第377話 勝利の代償

 なんとか勝利できたものの、これで戦いが終わったわけではない。目的の前に立ちはだかってきた敵を退けただけに過ぎないのだ。そうである以上、まだ倒れるわけにはいかない。自分たち以外にこの状況をなんとかできるものは誰もいないのだから。


 身体が異常なほどの熱を持っている。連続戦闘による疲労の蓄積によるものではないように思えた。こちらの知らない間になにか仕込まれたのか、それとも――


 であっても、歩みを止めるわけにはいかなかった。この戦いを終わらせられるのは、自分たちだけなのだから。自分一人だけが被害を被るのなら、逃げようが諦めようが一向に構わない。だが、いまはそうではない。大勢の誰かの大切なものを背負ってここに来ているのだ。そのような状況で逃げるなどできるはずもなかった。


 自分以外の誰かのために戦う日が来ることになるとは。それがまったく知らぬ異世界にて起こるなど、予想できるはずもない。


 しかし、それが悪いものであるとも思えなかった。きっと、かつていた世界で戦っていた者の多くは、いまの自分と同じだったのだろう。そういうのは存外に悪くない。


 とはいっても、身体の不調に襲われているのは危険だ。戦いという場において、常に万全でいられることなどあり得ないというのは理解しているが――それでも懸念事項というのはできる限り潰しておくに越したことはない。小さなものであっても、それが命取りになってしまうことは大いにあり得る。


『棺』の中は相変わらず無機質で殺風景であった。外の状況を見ることはできず、どこまでも続いているのかのような回廊は異様な静けさに包まれていた。先ほどまであれほどの戦いをしていたのかまるで嘘と思えるかのように。自分だけが隔絶されているかのように感じられる。


『ブラドー、俺の身体はどうなっている?』


 大成は最も信頼できる相棒へと話しかけた。彼ならば、この身体を苛む異常になにかわかるかもしれなかったからだ。


『恐らく、力を使い過ぎた結果、お前は一線を超えつつある状況にあるのだ。いまのお前は、俺と同化したことによって、人でありながら竜でもある存在となっている。これまでの戦いで必要以上に力を行使した結果、その不安定な均衡が崩れつつあるのだ。わかりやすくいえば、人よりも竜に傾きかけている。いまお前の身体にある異常に原因があるすれば、それ以外思い当たるものはない』


『このまま均衡が崩れると、どうなる? 死ぬのか?』


『わからん。なにしろ、いまのお前のような存在は前例がない。ただ、このままいくといまのお前とはまったく違う存在となってしまうことだけは確実だ。そうなったとき、なにが起こるのかは予想できん。俺は科学者でもなんでもないからな』


『なんだ、そんなもんか』


 こちらの言葉を聞き、ブラドーは『随分と淡白だな』と言葉を返してくる。


『なにしろ俺はとっくの昔に、人間に似た人間ではないなにかになっているからな。また同じことが起こったくらいで、騒ぐほどでもないよ。まあ、死んじまうのは困るが』


 子供の頃に怪物の血を大量に浴びて、人でなくなったときのことを思い出した。いまの自分の身体に起こっているのがあれと同じようなものであるのなら、別段騒ぎ立てることでもない。なるようになるだろう。人生においてそのようなことはいくらでも起こり得る。


『完全に比重が竜に傾いてしまっても、俺が俺でいられるのなら、どんな存在であろうとも構わないさ。在り方なんてのは、そんなもんじゃないか』


 分類やら在り方をあれこれ考えるのは、科学者や哲学者にでも任せておけばいい。そんなことを考えたところで、いまの状況が好転してくれるわけでもないのだから。なによりも大事なのは、いま自分が果たすべき責務を全うすることだけだ。


『……お前らしいが――それとも異世界の人間はお前のように考えるのが普通だったりするのか?』


『どうだろうな。俺には他人の考えてることなんて覗けないから、断定はできないけど――俺がいた世界だと、そういう考えは主流だろうな』


 怪物としか言えない存在が出現したことにより、生物学的な分類やら在り方なんてものはほとんど意味をなさない世界となっていたのだから。


 こちらの返答を聞いたブラドーは、『本当に興味深いものだな』と感慨深げな感想を返してくる。


 相変わらず無音で無機質な回廊が続いていた。本当に目指すべき場所に向かっているのか不安になるところであるが、一本道である以上、進む以外ほかにできることはなにもなかった。近づいていると信じて、先に進むしかない。


 もう命のストックがない以上、力の解放をしないように戦うのは困難だろう。こちらの能力は氷室竜夫にように戦闘能力に優れているわけではない。力の解放をし続けた結果、どうなるのかは未知数だ。場合によっては、死ぬことだって大いに考えられる。


 死ぬのはそれほど怖くはないが、目的を達成することなく死んでしまうことだけは絶対に嫌だった。どうせ死ぬのであれば、それがわずかでも意味があってほしいと思っている。たぶんそれは、持たざる者である自分が望む唯一と言ってもいい願いであった。


『目的地には、近づいているのか?』


 延々と同じような空間が続いているせいで、目指すべき場所に近づいているのかあまり判然としていなかった。


『一応な。なにしろ規模が規模だ。そうすぐには近づけねえ。身体が大丈夫なら、さっさと終わらせるためにも急いだほうがいいかもな』


『……それもそうだ。さっさと終わらせるためにも、少し急ぐとしよう』


 ブラドーにそう返答し、大成は走り出した。


 自分の足音だけが響く静かな空間は時が止まった世界のようであった。そのように感じられる空間をたった一人で進んでいく。


 閉ざされてはいるものの、規模が規模だけに圧迫感というのは稀薄であったが、それゆえに言いようのない異様さに満ちていた。またおかしなものに囚われているかと思ったが、ブラドーが言うにはいまのところそうではないらしいが――


 しばらく進んだところで、やっと変化が訪れる。開けた空間。規模が巨大なだけあって、体育館のような広さがあった。


 あたりを見る。


 敵の姿はなく、罠のような不審なものもなかった。さっさと通り抜けよう。そうしようとしたそのとき――


「まったく、要員が不足しているからと言って、私まで駆り出されることになるとはな。仕方あるまい。なにしろ敵が敵だ。そこらに雑魚に任せるわけにもいかんしな」


 先にある通路から現れたのは、白衣を着た若い女。


「絶対という保証はなかったが、まさかここまで早く取り戻すとはな。私の力もアテにならん。とはいっても、実験としてはなかなか有意義であったことは事実。その処理を行うのも私の役目か」


 現れたその女には見覚えがあった。囚われていたあの施設で、偽の記憶を植えつけられる前に、最後に見た相手。


「久しぶりだな異邦人。夢を見ていた気分はどうだ? できることならその所感を聞かせてほしい。次に似たようなことをするのに参考になるかもしれんからな」


「あんたが、俺に偽の記憶を植えつけたのか?」


「そうだ。不満か? それとも別になにか言いたいことがあるのか?」


「別に。なんもねえよ。そうなら、戦わなきゃいけない理由が一つ増えるだけだ」


 大成は短刀に自身の血を吸わせて刃を構成した。


「威勢がいいことだ。まあ、人間など異世界においてもさして変わらんということか。どちらにせよ、私も自身の不始末をしなければならん。できれば生きて捕えたいところであるが、状況的にそれも難しい。死体でもそれなりに有用だろう。というわけだ。さっさと死ね」


 そう言った直後、女の目の前に巨大な本が出現し、無数の紙片が飛び出した。


 飛び出した無数の紙片は、矢のようにこちらに向かって放たれた。

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