第433話 王手

 死角から近づいた竜夫が振るった刃はヴィクトールに命中。その身体を真横に寸断した――かに見えた。


 その刃は間違いなくヴィクトールの身体を切り裂いたはずなのに、一切傷ついていなかった。というより、あれは――


 振るった刃が幻影だったかのごとくすり抜けたといってもいい。目の前でそれを見た大成自身すらも瞠目するものであった。


『まさかそのようなものを創るとは。こちらの予想を超えてきたか』


 ブラドーの声が響き、大成は『なにをやったんだ?』と問いかける。


『奴がいま振るったのは、魂だけを斬る刃だ。魂以外のものとは相互作用を一切及ぼさない、究極の刃とも言えるだろう。通常の手段であれを防ぐのは不可能だ。相互作用を及ぼさないため、魂以外ものはすり抜けてしまうからな』


 見事なものだとブラドーは言って感心していたようであった。確かに、魂を斬る刃を創れないかと言ったのはこちらであるが、まさかそれをもう一段超えてくるとは予想外だ。さすがここまで戦い抜いてきただけのことはある。


 魂だけを斬る刃を受けたヴィクトールはいままでのように身体が溶けて蒸発していなかった。硬直したまま動かない。これで――


「貴様らには、本当に驚かされる。まさか、魂を斬るだけに留まらず、魂だけを斬るものすらも創るとはな」


 その言葉が聞こえた直後、魂だけを斬る刃で斬られたヴィクトールの身体が溶けて蒸発する。


「嫌な予感というのは案外馬鹿にならないものだ。少しでも遅れていたら、斬られていたところだった」


 すぐにヴィクトールの姿が現れる。二十メートルほど離れた位置。竜夫が繰り出した奇襲を回避して難を逃れたことは言うまでもなかった。


「昔から、俺の嫌な予感はよく当たるのでな。俺が相手じゃなかったら、いまので終わっただろう。さすがだ、異邦人。そして、運が悪かったな」


 ヴィクトールの声はこちらに対する感心を抱きつつも、極めて冷徹なものであった。称賛に値する相手であっても一切の容赦をするつもりはないらしい。


「これで終わりか? 終わりというならそれもよかろう。ここまで追いすがってきた相手は久しぶりだ。実に有意義な時間であった」


 ヴィクトールは槍を構える。そこから感じられたのはさらなる気迫と力。一気にこちらを倒すつもりなのだろう。


「悪いけど、こっちは諦めたつもりなんてないぜ。思いついた策がうまくいかなかったくらいで諦めるほど、物分かりがいいほうじゃないでね」


 竜夫はヴィクトールの言葉を強く否定する。彼が言った言葉通り、そこに諦めは一切感じられなかった。それに対しヴィクトールは「そうこなくてはな」と嬉しそうな言葉を返した。


『こっちはやれるだけのことはやる。あんたにはまだなにかあるんだろう?』


『ああ。うまくいくかどうかはわからんが、最善を尽くす。期待以上のことをやってくれたんだ。こっちだってそれに応えてやらんとな』


 ここまでのものを見せられて、黙っていられるような性分でもない。やってやろうじゃないか。こっちにだって、持たざる者なりのプライドというものがある。


「双方諦める様子はなし、か。いいだろう。それでこそ倒しがいがあるというものよ。こちらも全力で行こうではないか」


 ヴィクトールはそう言い終えると同時に、こちらへと接近。身体から抜け出し、別の身体を創って移動することによる疑似的な瞬間移動ではなく、己が身体能力と技術を駆使した接近であった。ただそれだけで、この男が強力な能力だけに頼った相手ではないということを理解させられるものであった。


 大成は接近してきたヴィクトールをその場で待ち受ける。


 奴は、いままで以上に警戒を強めているはずだ。特に、竜夫が創り出した魂だけを斬る刃にはかなり警戒していることだろう。あれは、性質として物理的な手段で防ぐことができない代物だ。判断ミスや遅れが生じれば、自身を殺しかねないものなのだから。


 先ほどの失敗は、それほど悪いものではない。確かにあそこで仕留められたのであればそれに越したことはなかったのは事実であったが――あの失敗によって、奴の動きを多少なりとも制限できるようになったのは大きなプラスというべきものであろう。


 ヴィクトールの槍を大成は直剣で受け流す。両手に重い衝撃が響き渡る。それだけで、目の前に立ち塞がる敵が持つ力がどれほどなのかを理解させられるものであった。


 そこに竜夫が割りこんでくる。その手に持っている刃がなにか、目で見て判断することはできなかった。その二択を迫れるというのはかなり大きい。二対一という状況で、判断ミスや遅れをすればやられかねないというのは、奴にしてみればかなり嫌な状況であるはずだ。


 その状況は十全に利用すべきものであろう。奴はそれだけのことをしなければ勝つことは難しい相手なのだから。


 竜夫の刃が振るわれる。今度はその身体を物理的に両断した。物理的作用もある魂を斬る刃であろう。


 だが、斬られた身体は溶けて蒸発する。本体である魂が抜けだしたことに他ならない。


 ヴィクトールはすぐさま五メートルほど離れた位置に再出現。未だに消耗している様子は見られなかった。


 消耗していたとしても、こちらが持っている手段は一瞬にして状況をひっくり返せるものである。奴の消耗の度合いはあまり大きな意味を持たない。終わるときは一瞬で終わるだろう。


 大成は再出現したヴィクトールを捕捉。一気に距離を詰め、直剣を振るう。こちらの直剣も、当たりさえすれば奴を殺し得るものである。


 それは向こうも承知していることであろう。安易な手段では、身体を自在に抜け出せる奴を捉えることは困難だ。


 だからこそ、積み上げる必要がある。どうあっても逃げられない状況を作るのだ。それができなければ、奴を倒すことはできないのだから。


 こちらの直剣は竜夫のものとは違って、通常の物質と同じように物理的な相互作用を及ぼすものだ。である以上、刃を構成する血に身体が直接触れることさえ避けられれば、その影響はかなり小さくすることができる。


 当然のことながら、大成の直剣が振るった直剣はヴィクトールが持つ武骨な槍によって阻まれた。防がれるのは予想通りだ。単純な攻撃に当たってくれるほど、奴は甘くない。そんなことははじめからわかりきっている。


 刃を阻まれた大成はヴィクトールの槍とのせめぎ合いをしつつ、一瞬の隙を見てその刃を構成する血を解き放った。


 ヴィクトールの身体は、赤い霧によって包まれる。霧状になった竜殺しの血を防ぐことは奴であっても難しい。


「さすがだ。だが、それをやってくることはこちらも織り込み済みだ」


 背後から声が聞こえ、その直後に身体へ異物が差し込まれる感触が広がる。自分の胸が、ヴィクトールが持つ槍によって刺し貫かれたのだ。それは的確にこちらの心臓を刺し貫いていた。


 痛みはそれほどではなく、その代わりに身体から命が抜けていく感覚が広がる。


「つかまえた」


 大成は自身の身体を貫いた槍をつかみそう言い放った。


 背後からはしっかりとヴィクトールの気配が感じられる。奴はまだそこにいる。であれば――


 同時に発生したのは赤い爆発。それは、大成自身を構成していた血肉すべてを用いたものであった。


 逃げられてしまうのであれば、どうあっても逃げられない状況を作ればいい。全方位を竜殺しの血肉によって満たされれば、奴だって対処の仕様がなくなるのだから。


「貴様……死ぬ気か?」


 竜殺しの呪いを全身に浴び、苦痛に満ちた声でヴィクトールはそう問いかけた。


『当たり前だろ。あんたは強いんだ。命くらい賭けなきゃどうにもならんだろ』


 血の霧の中に声が響き渡る。


『それと、これで終わりと思うなよ。せっかく命を賭けたんだ。こっちとしちゃあ確実に殺し切らないとな』


 血の霧の外から、竜夫は銃を構えていた。狙うのはもちろん、霧の中にいるヴィクトールだ。


 直後、弾丸は放たれ――


 血の霧の中に囚われたヴィクトールは放たれた弾丸によってその身体を内部から引き裂かれた。

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