第19話 白くなる
朝、目を覚まして鏡をのぞいた文緒は、目を疑った。
髪が、真っ白なのだ。
文緒はまだ二十五歳。
白髪になるには早すぎる。
それに、たった一晩ですべての髪が純白になってしまうなんて、そんなことがあるだろうか?
あまりのことに、しばらく呆然とした。もちろん、夜、ベッドに入って寝るまでは普通に黒かった。なんで、こんなことになってしまったのだろう?
髪は真っ白なのに眉毛は黒いままなので、なんだか異様だ。
とりあえず、会社には風邪と偽り休暇を願いでた。こんな頭で職場になんて、とても行けない。
しかたなくニット帽をかぶってコンビニへ行くと、ヘアカラーを買ってきた。病院へ行こうという考えは念頭になかった。体のどこかが痛いわけではなかったからだ。それに、突拍子のない事態で、現実に起こっている実感がわいてこない。
髪を染めると、いちおう、見ためは元に戻った。これなら明日は出社できる。
安心して、文緒は眠った。
ところが、翌朝。
起きると、今度は眉が白くなっていた。
いったい、なんだというのか。
白くなるなら昨日なっていれば、髪といっしょに染めたのにと、むしろ憤りを覚える。
しかし、どっちにしろ、これでは会社に行けない。二日めともなると、課長に電話をかけるのも、なんだか気がひけた。
「課長。すみません。今日も、その、ぐあいが……」
「インフルじゃないだろうね? 病院に行ったのか?」
「いえ、ただの風邪のはずですが、熱が下がらなくて……」
「時期も時期だし、ちゃんと病院で診てもらいなさいよ?」
「はい。すいません」
電話を切ったあと、文緒はため息をついた。明日は絶対に出勤しなければ、課長に嫌味を言われてしまう。
昨日の残りの白髪染めで、眉毛も染めた。これで明日は会社に行けるはずだ。
いくばくかの不安を抑えつけるようにして眠りについた。
翌朝……。
恐る恐る鏡の前に立った文緒は、ぶるぶる、体がふるえてくるのをどうしようもなかった。
白い。
右目が——
黒目の部分が消えてしまったように、白目と同化している。
ギャアアアッというカラスの鳴き声のような悲鳴が自分の口からあがるのを、文緒はどこか他人事のように聞いた。
おそらく失神したのだと思う。
気がつくと、かなりの時間が経っていた。電話が鳴っていたような気もするが、文緒は何もすることができなかった。暗い部屋のなかで、じっと小さくなって、ふるえていた。
闇が怖い。
いや、朝が来ることが怖い。
明日も朝になれば、体のどこかが白くなっているのだろうか?
窓の外が薄明るくなってきて、鳥の声が聞こえてきた。安堵したのか、少しのあいだ、うたたねした。目が覚めたときには、すっかり明るくなっていた。
文緒は勇気をふりしぼって、洗面台の鏡の前に立った。そこまで歩いていくのに一時間以上のためらいがあった。
ようやく鏡をのぞく。
右目は、やっぱり白い。白内障の人のように水晶体が濁っているわけじゃない。白目と同じ“白”なのだ。
しかし、左目は黒かった。
右目も見た感じ白いのだが、視力はあるようだ。とくに視野がせばまった感覚もない。
全身をくまなく観察したが、白くなっているところはないようだった。服も脱いで調べた。異常はない。
ほっと、文緒は息をついた。
そのとたん、呼吸をするのも忘れるほど、恐怖に凍りついた。
口のなかが、白い。
文緒はわけがわからなくなって泣きわめいた。
もうヤダ。
なんで、こんなことに。
なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで……。
このまま白くなり続けたら、自分はどうなってしまうんだろう?
白くなって、白くなって、白くなって、全身の色素がぬけおちてしまったら?
文緒はヘタヘタと床にしゃがみこんだ。
もう何も考えられない。
ただ、いくつかの未来が走馬灯のように脳裏をかけめぐった。
*
結末 1
全身真っ白になった文緒は、雪のように崩れ、溶けてしまった。
結末 2
全身真っ白になった文緒は、白を通りこし透明になって、誰からも見えなくなった。
結末 3
全身真っ白になった文緒は、ぶよぶよの化け物になった。
結末 4
全身真っ白になった文緒は、心を病んで自分を切り裂き、血が赤いことに歓喜して失血死した。
結末 5
全身真っ白になった文緒は、白化病の第一発症者として病原菌をまきちらし、人類を滅亡させた。
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