第224話 噛み合わない二人たち

「凄い……」


 と合同練習の最中、柳橋葵やなぎはしあおいは前で指揮をする先生を見てつぶやいていた。

 川連第二高校の外部講師の先生は、自分の学校の顧問の先生と何かがまるで違っている。

 腕が普段より自由に動く。

 音程もいつもより格段に取りやすい。

 プロだから当たり前、といえばそうかもしれないが――人が変わるとこうまで変わるのか、と思いながら葵は自分の楽器を弾いていた。

 相手の学校の生徒たちが加わって安定したということもあるけれど、今回は最初の合同練習の時より、さらにできている気がする。

 それはおそらく、この先生のおかげであって――

 だからこそ、今日の一番初めにトランペットへ指摘が飛んだときは、ドキッとしたのだ。


『トランペット、もっと音を寄せようか』――。


 そう言われたことからしても、こちらの学校の統率が取れていないことは、既にこの先生にはバレてしまっていているのだろう。

 よくよく聞けばこの瞬間も、トランペットの音はどこか『うるさく』感じられて、部長たる葵としてはどこかに穴があったら入りたくなるくらい恥ずかしい。

 しかしこの問題を自分の学校の先生に話しても埒が明かないことは、ここ最近の話し合いから明らかで――ならば。


「直接、注意するしかないのかな。やっぱり……」


 その原因になっている部員に、言うべきことを言うしかないのかと、葵はため息をついた。



###



「で、どうだった? トランペット」


 今日の練習が一段落したところで、湊鍵太郎みなとけんたろうは同い年のトランペット担当、千渡光莉せんどひかりにそう尋ねてみた。

 前回の練習で、彼女は相手の学校と演奏していて、何かが引っかかると言っていたのだ。

 さらに今日は練習冒頭で、「もっと音を寄せろ」と言われてもいた。

 そこまであったのなら、今回の練習でその引っかかりの謎を解く、手がかりが掴めたのではないか――そう思い、鍵太郎は光莉に訊いてみたのだが。

 こちらの問いに彼女は辺りを見回し、ある一点を確認すると声をひそめて、答えてくる。


「……なんとなくだけど、たぶん、私とあいつが合わないんだと思う」


 その言葉に鍵太郎が、光莉が目で指した方を見れば――

 そこには、相手の学校でトランペットを担当する女子部員がいた。

 少し茶色がかった長めの髪に、気の強さを伺わせるようなつり目。

 名前は流石に分からないが、彼女も彼女で合同バンドの相手、薗部そのべ高校のトランペットの一番トップを吹く部員だったはずだ。

 視線を戻して話の続きを促すと、光莉は渋い顔で言う。


「あの、向こうの学校のトランペット……戸張とばり、っていったっけ? あいつとどうも、ソリが合わないのよね。単なる相性なのかもしれないけど、それにしては一緒に吹いてて、なんかムカつくというか」

「ムカつくて」


 あまりに取り付く島もない言いように、鍵太郎としては思わず突っ込んだのだが。

 光莉はそれどころではないようで、わしゃわしゃと頭をかきながら続けてくる。


「ディズニー系の曲は高音が多いし、テンションも高めにいかなくちゃいけないから、お互い余裕がなくて合わないのかなとも思ったけど……どうも、そうでもなさそうなのよ。こっちだって先生の言う通り、寄せようとはしてみたわよ? でも、どうしても合わないの。向こうが寄せてくる感じも、特になかったし……。なんていうか、隣にいてすごく吹きにくい」

「……そうか」


 トランペットの首席奏者は、責任重大。

 その音はバンド全体に影響すると、だいぶ前にだが光莉自身が言っていたことがある。

 しかしお互いの学校のトップ奏者同士が合わないとなれば、その影響は甚大だ。

 下手をすれば演奏そのものが分裂しかねない。演奏においてもオーディションの合否においても、それは見過ごせない点になる。

 どうにかならないものか、とは思うものの――光莉ほどの腕ともなれば、普通だったら合わせようとすれば何とかなるはずだ。

 それでも上手くいかなかったとなれば、これはもう相手の学校の部長へ、相談すべき案件になるのかもしれない。

 鍵太郎がそんなことを考えていると、今度は違う人物が声をかけてくる。


「そんなこと言ってないで。なんとか合わせなさいよ」


 振り返って言ってきたのは同じ学校のホルン担当、片柳隣花かたやなぎりんかだ。

 小さな声で話していたつもりだったが、それでも近くにいた彼女には聞こえていたのだろう。

 トランペットの目の前で吹いているホルンは、光莉の苦戦する様を間近で聞いているはずだ。

 だからこそなのかどうなのか、隣花は同い年に対して厳しい言葉を投げてくる。


「千渡。あんた向こうの学校のやつに、高音で負けてるでしょう。合うとか合わないとかじゃなくて、あんた自身がもっとしっかりすればいいだけの話じゃないの」

「なあ……っ!? あんたこそ、パフォーマンスになるとやたらぎこちないの、こっちからは丸見えなのよ!? あのロボットみたいなギシギシの動き、そっちこそなんとかしなさいよね!?」

「……なによ」

「なんなのよ!?」

「あーもう、ケンカすんな二人とも」


 中学からの経験者同士であるこの二人は、以前からこんな風になにかにつけ衝突することが多かった。

 それをいつものように仲裁しながら、鍵太郎はこれからどうすべきかを考える。

 彼女たちのようにプライドも、それまでの経験もあるだろうけど――人が合わないと、音も合わないのだ。

 そこをなんとかしなければならないが、今回の相手は、違う学校の生徒になる。

 他校の部長であり、楽器も違う自分が直接出て行くのはどうにも筋違いではあった。


「……やっぱり、柳橋さんに相談してみるしかないのかなあ」


 しかし光莉の言うように、向こうに寄せてくる気配がないとなると少々、厄介なことになる。

 あの腰の低い部長と、その戸張という部員が、目の前の二人のように正面から言い合えるかと聞かれれば――

 それはなかなかに難しいことではないかと、こちらとしては思えるからだ。



###



「あ、あの……櫂奈かいなちゃん」


 そして、そんな鍵太郎の心配をよそに。

 葵は帰り道、戸張櫂奈とばりかいなに遠慮がちに、それでも声をかけていた。

 振り返る同い年の眼差しの強さに、一瞬ビクリと身を竦めるも――彼女は言わんと決めていたことを、言葉をつかえさせながら、なんとか口にしていく。


「あの……さ。今日、向こうの先生にも言われてたけど……もうちょっと、川連二高さんの他のトランペットの人に、音を合わせた方がいいんじゃないかな。そうじゃないと、演奏まとまらないし……」

「はあ? あんた何言ってんの?」


 ほぼ予想通りではあったが、眉を寄せて言い返してくる櫂奈に、葵はぐっと声を詰まらせた。

 しかし一応は心の準備はできていたことが幸いし、そのままその場に踏みとどまる。


「こ……こないだ櫂奈ちゃんは、『やりたいようにやればいい』って言ってたけど……それは、違うよ。そりゃ、櫂奈ちゃんは思いっきり吹けて楽しいのかもしれないけど……それで周りの人の音を潰しちゃ、ダメだよ。だって、それじゃ……」


 それは『ほんとうに楽しいこと』ではない。

 自分勝手、と言うべきものだ――と。

 そこまでは強く言えなくて、葵が口を濁らせると。


「何? あんた部長だからって、偉そうなこと言ってんじゃないわよ」

「部長だからとか、そういうんじゃないよ……っ。だって、このままじゃ……!」

「じゃあ何!? 私に向こうのやつに合わせろって言うの!? あっちが私に合わせればいいんでしょ、なんで私がレベルの低い方に合わせなきゃいけないのよ!?」

「レベルとか、そうじゃなくて……! 自分が楽しむんだったら、周りのことも考えてあげないと!! じゃなきゃ櫂奈ちゃんだって、本当に楽しくなんかないんじゃないの!?」

「あんた、言わせておけば――私が間違ってるっていうわけ!?」

「まあまあ。まあまあー」


 売り言葉に買い言葉のようになってしまい、一触即発となった空気に割って入ってきたのは――薗部高校のファゴット担当、植野沙彩うえのさあやだった。

 彼女は場の雰囲気にそぐわないほどの、おっとりとした笑みを浮かべ、二人に言う。


「櫂奈ちゃんも葵ちゃんも、ストップストップー。そのまま続けたら、まとまるものもまとまらないよ。はい、クールダウン、クールダウンー」

「沙彩……」

「……ふん」


 その気の抜けた言い方に、葵は我に返り、櫂奈は鼻を鳴らして。


「……くだらない」


 吐き捨てたトランペット吹きは、呆れたようにその場から立ち去ってしまった。

 それ引き止めることもできず、後ろ姿を見送って、葵は沙彩に尋ねる。


「沙彩……なんで止めたの? この先なにか、考えてることがあるの?」

「ないよー」

「ノープランなの!?」


 友人の衝撃の返答に、葵は目を剥いた。

 だがそれから続けられたセリフに、改めて事の重大さを思い知らされる。


「でもねー、櫂奈ちゃんがどうしてあんなこと言うのか、それは知りたいなって思って」

「それは……」


 同い年の言葉に、葵はハッとして先ほどの言動を振り返った。

 確かにさっきの自分は櫂奈の行動を注意するだけで、その裏で彼女が何を感じているのかまでは、考えてもいなかったのだ。

 ひょっとしたら彼女は彼女なりに、思うことがあって楽器を吹いていたのかもしれないのに――


「……沙彩。私、部長失格だね」


 結局自分は、周りのことを考えろと言いながら、部員に意見を押し付けていただけだった。

 あんな偉そうなこと言って、申し訳ないことをしてしまった――そう思って落ち込む葵に、沙彩が声をかける。


「そんなことないよー」


 葵ちゃんだって一生懸命やろうとしたから、こういうことになったんでしょ。

 そう言う友人に、今までにないものを感じて、葵は首を傾げる。


「……ねえ、沙彩? あなた、何かあった?」

「ん? まあ、何かあったといえば、あったけどさ」


 とりあえず、今はそのことは置いといて、と沙彩は笑う。


「きっと大丈夫だよ。櫂奈ちゃんのことだって、なんとかなるよ」


 不思議と存在感のある、そんな友人の声を聞いていると――

 だってさ、と沙彩はこれまでとは違った、どこか芯のある声で続けてくる。


「今は聞こえなくたって、分からなくたって。葵ちゃんがここにいて、何かを言うことは――どこかで、誰かの役に立ってるんだから」



###



 そんな風に生徒たちが、悪戦苦闘している中で。


「素晴らしいご指導でしたわ! うちの学校もぜひ来ていただきたいくらいです! とても参考になりました!」

「……はあ」


 薗部高校の顧問、西宮にしのみやるり子と、川連第二高校の外部講師である城山匠しろやまたくみは、噛み合わない握手を交わしていた。

 西宮は今日の練習を見て、城山の指揮の中で気がついたことがあればメモをしていたのだろう。

 そのメモ帳を握り締め、彼女は目に炎を燃やし心のままを叫ぶ。


「これで我が校も、かつてのような栄光を取り戻せます! 常勝軍団、薗部高校! その第一歩を、ここから踏み出すんです!」

「ああ、それでですか……」


 対して城山はそんな西宮の態度に、何かが腑に落ちたといった様子でうなずいた。

 今日の合奏の中にあった、妙な違和感。

 その解決策に、一足早く辿り着いた指揮者は――何かを懐かしむように、困った顔をして笑う。

 そして彼は相手方の顧問へ、声をかけた。


「あのー、ちょっとよろしいでしょうか」

「はい?」


 振り返る西宮に、どこか苦いものを含めて、城山は慈しむように言う。

 まるで、かつての自分に言い聞かせるように――。


「僕もあまり、人のこと言えた義理ではないんですけど……。生徒さんたちのこと、ちゃんと『見て』あげてくださいね」

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