第55話 生存に適さない個体



 職場の後輩のT子はとても変わっている。

 まず、尋常じゃない冷え性で、すれ違っただけで冷気を感じる。

 日光や暖房器具を恐れるようすが、まるで雪女のようだとからかわれていた。

 それ以外のことは普通で、容姿も十人並みだ。性格が悪いわけじゃないから嫌われてもいない。


 あるとき、会社の送別会があり、文緒は最寄駅が同じだったため、T子と帰り道がいっしょになった。

 二人とも酔っていたので、なぜそんな話になったのか覚えていないが、ひとけの少ない歩道で、T子が言いだした。


「辻浦さんは、ロウソクの話、知ってますか?」

「ロウソク?」

「ほら、人の寿命は決まってて、一人ずつ自分の名前のついたロウソクを持ってるんだって」

「ああ……」


 その話は聞いたことがある。

 有名な怪談だ。

 冥界に迷いこんだ男がたくさん飾られたロウソクを見て、これは何かと問うと、人の寿命だと言われる。自分のロウソクを探すと、今にも消えそうなちびたロウソクだった。怖くなった男は一番長いロウソクと自分のロウソクをこっそり交換した……そんな話だ。

 たしか、小泉八雲の話じゃなかっただろうか?


「その話がどうかした?」

「じつは、わたし、子どものころから、その夢をよく見るんです。いちめんに火のついたロウソクを立てた変な場所を一人で歩いているんですけど」

「うん」


 なるほど。不思議ちゃんアピールか。

 と思ったが、T子の顔は真剣そのものだ。いつのまにか酔いもさめているようだ。


「ロウソクを立てたスタンドには、一つずつ名前が書かれているんですよね」

「燭台のことね」

「そう。それです。わたしもロウソクの話は知ってたんで、自分の名前を探してみたんですよ。わたしの名字めずらしいじゃないですか」

「うん」


 たしかに、T子の名字は日本全国でも数軒しか使われていない珍名さんだ。同姓同名はほぼ百パーセントないと断言できる。


「それで、見つかったの? 自分のロウソク」


 聞くと、T子は暗い面持ちでうなだれた。


「見つかりました。でも、おかしいんですよ」

「何が?」

「ほかの人のはみんな、長いのや短いのはあるけど、ちゃんとロウソクなのに、わたしだけ、違うんですよ。アイスなんですよね」

「アイス……」

「アイスキャンディーです。棒状の氷菓子。ファミリーパックくらいの小さめのやつが、棒の部分を上にして置かれてるんです。棒に火がついてて、アイスだから、ものすごい速さで溶けていくんですよ……」


 文緒は思わず、ふきだした。

 一人だけアイスだなんて、その光景を想像したら笑えてくる。


「ただの夢だよ。そんなの気にしない」

「そう……ですかね? それならいいんだけど……でも、わたし、子どものころから、すごく事故にあいやすくて、大きな病気もしたし、手術や入院を何回もしてるんですよ。十回以上。もしかしたら、人より寿命が短いせいなのかなと」


 病弱だというウワサは聞いていたが、そこまでひどかったとは。

「たまたまだよ」とは言っておいたが、ぐうぜんにしては頻度が高いなとは思った。


 話しながら駅についた。

 構内へ入っていく。

 遅い時間なので人影はまばらだ。

 ホームへの階段をくだりながら、T子はまだ話し続けている。


「それで、ずっと試してみたいことがあるんです。ただの夢なら、それでいいんで。怪談でも男は自分のと他人のロウソクをとりかえるでしょ?」

「でも、あれってたしか、とりかえたのが自分の子どものロウソクで、後悔することになったんじゃなかったっけ?」

「自分の家族なら悔やみますよね。でも、赤の他人ならそんなに悲しくないし、自分の手で殺すわけじゃないですから」


 T子の口調がだんだんネットリしてきて、文緒は閉口した。たかが夢の話とは言え、そんなふうに思考するタイプだとは思っていなかった。意外と芯は冷たいのかもしれない。


 階段をおりきった。

 プラットホームについても、T子はとうとうと語る。


「だから、誰かのロウソクとわたしのアイスをとりかえてしまおうと思ったんです。でも、完全に見ず知らずの人だと、ただの夢なんだか、それとも意味のあることなのか判断できないじゃないですか。なので、結果がわかるといいなぁと。わたしが知ってる誰かの名前の刻まれたロウソクなら、効果があれば一発でわかるでしょ? ありきたりの名前だと、ぐうぜんってこともあるかもだし、わたしみたいに珍名さんならいいんじゃないかって」


 そう言って、T子はギラギラした目で文緒を凝視する。


「辻浦さんも変わった名前ですよね。女の人で“ふみお”って少ないだろうし。あっ、燭台にはフルネームと性別が書かれてるんです」


 文緒はゾッとした。

 この女は自分が生きるために文緒を犠牲にするつもりだ。


 すると、T子は急にヘラヘラ笑った。


「何そんなに怖い顔してるですかぁ。夢の話ですよ。夢のなかのことが、ほんとになるわけじゃないですから」


 笑いたてるようすに、むしょうに腹が立った。


「この前からいっしょうけんめい探してるんですけどね。これが、なかなか見つからないんですよ。なにしろロウソクの数が多くて。もう、わたしの命のつきるのが早いか、わたしが身代わりを見つけるのが早いか、競争? みたいなねぇ」


 ゲラゲラと笑いつつ、T子はホームの端を歩いていく。遠くには近づいてくる電車の明かりが見えていた。


 そのときだ。

 文緒たちの前をものすごい千鳥足のおじさんがヨタヨタしていた。こんなに酔っぱらった人は初めてみる。

 T子は妙なスイッチが入ってしまったのか、気持ち悪いくらい上機嫌で、自分の腕や足の大きな傷を見せながら、おじさんのよこを通る。


「ほら、この傷。小学三年のときに鉄棒から落ちて骨折したやつ。こっちのは幼稚園のときに飲酒運転の車につっこまれたやつ。ほかにもいっぱいあるんですよォー!」


 電車のヘッドライトがまぶしい。

 ホームの間近に迫り、じょじょにスピードを落としている。だが、まだけっこうな速さがある。


「ほらほら、胸なんて半分えぐれてるんですよ? これは中学のときの事故だったかなぁ」


 言いながら、T子は泥酔したおじさんを追いこした。


 文緒はすかさず、おじさんにぶつかった。おじさんはよろめいて、尻もちをつきながらT子をつきとばした。


 一瞬、T子の姿がまぶしい光のなかに浮かびあがる。

 白光のなかにぼやけた輪郭は、まるで溶けかけたアイスキャンディーのよう……。



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