第371話 音無の世界で

 無音となった世界で白髪の男を捉えた竜夫が認識したのは、次に起こる出来事が間違いなく起こるという確信であった。


 時の流れが遅くなったかのような錯覚。こちらの狙い通りであれば、この刃は奴に届くはず。確実に仕留められるように、刃を振り抜いた。


「…………」


 しかし、確実に当たるはずであったそれは空を切る。それは、奴の能力が発動していたことに他ならない。


 いまの一撃を外したことで、竜夫は確信を得る。奴の能力がどのような性質を持ち合わせているのか、その一端について。


「――――」


 白髪の男の口が動く。だが、音響弾のせいでなんと言っているのかまったく聞き取れなかった。こちらの攻撃を当たらなくした白髪の男の反撃。なにしろ奴はこちらの攻撃を当たらないようにしただけだ。であれば、向こうからの攻撃が有効であるのは必然である。理不尽なことこの上ないが、そういうものなのだからどうしようもない。


 竜夫は白髪の男の反撃を後ろに飛んで回避。依然として聴力は潰れたままだ。回復までまだしばらく時間を要するであろう。


 そのまま距離が開く。こちらと同じく、奴も聴力を潰されているはずだ。条件は同じであるが、厳しい状況なのは依然としてこちらである。


 聞かせる対象であったはずのこちらの耳が潰れている状態であっても、言葉による現実化ができたということは、それを聞かせている相手がこちらではないことに他ならない。


 奴の言葉が対象としているのは世界そのものだ。そうすることで、どのような相手であっても言葉の現実化を可能としているのである。


 相手が世界であるのなら、敵に聞こえなくとも、自分自身がそれを聞き取れなかったとしてもそれは発動する。対象が世界そのものである以上、世界の一部たるこちらに抗う術はない。仮にできたとしても、自分自身が世界の一部であることを否定することになる。


 時間制限があったとしても、それは極めて強力だ。なにしろどうあってもその影響から逃れることができないのだから。


 これでやっとその正体の一端を知れたわけであるが、それでも状況が好転したわけではなかった。わかっただけであって、それに対処できるようになったわけではなく、そもそも対処すらも不可能な能力だ。どうあっても防げない力が強力なのは必然である。


 それでもなお、前に進むのであれば、対処法が一切ない能力であろうともそれを超えなければならなかった。


 唯一の対処法は、奴が言葉を発せられないようにすることであるが、それができるのなら、倒すことも可能だろう。下手をすれば、ただ倒すよりも難度が高い可能性さえもある。


 それにしても本当に厄介な力だ。防ぐことも、封じることも困難な能力。時間制限があるとはいえ、およそほとんどの事象を口にするだけで現実化する力。万能性に関しては、いままで戦ってきたどの敵よりも優れていると言えるだろう。


 奴を倒すのであれば、もう一つ明かしておくべきことがある。何故、奴の言葉の現実化に時間制限があるかということだ。奴がわざわざ、あえてそのようにやっているとはどうしても思えなかった。できないことには、大抵の場合なんらかの理由が存在する。そこに、奴の能力を明かすヒントがあるように思えるが――


 奴は言葉を口にすることによってあらゆることを実現化してしまう。普遍的なはずの法則も含め、そのなにもかもねじ曲げて。それはまるで、なにか絶対的な力によって修正されているかのよう――


 そこまで考えたところで、気づいた。


 奴の能力が長続きしない理由、吹き飛ばしたはずのこちらが止まった理由、つけたはずの傷が消えた理由――それらについて。


 口にした言葉によって世界に働きかけ、およそあらゆることを現実化するそれは、文字通り修正を受けているのだ。


 その修正を行っているのは世界そのもの。多くの事象は、一番安定する形でそこにあるものだ。不安定な放射性物質が時間を経て安定的な物質に変化していくように。不安定なままでは、その形を維持することができなくなるかもしれないのだから。


 奴の能力は、厳密に言えば言葉を口にすることによってそれを現実化するというものではない。奴はその力のある言葉を使うことで、そのように誤認させているのだ。世界というとてつもなくマクロなものを対象として。


 言ってしまえば、極めて強力かつ現実すらも蝕む幻覚のようなものだ。


 誤認させているのであれば、奴の能力の影響を受けながら、こちらが傷つかなかったことも説明できる。世界に語りかけることによってこちらの両脚が刺されたかのように誤認させたのだ。誤認させただけに過ぎない以上、世界による修正によってそれが解ければ結果すらも消えてしまう。間違いは、いつまでも続いたりはしないのだ。


 とはいっても、それが極めて強力であることに変わりはない。誤認させるだけであったとしても、その効力が続いている間は紛れもなく現実であり、その間違いによって死ぬことも大いにあるからだ。


 そのうえ、その性質がわかっていたとしても、世界そのものを対象としていることに変わりなく、個人の力でその誤認を否定することが不可能なことに変わりはない。


 耳には相変わらず雑音が響き渡っていた。多少回復してきたものの、まだ封じられたままと言ってもいい状況だ。


 奴を倒すには、世界に対して訴えかけて発生させる誤認をどうにかすり抜けなければならないが――


 奴の能力がどのようなものかを判明させるために、聴力を犠牲にしたのは少しばかり早計だったかもしれない。やはり、いつになっても物事は思う通りに進んでくれないものだ。


 たとえ、間違えてしまったのだとしても、多くの場合そこで終わるわけではない。間違えたあともだらだらとその先が続いていく。それが現実というものだ。だからこそ、しっかりと道を切り開いていく必要がある。今回も、きっとそういうものなのだろう。


 奴の能力の正体はわかったが、それで力が弱まってくれるとは思えなかった。なにしろ相手はこちらではなく、世界という上の階層を対象としているのだから。奴の能力を弱体化させるには、世界に対して働きかける力を弱めなければならないが、こちらがいま持てる手段でそれを実現できるはずもない。


 どういうものかわかっても、対処のしようがないものというのはどこまでも厄介だ。それでも、奴を越えて先に進むには、対処のしようがないものであってもどうにかしなければならなかった。


 弱点があるとすればやはり、その言葉を口にさせないことであるが、そればかりに目を向けた結果、やられてしまってはなにも意味がない。なにしろ奴は、能力に頼らずともかなりの戦闘能力を持っているのだから。そこを見誤ると、やられるのはこちらであろう。


 そこまで考えたところで、またしても気づく。


 奴の万能に等しい能力を無効化しうる手段に。


 多少賭けになるが、それを実行しないままやられてしまうよりはずっといい。手段など、選んでいられる状況ではないのだから。


 それを実行するのであれば、やはり虚をつかなければならない。


 そのうえ、成功する確率が高いのは一度きりだ。奴の能力の性質を考えれば、二度目は恐らく成功しない。一番効果的な場面で行うしかなかった。


 どうやら、聴力もだんだん回復してきているようであった。こちらが回復してきたのであれば、向こうも同じであろう。


 竜夫は、ゆっくりと息を吐き、さらに心身を整え、刃を両手で持って構え直す。


 万能たる力を持つ敵に向かって、進み出した。

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