第364話 組み換えられる世界

 一瞬の間に空間は組み替えられた。細長く延々と続いていた回廊から広い空間へと返納する。まるで現実とは思えないほどの変異であったが同時に現実でもあった。


 組み替えられた空間は一定以上の損壊を与えれば元に戻るものの、組み替えられた空間が元に戻る際の位置によってはまずいことになり得る。半身が身体に埋まるなどということになったら致命的だ。考えなしに破壊するのは少しばかり危険かもしれない。


 とはいっても、やることは同じだ。奴を倒せなければ前には進めないのだ。大成は直剣を構え直し、前へと踏み出した。


「怖いですねえ。そんなものを持ってこっちに来られたら危ないじゃあないですか。せっかく楽しませる場なのですから、そのような無粋な真似はやめていただけませんかね?」


 クラウンの白々しい言葉が聞こえると同時に、奴との距離が遠くなった。違う。遠くなったのではない。こちらの位置が移動したのだ。恐らく、こちらが立っていた空間を組み替えることで、疑似的な瞬間移動を強制的に行ったのだろう。


 この男、道化を気取っているが相当の実力がある。なにしろ、かなりの速度で動いていたはずのこちらの空間を的確に捉えたのだから。それなりの力がなければなし得ないことである。いかにも道化じみた言動に騙されることなく、しっかりと実力を見極める必要があるだろう。警戒をしなければ。


「…………」


 大成は黙したまま、クラウンへと目を向けた。


 こちらの動きを正確に予測できなければ、高速で動いている相手が立っている空間を組み替える芸当は不可能だ。どうにか奴の予測の裏をかかなければ、近づくことすらもままならない。先ほどと同じように、立っていた空間を組み替えられて強制移動されるのがオチだろう。


 手品のような能力ではあるが、なかなか厄介なものである。立っていた空間の組み換えによる強制移動を防ぐ手立てがなければ、奴を倒すのは不可能だ。


「おや、どうしました? もしかしてもう諦めになったのですか? いやはや、随分と諦めがいいようですねえ。ああ、別に馬鹿にしているわけではありませんよ。諦めというのは素早く判断すべきものですから。それができるあなたはなかなか賢明なお考えをしているというわけだ。実にいいですね。無駄なことはさっさとやめておいたほうが色々な意味で健康になりますから」


 クラウンのこちらを小馬鹿にしたような言葉が組み替えられた空間に響き渡る。


 腹が立つが、腹を立てているのが向こうに察知されるのは奴の思うつぼだ。怒りは色々なものを曇らせる。特に、奴のような敵を相手にしている場合には。


 奴が行う空間の組み換えは、恐らく生物に対してはできないと思われる。生物に対して直接できるのであれば上半身と下半身を別々に組み換えればそれで済む。それをあえてやっていない理由があるとは思えない。やっていないのはそれができないからだろう。


『奴の能力、どう思う?』


 クラウンを警戒しつつ、大成はブラドーへと問いかけた。


『わかりやすい殺傷能力はないが、かなり厄介なものだな。先ほどのように的確にこちらが立っていた空間を組み換えができるとなると、大抵は同じように防がれてしまうだろう。こちらが意図しないところへ強制的に移動させられるのは俺たちが思っている以上に対応が見ずかしいだろうな。どうにかしなければならないが――』


 奴の能力はこちらを直接対象としたものではない、というところが厄介な点だ。あくまでも対象はこちらが立っていた空間――あるいは座標である以上、防ぐのが非常に困難である。奴の強制移動を防ぐのであれば、奴が干渉しようとした空間のほうをどうにかするしかない。当然のことながら、いまのこちらにそれができうる手段はなかった。


 そのうえ、空間の組み換えの速度は極めて高速だ。こちらがいた位置と適当なところを入れ替えるだけであれば、即時に行えるのだろう。奴がどこと入れ替えるのかこちらが予測するのはほぼ不可能と言ってもいい。仮に組み換えが行える最小範囲が一平方メートルと仮定しても、相当のものになるのだから。一切のヒントもなく、これを正確に予測できるのであれば、奴を倒すことなど造作もないはずだ。


 奴が行えるのがあくまでもこちらが立っている位置なのであれば、その影響を受けない方法で攻撃をすればいい。


 大成は再び直剣を構え直して、クラウンへと向かっていく。的確にクラウンを捉えて、直剣を振るった。


 強制的な移動が行われ、距離が開くが――


 強制的に移動をさせられてしまうのであれば、強制的に移動されたとしても当てうる攻撃をすればいい。直剣を鞭のように伸ばし、それを振るった。極限まで細く伸ばしたそれは、強制移動が行われてもなおその切っ先はクラウンを捉え――


 しかしそれは空を切った。


「いまのは少し危なかったですね。そういえばそのようなことができましたねあなた。もしかしたらと思ってあなたの戦い方を調べておいて本当に助かりました。そうでなかったら斬られていたところでしたよ。やはり、事前に相手のことを調べておくというのは重要ですね」


 いまの回避は、能力による疑似的な瞬間移動によるものではない。奴の純粋な身体能力によるものだ。戦うのは苦手というような口振りをしているが、あの攻撃をとっさの判断で回避できたとなると、ただ自分の能力に頼っているだけではできない動きである。


「それにあなたの剣で斬られたとなったら痛いではすみませんからね。当たりでもしたら本当に死んでしまいます。怖いですねえ本当に。何故あいつをわざわざ生かしておいたのでしょうか。どこかの誰かのように、放っておけばよかったのに」


 まあでも、その判断をしたのは私ではありませんし、これでも私は上に忠実な僕ですからね、文句を言ったところで仕様がありません――などと思ってもいないような言葉を口にした。


「さて、ひと通りやしましたが、まだ諦めないので? 私はそろそろ休憩時間になるので、諦めてくれると助かるのですが。その顔を見る限り、まだ諦める様子はなさそうですねえ。忠実な僕はありますが、しなくてもいい残業はする主義ではないのですけれど。その分の手間賃はこちらに迷惑をかけた張本人であるあなたが支払ってくれる、ということでよろしいので?」


「…………」


 あまりにも馬鹿らしい言葉だ。反応したところで奴が喜ぶだけだろう。そう判断した大成は、奴の言葉に対し無言を貫いた。


「せっかく話しかけたというのに無視とはひどいじゃあないですか。やはり野蛮人ですねえあなた。話しかけられたら言葉を返すのが礼儀というものじゃあありませんか? もしかして、そのようなことが許される立場だと思ってますかあなた?」


 奴の言葉は一見こちらに話しかけているように見えるが、実際のところ、こちらと対話をしようなどと一切思っていないものであった。奴の言う言葉が向けられているのは徹頭徹尾自分自身だけだ。その手の狂人は、幾度が記憶にある。無視するのが一番いい。


「本当に不愉快ですねえあなた。よくもまあそこまで不愉快になれたものです。あなたの親は一体なにをしていたのでしょうか。これだから下賤で野蛮な人間というのは度し難い。なんとかしたほうがいいと思いますよ。こちらは善意で言っているのです。そういったことは聞くべきかと思いますが」


 こちらが無視を貫いても、奴の言葉は止まる様子はない。無視した程度で黙るのなら、とっくの昔に収まっているだろう。


「……強情ですねあなた。よくもまあそこまで黙っていられるものです。もしかして、話し方を忘れてしまったのですかな? それならば仕方ありません。そういうことも生きていれば起こるでしょうから。こちらと話すつもりがない、というのであれば――」


 そこでクラウンは言葉を止め――


「さっさと死ね」


 いままでのふざけきった口調とは打って変わった冷たい言葉を言い放ち――


 その姿はどこかへと消えた。

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