第419話 蝕む呪い

 自身の身体を武器としている以上、奴にとって最悪の、こちらにとっては最良の敵であることは間違いなかった。いくらその身体が頑強であったとしても、竜殺しの呪いを無効にできるはずもない。このまま戦い続ければ、確実に奴は死ぬ。


 だが、奴はこちらを倒す意図をもって放たれた敵ではない。あくまでもこちらを妨害し、その力を少しでも削ぎ落すためだけの存在なのだ。戦闘能力はそれなりのものであるが、いままで戦ってきた相手と比較すれば、明らかに落ちるのもまだ事実である。


 べらぼうに強いわけではないが、処理するのにそれなりの労力を要する敵というのは極めて厄介な存在だ。無視をすれば足もとを掬われ、倒そうとすれば手間がかかる。邪魔をするのにこれほど適したものはない。


 こちらができる最善は、これを放った敵の、想定していたよりも少ない消耗で倒すことだろう。それでも、目的がこちらの邪魔でしかないために、これを放った敵の想定から外れることはないと思うが。


 他人の手の上で転がされるのはいささか不愉快であるが、そこに乗らざるを得なかったのだから仕方あるまい。せいぜい、こちらを乗せたその手を痛めつけてやることにしよう。


 接近した大成は顔のない人型を捕捉。直剣を両手に持ち、真横に振るう。


「…………」


 大成が振るった直剣を顔のない人型は一切語ることなく硬化させた腕で防いだ。その強度は雑魚というレベルではなかったものの、竜殺しの呪いに満ちた血と直接接触していることに変わりはない。触れるたびに、それは確実に蝕んでいく。まだこちらにはどれほど蝕んでいるのかはわからないが、いずれそれは見えてくる。それが訪れるのは、決して遅くない。


 自身の身体に呪いが蝕んでいっても、顔のない人型は止まる様子はなく、こちらへと向かってくる。硬化させた手足を駆使し、連撃を仕掛けてくる。それは、自身が敵を邪魔するためだけに生み出されたという現実を否定するかのようであった。


 一発、二発、三発。大成は続けざまに放たれる顔のない人型の連撃を捌きつつ、反撃を仕掛けていく。依然として硬化した身体はただ斬りつけただけではろくに傷つくことはなかった。その動きに、まだ翳りはない。


 このまま攻撃を捌き続けていれば、いずれ奴は自身に受け続けている呪いに耐えきれなくなるはずであるが――こちらとしても長引かせている場合でもないのもまだ事実。


 どうにか、こいつを放ってきた何者かに一発食らわせたいところであるが、恐らくこの敵を放った何者かは呪いの影響を最小限にするために、もうすでに切り捨てているはずだ。いくらなんでも、この程度のことすらしない馬鹿であるとも思えない。


 やはり、どうあってもこの敵を放ってきた何者かが想定した通り進まなければならないようだ。気に入らないが、それ以外の選択肢は皆無である。


 さらにいくつかの連撃を防いだところで、顔のない人型はよろめき、わずかに体勢を崩した。どうやら、呪いの影響が無視できないものになってきたらしい。


 こちらの直剣と多く接触していた四肢から毒々しい液体が滲み出していた。どうやら、硬化させた部位にも影響が出始めているようである。その一つ一つは、いまはまだそれほど大きなものではないが、それは時間が経ち、接触が多くなれば確実に巨大化することは間違いなかった。奴がこちらに勝利する未来はほとんどないに等しい。それはこちらがヘマをしなければ、という注釈が付くことになるが。


「…………」


 身体に無視できないレベルの影響が出てきても、顔のない人型の勢いが止まることはなかった。攻撃に使用している四肢にはさらなる傷が生じてきている。それはまるで、体内から腐らせる猛毒の花。いずれそれは、奴を内側から食い破ることになるはずだ。奴を蝕む呪いの影響はさらに加速している。致命的な状況となるまでに、遅く見積もっても数分とかからないはずであるが――


 このまま攻撃を凌ぎ続けて、勝手に死ぬのを待つというのはどうにも気に入らなかった。無論、それがもっとも効率がいいことはわかっている。どういう存在であれ、勝手に死んでいくのを待つのは、敵に対する侮辱のようにも思えた。


 奴に、意思など一切ないのだとしても、それが無意味なものであったとしても、あまりいい気分ではない。


 気がつくと、顔のない人型の四肢は大量の毒々しい液体を垂れ流していた。尋常な存在であれば、まともに動けなくなっている状態である。


 だが、それでもなお戦うためだけ生み出された捨て駒でしかない奴が止まることはない。自身の身体から流れ出る毒々しい液体にまみれた腕を振り下ろしてくる。それは、こちらの直剣と接触すると同時に、崩れるようにして千切れた。呪いの影響で壊死し、ぐずぐずの状態になっていることは間違いなかった。


 自身の腕が千切れても、戦うという機能以外存在しない奴は前へと踏み出そうとするが、今度は踏み込んだ足が崩れる。足が腐り落ちた顔のない人型は当然のように身体を支えられなくなり、その場へと倒れ込む。


「…………」


 片腕と片足を失ってもなお、まだ止まろうとはしなかった。這いずってこちらへと追いすがろうとしてくる。その姿は痛ましく、哀れという以外ほかにない。


 どれだけ痛ましく、哀れであっても、奴がこちらを阻む敵であることは間違いなかった。


 大成は剣に力を込め、這いずってこちらに攻撃をしようと試みる顔のない人型の頭部を刺し貫いた。


 さらなる呪いの力を流し込まれた顔のない人型は身体を痙攣させたのち、腐り切った肉塊と化し、溶けて消えていく。実に呆気ない幕引きであった。


 いくらなんでも、完全に消滅して復活することはあるまい。さっさと先に進もう。目的は、この先にあるのだから――


『実に不愉快な力だ。やはり、なにがあったとしても貴様だけは殺しておくべきであったか』


 どこからともなく声が響いてくると同時に、天井から先ほどと同じように巨大な雫がしたたり落ちてくる。


 先ほどとは違って、落ちてきた雫がなにかの形を取ることはなく、どろどろの溶けた状態のままであった。


「何者だ?」


『言うまでもあるまい。お前らの倒すべき敵だ。それ以上の言葉が必要か?』


 響くその声は明瞭に聞こえるのにも関わらず、そこから一切の情報を読みとることはできなかった。


「いや、ないね。あんたがなんであれ、俺たちが生き残るにはあんたを倒さなきゃならないしな」


 もはやここで語ることなどなにもない。とっくの昔に、賽は投げられている。


『その通りだ。俺はこの先にいる。死ぬ気があるのなら、来るといい。歓迎しよう』


 そう言い終えると同時に、目の前にあったどろどろの塊が蠢き始める。瞬時に危機を察知した大成はすぐさま飛び退いた。その直後、どろどろの塊は弾け飛ぶ。不愉快な感触が頬を通り抜けていく。


「挨拶代わりってことか」


 いいだろう。やってやるさ。どちらにしろ、やらなきゃここで終わりなのだから。


 さらに先へ。その先にあるはずの現況を目指して。

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