第116話 いざ、ハノーヴァー家本邸へ!

 そしていよいよやってきてしまった。今日がその、ハノーヴァー家本邸へと招待された日。


 昨日の晩は、緊張して全然寝れなかったよ。こんなに緊張したの、何年ぶりだろう。


 サブリナ様が用意してくださっていたドレスを着て身支度を調えると、世話係のメイドさんがいつもより念入りに髪を梳かしてくれた。


 様子を見に来たサブリナ様も、「いつものあなたのままでいれば大丈夫よ。ハノーヴァー家のジェラルドは確かに気難しい人だけど、フランツもいるのだから何かあれば彼に任せてしまえばいいのよ」と励ましてくれた。


 そうようね。フランツもずっとついていてくれるって言うし。きっと、大丈夫。と、心のなかで何度も繰り返した。


 フランツのお父様。ジェラルド・ハノーヴァー伯爵。


 伯爵でありながら、その商才で全国に販売網を持つこの国最大の商会『ハノーヴァー商会』を一代で作り上げた実業家でもある。


 前に、西方騎士団が王都に到着した日、ちらっとだけお父様を見かけたことがあるけれど、人を寄せ付けない厳格な雰囲気をまとってフランツのこと鋭い視線で見つめていたのが印象的だった。


 そんな人と食事をして、フランツとの正式な婚姻を認めてもらえるように気に入ってもらうなんて……無謀だとしか思えなくて、考えただけで胃がきりきりと痛みだしてくる。


 フランツとお父様は、ずっと長い間親子の確執があるという事実が余計この招待を気の重いものにしていた。


 でも、サブリナ様がいつものおだやかな口調で、


「きっと、フランツもいまごろ緊張してそわそわしてるんでしょうねぇ」


 なんて言うものだから、その姿を想像してクスリと口元に笑みがこぼれた。


 そわそわしている姿が容易に想像できる。

 うん。あのフランツのことだから、きっと私以上に緊張してるんだろうな。そうだよ、何も一人で立ち向かうわけじゃない。フランツと一緒なんだから、きっと大丈夫。そう思うと幾分気持ちが軽くなった気がした。


 そうこうしてる間に、執事さんがハノーヴァー家の馬車が迎えに来たと知らせに来てくれた。


「いってきます。サブリナさん」


「ええ。いってらっしゃい」


 にっこりとおだやかに笑むサブリナ様に見送られて、ハノーヴァー家の白馬が牽く馬車に乗り込む。


 馬車が揺れている間ずっと、フランツにもらったブレスレットを触っていた。

 こうしているといくらか心が落ち着きを取り戻すような気がしたの。


 ハノーヴァー家の本邸があるのは王都の城壁の外側なので、馬車は大通りを通って正門から出て行く。


 王都の周りは頻繁に騎士団が見回りをしているから、もう長らく魔物もでていないんだって。だから貴族や上流階級の人々の中には、敷地の限られている城壁の中を嫌って城壁の外に屋敷を持つ人たちもいる。ハノーヴァー家の本邸もその一つだった。


 馬車に揺られてしばらくいくと、白と金で彩られた壮麗な門が見えてくる。

 馬車はその門を抜けて森の中の道をさらに進んでいった。門の中に入ったということは、もうハノーヴァー家の敷地のはずなのに全然建物の類いが見えない。


 そのまましばらく進むと、突然視界が開けた。


「うわぁ……」


 刈り込まれた木々や季節の花々が美しく咲き乱れる広い庭園が目の前に広がっていた。噴水まであるよ……噴水なんてこの世界にきて初めて見た。


 その向こうに、大きなお屋敷がそびえている。さすがに王城の建物には劣るけれど、個人の邸宅でこの豪華さと大きさはありなの!? って突っ込みたくなるくらい立派なお屋敷だった。


 あまりに自分が場違いに思えて、頬はひきつりっぱなし。


 ほどなくして、馬車は車寄せにたどりついた。


 ドアを開けてもらい、燕尾服姿の若いフットマンが恭しく白手袋の手を差し出してくれる。その手をとって馬車から降りる間も、緊張のあまりぎくしゃくしてしまった。


 屋敷を案内してもらって応接室に通されたんだけど、屋敷の中は壁も天井も柱一本にいたるまで豪華な装飾がほどこされていて、床にはふかふかな深紅の絨毯がしきつめられていた。その絢爛豪華さに圧倒されっぱなし。


 応接室のソファも身体が沈み込みそうなほどふかふかなので浅めに座っていると、ほどなくして勢いよく扉が開いた。ついで「カエデ!」という聞き慣れた声で名前を呼ばれる。


「フンラツ……!」


 弾かれたように立ち上がった私にフランツは大股で歩み寄ってくると、ぎゅっと抱きしめてくれた。


 彼の存在を身体で感じて、ようやくがっちがちに凝り固まっていた心がほぐれ、息が楽にできるような心地がした。


 今朝からずっと緊張しっぱなしだったから、彼の姿を見たとたんに安心して涙腺が緩みそうになる。


「来てくれてありがとう」


「ううん。こちらこそ、ご招待ありがとう。それにしても、フランツ。すごいとこに住んでいるのね」


「羽振りがいいところを見せつけたいんだろうな。でも、派手すぎて落ち着かないだろ?  俺、十年ここに住んでるけどいまだに慣れないもん。入ったことのない部屋もいっぱいあるしさ」


 そういってはにかむフランツだったが、今日の彼はいつもの見慣れた西方騎士団の制服姿ではない。センスの良い裾が長めのジャケットにベストと真っ白いシャツが長身の彼によく似合っていた。


 こうやって眺めてみると、金髪に緑の瞳の整った顔立ちをした彼の姿はこの屋敷の豪華さにも負けることなく、むしろここは彼のために用意された舞台かと思ってしまうくらいとてもよくこの場になじんでいる。


 うん。立っているだけで、映画のワンシーンになりそう。


 見た目に反して彼の中身はとことん庶民派なので、本人自信は落ち着かないんだろうけどね。彼に会えたことで、そんなことを考える余裕も生まれていた。


 すぐにメイドさんが紅茶と焼き菓子を用意してくれたので、フランツとおしゃべりをしていたらすぐにディナーの時間になった。


 このディナーで、フランツのお父様と対面することになっているんだ。

 フランツに連れられて食堂へ向かう私の心臓は、また口から飛び出そうなくらいドキドキと落ち着かなくなっていた。


 どうか、上手くいきますように。

 胸の前で手を合わせ、心の中で必死に願った。


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