第54話 麦わら帽子



 子どものころ、文緒は麦わら帽子を買ってもらったことがある。赤いリボンがついていて、とても可愛かった。

 嬉しかったので、友達のA子ちゃんのお見舞いに行くときにもかぶっていった。


「A子ちゃん。ぐあいはどう?」

「うん。今日はいいよ」

「夏休みまでに治る?」

「わかんない」


 文緒は病名を聞かされてなかったが、なんだかとても難しい病気のようだった。A子ちゃんは長らく学校も休んで入院していた。


「そっか。じゃあ、おばあちゃんの家から帰ってきたら、また来るね」

「文緒ちゃん。おばあちゃんちに行くの?」

「うん。田舎だから、泳いだり、虫をつかまえたり、朝顔を育てたりするんだ」

「ふうん。いいなぁ。わたしも元気になったら行ってみたいなぁ。文緒ちゃんみたいに麦わら帽子をかぶって、走りまわりたいなぁ」

「うん。来年はいっしょに行こうね」


 約束して別れた。

 それからすぐに夏休みに入り、文緒は祖父母の家に遊びに行った。毎年、夏休みになると一、二週間、泊まるのだ。イトコも来るし、とても楽しかった。


 海にも山にも近い地形なので、毎日、海水浴をしたり、山をかけまわったりした。お気に入りの麦わら帽子が大活躍だ。野原で遊ぶときには必ずかぶっていった。


 そんなある日のことだ。

 昼ごはんを食べたあと、いつものように外でかけまわり、喉が渇いたので、三時くらいに祖父母の家に帰った。


「お帰り。スイカがあるよ。食べるかい?」

「うん。食べる」


 祖母が冷やしたスイカを切って、運んできてくれた。文緒は麦わら帽子を縁側の上に置くと、イトコたちと競うようにしてスイカを食べた。誰がいくつ食べたとか、誰それのほうが大きいとか、そんな会話すら楽しい。


 文緒はかるく塩をふりながら、ふと自分のよこに置いた麦わら帽子をながめた。とくに音がしたとか、何かの気配を感じたというわけではなかった。自然にまわりを見ているとき、たまたま視界に帽子が入っただけだ。


 しかし、目の端でそれをとらえたとき、文緒はなぜか、ゾッとした。

 そこにあるはずのないものが見えたような気がした。

 なんとなくたしかめるのが怖い。

 でも、このまま、たしかめないのも怖い。


 文緒は思いきって、そろっと視線をおろした。麦わら帽子がそこにある。さっき自分が置いたままだ。

 いや、違う。よく見れば帽子が少し床から浮いている……?


 じっと見つめていると、帽子はゆっくり持ちあがってきた。

 そして帽子のつばの下には、女の子の顔があった。

 すうっと浮かびあがり、あごの下まで現れてから、ふたたび音もなく沈んでいった。


 文緒は声をあげることもできず、硬直していた。

 妙に黒くてわかりにくかったが、今の顔はA子ちゃんだったような?


「ごちそうさま! 遊びに行ってくる」

「ふみちゃん。行こう」


 イトコたちが言うので、文緒は我に返った。


「う、うん……」

「帽子かぶらないと、日射病になるよ」


 言われても、帽子にさわるのがイヤだ。その下に何があるのか確認したくない。

 グズグズしていると、イトコが帽子を手にとった。そこには何も隠れていない。ただ縁側の板の間の床があるだけ……。



 *


 半月後。

 学校へ行った文緒は、A子ちゃんが夏休み中に亡くなっていたことを知った。

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