第235話 モテるための最大の秘訣

 そのを強引に手渡し、野中恵那のなかえなはダッシュで逃げ去っていった。

 無理もない。いつもの彼女の言動からすれば、そこが限界だったのだろう。

 好きな人に告白し、想いを伝えるなんてことは――などと。

 半ば他人事のように考えながら、湊鍵太郎みなとけんたろうは恵那の背中を見送っていた。

 すると。


「何が、どうなってるの……?」


 未だ事態が飲み込めないといった様子で、同い年の千渡光莉せんどひかりがつぶやく。

 それは無論、こっちだって一緒だ。


 後輩に、告白された。


 未だもってその実感のないまま、鍵太郎は渡されたピンク色の封筒を見た。

 先ほどの衝撃の告白と共に渡されたこのハートのシールが貼ってある封筒が、ラブレターでなくて何だというのだろう。

 呆然としつつも手の中にあるそれと、今しがた目にした恵那の背中を重ねてみる。

 あの引っ込み思案の後輩が、まさか自分に好意を寄せているなんて思いもしなかった。

 ましてや、こんな周りに大勢の部員がいる中でそれを告げてくるなんて――と、そんなことをぐるぐる考えていると。

 同じくその場で練習していた、浅沼涼子が言ってくる。


「とりあえず、開けてみたら?」

「そ、そうだな」


 その勧めに従い、鍵太郎はその可愛らしい外見のわりに、妙に厳重にノリ付けされた封筒を開けてみた。

 まずは、事実の確認が先だ。

 ひょっとしたらひょっとして、今のは何かの間違いで、誰かに仕掛けられたドッキリという可能性もあるのだから――と。

 そう思って文面を読んでみれば、そこには。


「……何て書いてあったの?」

「……次の日曜日、一緒に出かけませんか、って」


 光莉の声に、鍵太郎は簡潔にそう答えた。

 口にはしなかったが、さらにそこにはもう少し直接的に気持ちを伝える文章と、連絡先も記してある。

 恵那のことだ。もしも声も出なかったときに備えて、あらかじめこういったものを用意をしておいたのだろう。

 となれば、先ほどの告白は正真正銘、愛を伝えるものだったのだろうが――


「……」


 なぜか眉間にしわが寄ってきて、鍵太郎はそんな反応が出てきたことに、自分でも戸惑った。

 恵那が抱いていた感情を、素直に表せるようになった。

 それは、いいことだ。

 誰かが自分に、好意を寄せていてくれた。

 それも、とてもいいことなのだろう。

 なのに、この気持ちは――


「じゃ、じゃあ、何? それは、デート? デートのお誘いってこと?」


 と、そう思いつつ手紙をじっと見つめていると、光莉が慌てたように言ってくる。

 そう。これは彼女が言う通り、紛れもなくデートのお誘いだ。

 間違いない。そしてこういうときは、言われた当人より周りがざわつくものらしい。

 一緒にいた他の同い年たちも、光莉と同様、戸惑ったように顔を見合わせている。

 そして、そんな中で――


「……どうして、こうなったんだ」


 鍵太郎はうめくように言った。

 なのだ。突然すぎて、この先どうすればいいか、この誘いを受けるべきか断るべきかも分からない。

 すると、その言葉を待っていたかのように、混乱を断ち切るべく声があがる。


「その件は、わたしから説明いたしましょう!」


 その声の方を向けば――そこには恵那と同い年である一年生の宮本朝実みやもとあさみが、いつものようにその太い三つ編みを、元気に跳ねさせて立っていた。



###



「まずはですねー、恵那ちゃんはずっと、湊先輩のことが好きだったんですよ」


 それこそ、今年のコンクールの、あの一件以来ずっと――と。

 もう半年近く前からの想いだということを、朝実は先輩たちの前で堂々と言い切った。


「けど湊先輩は、何だか好きな人がいるって聞いてましたし。これは告白しても勝算は薄いかなと、わたしたちは考えていたわけです」

「ま、まあ、そりゃあの人のことは、宮本さんには話したけど……」


 卒業した、あの先輩が。

 春日美里かすがみさとが。

 未だ鍵太郎の中で、大きなポジションを占めていることは確かなのだ。

 以前この後輩に話したときのような執着めいたものはもうなくなったにしろ、それでもあの人のことを思い出すときは、心の中に他の人には向かない感情が湧き出してくるのが分かる。

 それが叶うか叶わないかは、別問題だとしても。

 まだどうにもできない気持ちは、どこかにあるのだ。こちらとしてはそう、思っていたのだが。

 朝実たちは、あの先輩のことを知らない世代だった。

 いや、正確には――


「でもその人は、卒業してから一回も、ここには来てないじゃないですか」

「……っ!」


 事実、あの二代前の部長は卒業以来、一度もここには来ていないのである。

 コンクールの手伝いとしても。

 学校祭の観客としても。

 今も楽器を吹き続けているあの人は、だからこそここに来ることができていない。

 それはあの人に、自身の『今』を大切にしてほしいからこそ出た、鍵太郎の願いでもあったのだが――知らないとはいえ痛いところを後輩に突かれて、こちらとしては返す言葉もなかった。

 なら届かぬ思いより、すぐ傍にある気持ちを。

 朝実たちがそう考えるのも、無理はないだろう。

 彼女たちは、あの人のことを知らない世代なのだから。


「だからもう行っちゃえ! ってなって。一年生のみんなで話し合ったんです。わたしたちは湊先輩のこと、尊敬してますから。先輩には、絶対幸せになってほしいって」

「それは……そりゃ、ありがたいことではあるけど」

「で、出た結論としてはきっとその人は、湊先輩の脳内だけに存在する、架空の恋人なんだろうということになりまして」

「ねえ君たち、ぶちょうのこと馬鹿にしてるの尊敬してるの、どっちなの!?」


 というか先輩たちが合同バンドでがんばってる最中に、君たちそんなこと考えてたの!? と、ひとつ下の後輩たちの何かちょっと歪んだ愛情を受けて、思わず鍵太郎は突っ込んだ。

 そういえば朝実が最近妙に大人しいと思っていたら、裏でそんなことを考えていたのか。

 道理で恵那が、あんな大胆な行動を取ったわけだ。

 一年生全員のバックアップを受ければ、それはあの気弱な彼女だって、思い切った真似をするだろう。

 というか黒幕は、ほとんどこの三つ編みメガネ後輩ではないか。そこでどことなく引退したバスクラリネットの先輩の影がちらついて、鍵太郎はため息をついた。朝実自身にその自覚はないのかもしれないが、それでも彼女もやはり、あの策士である師匠の因子を受け継いでしまっているらしい。

 あの黒魔女め、今度会ったら覚えとけ――

 とまあ、そんなことを考えられるくらいの、心の余裕はできたわけだが。


「千渡先輩も付き合ってないっていうことですし。他の先輩たちだって、仲はいいけど彼氏彼女の関係というわけでもなさそうですし? だったらもう、行くしかないだろうと。クリスマス前に、二人して恋人、ゲットです!」

「いやそんな、ボールを投げて捕獲するような言い方しなくても」


 しかしやはり突然後輩相手にそんな気にはなれなくて、鍵太郎は朝実に対してそう突っ込んだ。

 恵那のことは、それは確かに好きか嫌いかで言えば、好きだ。

 けれどそれはあくまで後輩としてであって、一人の女の子としてではない。

 というか――


「な、なあ千渡。こういうときって、どうすればいいんだ……?」

「はあ!? な、何でそんなこと、私に訊くのよ!?」

「だ、だって俺、今まで女子から告白されたことなんて、一回もないんだもん!? どう返事すればいいかなんて、そんなの全然わかんねえよ!?」

「はあ!? 一回も!? ……って、一回も? そうなの……?」

「心底不思議そうに言うな逆に傷つく! ああそうだよ一回もないよ! 俺は彼女いない歴イコール年齢の、どこにでもよくいる非モテ男子ですよ!? ああもう、どうすればいいんだこの状況!? 何これ!? 何なんだよこれ!?」

「ええー……?」


 あの健気な後輩の告白にどんな反応をしていいのか、正直全く分からないのだ。

 光莉が本気で驚きのリアクションをしているのが、何かとっても辛い。

 それなのに彼女は、改めてさらに傷口に塩を塗るようなことを訊いてくる。


「え、いや、あの……本当? あんた本気で、誰にも告白されたことないの?」

「あるわけないだろチクショウ!? むしろアレだよ、遠巻きに女子の集団に、なんかクスクス笑われたことならあるよ!? あれ絶対俺のこと馬鹿にしてるんだろ!? そんなやつが告白されたことなんて、あるわけないだろ!!」


 今日もそうだったが、クラスにいるときに数人の女子の集団からチラチラ見られて、笑われたことなら何度かある。

 その度に、何か自分が変なことをしてしまったのかと、怯えながら過ごしてきた。

 幸いにして彼女たちはそれ以上、こちらに何か言ってくるわけでもなかったので、特に何事もなく来たのだが――何もないとはいっても、単に笑われるというだけで、精神的には結構くるものがある。

 そのまま鍵太郎がえぐえぐと泣いていると、同い年の女性陣は少し遠くに行き、そこでヒソヒソと何かを相談し始めた。


「……どう思う?」


 あの天然スケコマシ野郎が、これまで誰からも告白されてないなんて、そんなことがあり得るのか。

 そんな光莉の問いかけに、それまで黙って話を聞いていた宝木咲耶たからぎさくやが、困ったように笑いながら言う。


「うーん。これまでの話と湊くんの言動を総合するに、推測だけどさ。湊くんて、昔から今みたいに、陰ではすごくモテるタイプだったんじゃないかと思うんだ」


 クラスで女子に笑われていたのは悪意ではなく、好意のため。

 はっきりとそれが伝えられなかったため、本人は大いに誤解しているようだが――これまでの彼の行動や気性からして、特に意識することなく、どこかで優しさを振り撒いていたのだろう。

 けれども。


「でもそれ以上は、誰も踏み込んでこなかった。それはたぶん湊くんの優しさに触れるような人は、そもそもそこまで積極的になれない人だったからだろうね。それかアタックしても、根本的に本人が自分はモテないって思い込んでるから、気づかずにスルーされるっていう」

「あー……なるほど。何となく分かったわ」


 何を言っても暖簾に腕押し、ぬかに釘。

 そうなると、これまで見てきた――そして自分が体験してきたのと似たような光景が想像できて、光莉は額を押さえた。

 そういったものが積み重なって、大半の者は思いを内に秘めたまま、遠くから眺めるだけで終わってしまっていたのだろう。

 だけど、恵那が告白してきた『今』は違う。


「状況が変わったのは、最近になって湊くんが変わったからだと思うよ。いろんな物を見て、全部を吸収して、覚悟を決めて――結果的に、かっこよくなっちゃった。だから直接的に来る子が出てきちゃったんじゃないかな」

「さらに一年生は、あいつと春日先輩が一緒にいた頃を見てないから、余計にブレーキがかかってないってことなのね……。いや、でも……一番『ない』って思ってた子がここまで詰めてくるのは、ちょっと予想外だったわ……」

「なんというか、モテるための最大の秘訣はモテようとしないことと見つけたりって、諸行無常だねえ」


 まるで禅問答だねえ、と最後だけどこかズレたことを言って、咲耶は半ば呆れたように笑った。

 こんなことになっても落ち着いていられる彼女も、また微妙に心理が読めないところがあるのだが――まあ今一番の問題は、こちらではない。

 アレだ。

 こいつが、あの後輩と付き合うかどうかなのだ。

 そう思って気を取り直し、光莉は鍵太郎に訊いてみる。


「……で? それはそれとして、あんたはどうなのよ。あ、あの子とデ、デートする気は……あるの?」

「……分からない」

「分かんないって、どういうこと!?」

「いやだって、ホラ!? 正直後輩とそういう感じになるのって、なんかマズいような気がするんだよ!?」


 数年前、この部活でもあったという、部員同士の恋愛のいざこざ。

 それによって退部者が出たことにより、巻き添えを食って傷ついたあのフルートの先輩のことを思うと、こちら方面に踏み出してしまうのは鍵太郎にとって相当気が引けた。

 この部活に入った当初、唯一いた男の先輩からも釘を刺されている。

 『もし部員の誰かで好きな子とかができても、付き合うな――とまでは言わないが、別れて部活辞めるとかはやめろよ。まわりにえらい迷惑がかかるんだ』と。

 そして、それ以上に――


「……それにさっき手紙を読んだとき、俺、思っちゃったんだよ。『せっかく部長になってこれからだってときに、邪魔すんな!』って……」

「……」


 何より自分自身が、誰かと付き合うことを拒否しているのだ。

 あの人の存在があるからではなく。

 自分は誰とも付き合う資格がないと思っていた、あの頃とも違って。

 部長として覚悟を決めてしまったからこそ――あの手紙を読んで、一瞬強烈な怒りが自分の中に荒れ狂ったことが、自分でも信じられなかった。

 しかも相手はあの、野中恵那だ。

 彼女に対してそんな感情を持ってしまったことには、罪悪感すらある。

 付き合うということは基本的にない。

 だがすげなく断ってしまうのも、ただでさえ敏感なあの後輩に、深いショックを与えそうな気がして嫌だった。

 それで部活を辞められでもしたら、部長としても鍵太郎個人としても、大いに困る。

 だったら一度だけでも、一緒に出かけてみるか。

 いやしかし、それをやってから断るのも、逆に彼女の傷を大きくしそうな気がして――などと、そんな葛藤をする自分を。

 光莉は、無言で見つめていた。

 自分がとても、最低なことを言ってるのは分かっている。

 けれども、どうあってもなるべく恵那にかかる負担は減らしてやりたかった。

 だからこそ鍵太郎は、そんな同い年にこの状況の打開策を訊いてみる。


「なあ、千渡、教えてくれないか。女の子って、どうすれば告白を断っても、ショックを受けないでいられる?」

「あんたって最低」

「分かってるよ!? だからこうやって訊いてるんだろ!?」

「あんたって最低!」

「二回言うなよ!?」


 大切なことだから二回言いました――と言わんばかりに、光莉はプイッとそっぽを向いてしまった。

 頼みの綱である女性陣の一人からすげない態度を取られ、鍵太郎はどうしたものかと他の面子を見る。

 だって今回ばかりは、本当にしょうがないのだ。

 付き合った経験も告白された経験もない自分には、彼女たちの意見だけが信じられるよすがである。

 だが咲耶はいつもにも増して仏様のような笑みを浮かべているし、涼子に至っては事の重大さが分かっていないのか、きょとんとした顔をしていた。

 これはもう本当に、どうすればいいのか。

 ある意味でこの部活に入って、最大のピンチと言っても過言ではないだろう。

 頭を抱える鍵太郎に対し、それまで先輩たちのやり取りを見ていた朝実が言う。


「まあまあ先輩。そんなに重く考えなくても、大丈夫ですよ」

「そうなのか……?」

「はい。恵那ちゃんにも言ってあります。とりあえず二人で一緒にお出かけしてみて、そこから決めても別にいいのではないでしょうか。断るにしても何もないよりは、何か一回あってからの方が、恵那ちゃんもじゃあしょうがないかなって思えるでしょうし」

「そっか、そんなもんなのか……?」


 女心は分からない。

 しかし後輩の言うことには一理ある――ような、気もする。

 なおかつ恵那が了承済みとあれば、こちらとしても彼女たちの話に乗った方が、事は上手く運ぶだろう。

 どうも朝実の意図に乗せられている感はあるが、今回はそうするより他に手がなさそうだった。


「わ、わかった。じゃあ、とりあえず一緒に……出かけて、みるか」


 デート、という単語はあえて使わない。

 しかし事実上限りなくそれに近いものに、自分はこれから立ち向かわなくてはならないのだ。

 果たして、上手くいくのだろうか。

 いや、上手くいったら上手くいったで、それは非常に困るのだが――などと悶々としながら、鍵太郎はそこを後にする。



###



 そして――


「……どうする?」


 その場には光莉と咲耶、そして涼子が残された。

 あの様子を見るに、万が一にもなさそうだが――あのお人よしのことだ。

 そのまま付き合ってしまう、という可能性も捨てきれない。

 咲耶は相変わらず生暖かい笑みを浮かべているが、光莉はどうにも漠然とした不安が拭えないでいた。

 あの二人が、並んで歩いている様が頭に浮かぶ。

 そのまま――と考えてしまって、どうしよう、どうしようと光莉が落ち着きなく辺りをウロウロしていると。

 そこで涼子があっけらかんと、思っていることを口にする。

 それはあまりにも無粋といえば、無粋で。

 しかしそれが故に誘惑に満ちた――禁断の、甘い一言だった。


「見に行っちゃえばいいじゃん」


 かくして。

 部長と後輩によるデート。

 及びそれより多い人数での尾行という、川連二高吹奏楽部始まって以来の大作戦が決行されることとなった。

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