第440話 誇りある死を

 かつていた世界でお前はなんで戦っているのかと問われたことがある。


 答えなど考えるまでもない。死にたくないから戦っている。質問をしてきたそいつにはそう返した。


 その答えが納得のいくものではなかったのか、質問をしてきたそいつは少しだけ残念そうな顔をして、どこかに去っていき、そして二度と会話することはなかった。


 他愛もない、あの世界においてはどこにでもある話だ。人間なんて、大それたものがなかったとしても戦うくらいはできてしまう。そうならざるを得ない世界であったのだから――


 そして、いま自分は死ぬために戦っている。死を忌避する気持ちはまったくない。だが、それでもいいのだ。これは持たざる者がなにかをなし、戦いの果てに少しでも意味のある死を迎えるために――



 大成はすべての竜に接近する。ただ近づいただけで感じられるすさまじい力。平均的な思考能力を持っていたら、素人ですらこいつと戦うのは無謀であると即理解させられるほど強大だ。


 無謀であるとしても、戦うしかなかった。約束を果たすためには、なにをどうするつもりであろうとも、奴を倒さなければならないのだ。


 すべての竜を捉えた大成は直剣に力を乗せる。生半可な力では、奴を打ち倒すことは叶わない。下手をすれば、こちらが瞬間的に出せる最高火力をもってしても、打ち破ることができない可能性すらあった。


 命を燃やせ。持たざる自分にいま賭けられるものなどそれくらいしか残されていない。文字通りすべてを賭けて、奴を倒すのだ。


 自身の血で構成された直剣の刃が、解放した竜の力が乗せられたことによって巨大になる。それは、物理的な存在であったのなら、鉄塊と称されるものであっただろう。鉄塊のごとき大剣を全身の力を利用して振り下ろす。仮に防御ができたとしても、接触したことによって伝播する呪いの力でかなりの打撃を受けることになる。まさしくそれは、防御不可能というべき攻撃であった。


 自身に向かって振り下ろされた大剣をすべての竜は軽やかな動きで回避。こちらよりも頭一つ分は大きいというのに身軽だ。


 だが、回避したということは、こちらの攻撃は奴にとって充分脅威である証明でもあった。在り方からしてこちらとは次元が違う存在であるというのに。それがわかっただけでも収穫であろう。あとは、この攻撃をどうやって当てるかであるが――


 一撃目を回避されても大成は止まらない。そのまま身体を翻しながら、こちらの攻撃を回避したすべての竜に追撃を実施。真横から、先ほどと同等クラスの一撃。竜という存在であるのならおよそすべてを死へと誘うだろう。


 それでもなおすべての竜は揺るがない。自身の横から迫ってくる大剣を飛び上がって避け、大成の頭上を取った。宙を踏み込んでその手に持つ槌を叩きつけてくる。敵を叩き潰すことだけを考えた、一切の無駄を排除した打撃。まともに受ければ、どれほど強靭さを持っていたとしても、叩き伏せられて物言わぬ肉塊へと変えられてしまうだろう。


 頭上から襲う一撃を大成は竜の力を利用して加速してくぐり抜ける。離脱したその直後、『棺』の床に槌が叩きつけられ、小さな地震が起こったかのような振動が巻き起こった。背後からびりびりとした衝撃も伝わってくる。


 大きく移動して攻撃を回避した大成はすぐさま向き直った。直剣へと乗せた力はできる限り維持。普段よりも大きく分厚くなった剣で正眼の構えを取る。


 槌を叩きつけて『棺』を揺るがしたすべての竜もゆっくりと向き直った。その堂々たる動きは王者の風格を感じさせる。ある程度のものであれば、その所作を見ただけで、奴がとてつもない強者であることを理解することになるだろう。


 隔てる距離は十五メートルほど。規格外の出力を持つ両者にとって、すぐにでもどうにかできる距離であった。


 じりじりと焼けつくような睨み合い。お互い、相手の攻撃を受けることになれば一撃で死にかねないのだ。緊迫するのは当然であった。


 だが、有利なのは間違いなくあちらである。なにしろこちらは文字通り命を燃やしている状況だ。いまの均衡はそう長く続かない。わずかでも崩れれば、一気に押し込まれることになるのは間違いなかった。


 とはいっても、焦って致命的なミスをしてしまってはなにも意味がない。どんなときであろうとも、焦りは禁物だ。厳しい状況であればこそ、冷静さが必要となる。


 なにより、力押しだけで勝てる相手でもない。在り方からして違う奴は、その保有するエネルギーも文字通りけた違いだ。そのような相手に力押しをするのは悪手としか言いようがないだろう。


 奴を倒さずに、『棺』の中枢を破壊することはできるだろうか? 目的はあくまでも『棺』の破壊だ。必ずしも奴を倒す必要はないが――


 壊すべき『棺』の中枢とすべての竜の位置を見て、すぐさまそれは不可能であると判断する。奴もこちらが『棺』の中枢を狙っているのは百も承知なのだ。そもそも奴はこちらに『棺』を破壊されないために現れたのだから。なにがあったとしても『棺』の破壊を阻止しようとしてくるはずだ。


 なにより、『棺』の中枢を破壊するのであれば相応の力も必要だろう。それだけの力を発生させるとなれば、最低でも数秒程度は集中する必要がある。戦いながら、そんな時間を作り出せるはずもない。そんなことをしていれば、あの槌ですぐさま肉塊に変えられてしまうのは容易に想像できた。


 ……なにかを為して死ぬのも簡単じゃない。最後の最後でこれだけの敵と戦わざるを得ないのだから。


 それでもなお、心は未だ折れていない。それがただの虚勢か狂気に呑まれただけなのかはわからなかったが、折れていないのであれば、身体が動く限り戦い抜くだけだ。文字通り、そのすべてを賭けて。


 着実に近づいている死を感じつつも、それと引き換えに本来であれば考えられないほどの力と充実感に満ちていた。


 ロクなことがなかった人生だったが、これだけ劇的な死を迎えられるのはきっと幸せなのだろう。多くは劇的な死など迎えることはない。風が吹いて倒れる箒のようになんとなく死んでいく。


 いまの自分にあとどれくらいの時間が残されているのかはわからない。だが、それが多くないことだけは間違いなかった。


 ただなんとなく生き延びていただけだったのに、最後の最後でここまで劇的なものを迎えることになるとは、本当に生きるということはなにが起こるかわからないものである。避けられぬ死を目前にした状況とはいえ、これを迎えられた自分はその他大勢の普通の人たちよりも恵まれているように思えた。


 本当に、悪くない。クソみたいな人生だったが、いまこの瞬間だけは幸せだ。たとえそれが仮初のものであったとしても。


『なあブラドー、あんたはいまなにを感じてる?』


 命を燃やし、自身と同様に避けられぬ死を目前にした忌み子の竜はいまなにを思っているのか気になった。


『悪くない。なにかの薬でも決めたかのような高揚感がある。もしかしたら、死を目前にして本格的に狂ったのかもな』


『かもな』


 皮肉屋の彼らしい言葉だ。この状況になっても彼らしい言葉が聞けるのは嬉しかった。ブラドーと分かたれぬ存在となったことで、その彼と最期の瞬間まで共にいられるというのは、本来であれば絶対に起こり得なかったことなのだから。死は本来、平等に孤独なのだ。


「何故、笑っている?」


 すべての竜がこちらへと言葉を投げかける。


「仮に我らを倒したとしても、貴様らに訪れる死は避けられない。なにがあろうと死が約束されているにも関わらず、何故笑っている?」


「あんたら全員をぶちのめすことができるからじゃないか。たとえ死ぬのだとしても、気に入らない奴らをぶちのめすのは痛快だろ?」


「……理解に苦しむな」


「別に、理解する必要なんかねえよ。そもそも、自分以外の誰かのことを理解なんてできないのが普通だからな」


 大成がそう言い返すと同時に、空気が一変する。すべての竜から放たれるのは強い敵意。それすらも心地いいと思えるものであった。


 一瞬の沈黙がこの場を支配し――


 両者は互いに示し合わせたかのごとく同時に動き出した。

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