぎだったのだ。

 気になるのも仕方のないことだろう。なおかつ隣花も隣花で、抑えてはいるのだろうが腕を組み、決して機嫌がいいわけではないだろうオーラを滲ませている。

 理由は言わずもがな、だが――

 彼女は光莉より、細かく状況を分析していた。


「……千渡。あんたも分かってるでしょう。あいつの最大の武器にして、だからこその最大の弱点。『身内にはとことん甘い』ってことを」

「……」


 自分が抱えていた漠然とした不安の部分を、明確に突きつけられて光莉は沈黙した。

 しかしだからといって、それでこの心のモヤモヤが解決するわけではない。

 だからこそ、隣花もここにやってきたのだろう。不確定要素があるからこそ、実際に見に来ずにはいられなかったのだ。

 同い年の彼女はいつものように、非常にロジカルに言葉をつないでくる。


「湊は。自分が敵とみなした人間とは、徹底的に戦う覚悟がある。それは絶対に、自分の仲間を守るため。

 けどそれは裏返せば、『自分が身内だと思っている相手には、一切抵抗ができない』ということでもある。後ろから刺されたときが一番まずいのよ。あいつは」

「……そうね」


 これまでの彼の言動からして、恵那に対して強く出られないことは明白だった。

 だからこそ自分たちは、こうしてここにやって来たのだから。

 『本当の理由』は――まあここにいる全員、それだけではないのだろうけれども。

 少なくとも光莉は、副部長として部活の秩序を守るため、つまり具体的には不純異性交遊を未然に防止するため、今日はあの二人を徹底的に監視するつもりだった。

 そして同じく陰から声援を送る、恵那と同じ学年の後輩のことも――


「ゴーゴー恵那ちゃん! そこです、そこで手なんか繋いじゃったりするんです! ぎゅっといかなくても、小指の先だけ触っちゃったりなんかすると、むしろ逆に効果的かもしれませんね! さあさあ、こんな機会は滅多にありませんよ! 押して押して押しまくれば、落ちますよあの湊先輩は!」

「うわあ……」


 ゴシップ好きの一年生、宮本朝実みやもとあさみが目を輝かせてそう言うのを見て、光莉はため息をついた。

 そもそも今回の件の発端は、彼女が恵那を焚き付けたことにあるのだ。

 こちらも見張っておかなければ、予想外の行動に出かねない。

 携帯で直接指示を送るとかそういう反則技を使わせないためにも、朝実の方も気を配っておかねばならなかった。

 そんな風に何だかもう、色々とわけのわからないことになっているのだけれども――


「……とりあえずこの後輩は、思いっきり押さえつけておきましょうか」

「激しく同意」


 その点ばかりは固く志を一致させて、光莉と隣花はお互いにうなずき合う。


 かくして、部長と後輩のデート。

 さらにその行く末を見守るため、総勢七名の部員が跡をつけるという――

 川連二高吹奏楽部史上、最大の作戦が幕を開けることとなった。



###



 そして自分の背後が、そんなカオスなことになっているとは露知らず――


「……あのさ、野中さん。本当にこれでよかったの? 俺のメガネ選びに付き合うなんて」


 鍵太郎はメガネ屋の店内でフレームを選ぶ恵那に、申し訳ない気持ちでそう声をかけた。

 最近視力が落ちてきたのでメガネをかけようとは考えていたものの、それがまさかそのままデートコースに入るとは思っていなかったのだ。

 今日この日の段取りについて連絡を取り合った際、彼女はそれでいいと言ってはいたが。

 本当は映画館とか遊園地とか、そういう『ぽい』ところにすればよかったのではないか――

 そんな心配をする鍵太郎に、恵那が言う。


「大丈夫です。というか、これでいいんです。元々わたし、こういうの選ぶのは好きな方ですし」


 こちらの懸念をよそに、後輩は意外なほどはっきりと答えた。

 その言葉の通り、恵那は手を迷いなくテキパキと動かしている。

 そしてさっきからあれがいいのではないか、いやこちらのが似合うのではと、彼女は鍵太郎にいくつかメガネを出してきていた。

 そういえば曲のイメージを即答したり、学校祭のコンサートの宣伝看板を作ったりと、どこかセンスのあるこの後輩だ。

 本当に、こういったことが得意なのかもしれない。その証拠にさっきから恵那の選んでくるものはどれも的確で、こちらとしては大いに助かっている。

 むしろどれにしようか、こっちが迷ってしまうような状態で――普段のオドオドした調子とは打って変わってこんなに行動的な彼女を見ていると、どっちが先輩なのかという感じにもなった。


「先輩はメガネ、初めてなんですよね。ならあんまり顔の印象が変わらない方がいいのかな……。だったらふちなしで、でもちょっと知的な感じのがかっこいいだろうから、色は……」


 けれども、そうぶつぶつ言いながらも楽しそうにフレームを選ぶ恵那を見ていると――まあこれでもいいかな、と思ってしまったりもする。

 今回の目的は、この後輩の気が済むまで付き合うことだ。

 であれば、これでもよかったのだろう。

 そう思って鍵太郎が少しほっとしていると、恵那は新たに選んだフレームを差し出してくる。


「あ、それに……」


 と、そこで。

 彼女は少し顔を赤らめて、恥ずかしそうに前髪の間から見える瞳を潤ませながら――小さな声で言ってきた。


「だって……先輩がこれからずっと身につけるものを選べるなんて、わたしすごい幸せですもん」


 その言葉の破壊力に。

 鍵太郎は渡されたメガネを、そのままうっかり割りそうになった。

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