第39話 幸運の櫛
最寄りの駅で、買い物帰りにアンティークショップの前を通りかかった。いつもウィンドーに西洋の人形やガラスのランプが置かれていて、いつかはなかをのぞいてみたいなと思っていた。
今日は時間もあるし手荷物も少ない。
ちょっと寄ってみようと思った。
もちろん、買う気など、さらさらない。
だが、店内を見てまわるうちに、ふと目に止まるものがあった。象牙でできた
その櫛を見たとたん、なぜか、どうしてもそれが欲しくてしかたなくなった。
「これ、いくらですか?」
ずいぶん高いのかと覚悟していたが、聞くと、意外にも、
「二万五千円です。税込ですよ」
買えなくもない値段だった。
「じゃあ、ください」
今日買う予定だった服をあきらめれば、そのくらいはなんとかなる。
次の同窓会に着ていくために、こぎれいな服を買うつもりだったが、まあ、持ってる服を着まわしすればごまかせる。
「お客さん。いい買い物をしましたね。これは幸運の櫛です」
「そうなんだ」
店主の包んでくれた櫛をカバンに入れて、文緒は浮き浮きしながら家路についた。
家に帰ると、さっそくあの櫛を包みから出してみた。
だが、なんだろうか?
お店のなかで見た弾むような心地がなくなっている。そのかわり、胸の奥に鉛のような重積をおぼえた。なんだか気分が沈む。
それでも思いきって、櫛で髪をなでてみた。が、スッとすくと、たった一度で櫛の歯の根に十数本もの髪がぬけて、からみついていた。痛みはない。でも、もうひとさしすると、さらにたくさんの髪が。どうにも普通じゃない。
わけもなく怖くなって、文緒は櫛をドレッサーの引き出しにしまいこんだ。
二週間後、同窓会へ行った。
ひさびさに会った地元の高校のクラスメートたち。
そのなかにはAもいた。
彼女の指にはダイヤモンドの指輪が輝いている。同じクラスメートのBくんと結婚したのだという。
じつは、Aは高校のころ、文緒の親友だった。そしてBと文緒はそのころつきあっていた。でも、高校卒業まぎわになって、Bから別れを告げられたのだ。
今日、初めて知った。
Bとのなれそめを聞かれて、頬を染めながら嬉しそうに話すAの口から。
AとBがつきあいだしたのは、高校卒業前だったことを。
つまり、Bは文緒とAの二股をかけていたわけだ。
しかもAだって、Bと文緒がつきあっていることは知っていた。親友の彼だと知っていて奪ったわけだ。
どおりで、高校を卒業したとたん、Aからの連絡がとだえた。文緒が遊びに誘っても、そのたびに理由をつけて断ってきた。文緒からBを盗んだという認識がしっかりあったからだ。
悔しくて涙がこぼれそうだったが、他のクラスメートの目があるので、それだけはかろうじて耐えた。トイレにかけこんでハンカチをとりだそうとしたとき、文緒はギョッとした。なぜか、あの櫛がバッグに入っていた。ドレッサーの引き出しから出したおぼえなどないのに……。
そのとき、トイレのドアがひらいて、Aが入ってきた。鏡の前に立つ文緒を見て、一瞬、戸惑いの表情を見せた。が、Aの視線が文緒の手元に流れ、そこで止まる。Aが魅入られたように文緒の持つ櫛をながめている。この櫛が欲しくてたまらないのだ。あのアンティークショップで、文緒が最初にこの櫛を見たときのように。
「Aちゃん。結婚、おめでとう。教えてくれないから、ぜんぜん知らなかった。よかったら、これ、結婚祝いに受けとってくれる?」
櫛をさしだすと、Aはいぶかしむような顔をしつつ、それを手に入れたいという欲求を抑えきれないようだった。
欲張りのA。
親友の彼をとるような女だから、もちろん我慢なんてできない。
「いいの? ほんとに?」
「うん。ラッピングしてなくてごめんね。知ってたら、キレイにしてきたんだけど。でも、アンティークショップで、そこそこの値段で買ったから、けっこういいものだと思うよ」
「わあっ、ありがとう。文緒。この櫛、大事にするね」
Aに櫛を渡してトイレを出た。
なぜか、気分が高揚していた。
*
数日後。
先日、同窓会で旧交をあたためたCから電話がかかってきた。高校のころはAと文緒とCの三人で行動することが多かった。以前のグループの一人だ。
「ねえ、文緒。Aのこと聞いた?」
「Aがどうかしたの?」
「それがさ。昨日の夜、とつぜん亡くなったんだって!」
「えっ? なんで? 事故?」
「そんなんじゃないの。わたしもDから聞いたんだけどさ。このごろ、A、急におかしくなっちゃったんだって。毎日、鏡の前に張りついて、ずっと髪をとかし続けて。いっぱい髪がぬけて、頭皮も傷だらけになって血みどろになっても、まだ櫛を離さなかったって。それで、最後にはほとんど髪なんて残ってない頭を櫛で刺しながら、窓から飛びおりたって聞いた。ほら、Aたちの新居ってマンションの最上階だから」
「へえ。そうなんだ。それじゃ、Bさんも嘆いてるだろうね」
「Bさんはショックのあまり倒れて入院したらしいんだけど、もしかしたら助からないんじゃないかって」
「ふうん。かわいそうに」
「ふうんって、文緒、あんた、高校のころ、Bさんとつきあってなかったっけ? 冷たいなぁ」
「うーん、昔のわたしって趣味悪かったんだ。今、見ると、ぜんぜん、いい男じゃないよね」
「そうだね」
世間話をしたあと電話を切った。
気分は晴れ晴れ。
心地よい。
やっぱり、あれは幸運の櫛だったのだ。
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